ネット上で誰かと「理解しあおう」としても無駄な理由 - Vomit Comet

自分がコメント欄を閉じた理由、トラックバックをオープンに受け付けなくなった、掲示板とかにもあまり書き込まなくなった理由と一致。話し合うことが出来ない間柄というのはいる、人は解り合えないというのが自分がネットで学んだことです。たまに話が通じない相手というのは、賛同者でもいるからタチが悪い。同じ日本語を使っていても、言葉が通じない相手というのは多い。SNSに引きこもったり、丁寧な文面でメールやトラバしてくる人としか相手しなくて良いと決めてから、自分はネットでブログの更新とかが出来るようになった。

結局言いっぱなしの無価値のものと自分で先に認めるのが大事、そうしたら自然に書けるようになってくる。そしてそんなものにも価値を見いだしてくれる、ありがたい人たちにだけ向けてやっていけばいい。というかアンチなのにそこを読み続ける人という人種が僕には理解できない。なんでそんな無駄な不毛なことをするんだろう? コミュニケーションが取れない相手とそれを求めるのは、単なる時間の無駄でしかない。
特に「行間を読んで欲しい」文章というのは、ほとんどの人がそんなものは読めないと思った方が良い。自分にそれを伝える能力もなければ、世間の人にそれを読み取る力も両方無いと思うべき、その上でそれを理解してくれる人が僅かでもいることを期待するのなら、大多数に誤解されるのを覚悟して書くべき、その結果、馬鹿なブクマコメント満載になっても、少数でも理解してくれる人に届くことを大事とすべき。