本当にえらい人 : 売文屋右往左往

最近とある人に会って。
本当に人間の集団で必要なのは「空気の読める人」などではなく、「誰でも読める空気を作ってくれる人」なんだな、ということに気付いた。
本当にえらい人 : 売文屋右往左往

去年の秋ぐらいから書いていた、「空気読め問題」にトドメを刺してくれるお言葉ですね。ことバラエティ番組において、優秀とされている司会者は、タモリ明石家さんま島田紳助と皆さん、この能力に突出して優れている。

ちなみに私にとって「空気読め」という言葉は、嫌いな言葉ランクの上位に入る。
たいていの場合それは「黙って俺のいう事を聞け」と同義だからだ。
本当にえらい人 : 売文屋右往左往

いまテレビバラエティ等で中堅以下の芸人が、「空気読め」と言ってるのは、ほとんどがそういう意味なのは間違いないでしょう。自分たちの司会術の中で「空気を作る」「空気を支配する」という能力の欠如を、周囲に転嫁しているだけでしょう。そういうお笑い文化というか、約束事のリテアラシーを芸人さんが積極的に進めている吉本から、司会者能力のある芸人さんが今田耕司東野幸治から藤井隆あたりを最後に出ていないというのは象徴的なように思います。
これを見ているお笑いファンからは具体的な名前を出して、反論もあるかも知れないけど、それは僕からしたら認められない名前だと思う、なんかいまの藤井隆以外の、今田・東野以降の吉本芸人で司会やMCに定評のある人って、芸人ばっかりしかいない場所でしか能力発揮出来ていないんですよね、「アメトーーク」なんかで芸人以外のゲストが多い日が、グダグダになるのなんて典型的な例だと思うけど、芸人さんに「空気を読んでもらっている」から成立している司会術なんて、本当にミニマムな場所でしか通用しないでしょう。そういう意味でよゐこの台頭は時代の流れだし、アメザリの復活というのも以前に書いたようにあると思っています。
というかそれを「守るべきムラ社会の掟」みたいな感じで、擁護しているネットとかでお笑いやテレビバラエティについて書いている人たちが作っている風潮こそが、いまのテレビバラエティが世間の人から、「予定調和でつまらない」と言われている要因じゃないかと思います。いまのテレビバラエティは出演者も視聴者も、テレビ界のローカルルールに気を遣いすぎているという指摘はごもっともです。というかアーティスト、特にお笑い芸人なんてものは、既存の常識や価値観を疑う所から始まるべきなんじゃないの? その中でお笑い芸人やテレビバラエティ内のローカルルールなんて、一番最初に疑ってかかって良い所じゃないのでしょうか?

40代以下の芸人が、タモリ・さんま・所・鶴瓶を脅かせない一番の理由(2007年9月7日)

以前のこの話題は、そういう事に話を広げたかったけど、違うツッコミが色々と入ってそっちに対応している内に、話の旬が自分の中で過ぎてしまったんですが、単に「素人いじり」が巧い奴が芸人としてエライなんて、低レベルの話ではなく、色んな環境や共演者に対応出来る能力というのは、テレビ芸人には絶対に求められるということ、そして今の若手芸人が大切にしている約束事やマイルールや芸人の世界の常識みたいなものが、そういう面の能力の成長を妨げていないかと考えています。
別にお笑い界だけでなく、いまの日本の同世代から若い層って、全体的に社会主義的な傾向の上に権威主義というのが乗っかっている、というのが、凄く濃くあるような気はしますけどね、それが昨今の「KY問題」とか「匿名掲示板などでの同調圧力」とかの問題にも結びついている気がします。
別にアーティストは反体制でないといけないなんて言うのは、70年代までの文化だし、それが格好良かったのは80年代までで、90年代には残り香こそあったけど、もう死に絶えたと言っていい価値観だと思っているけど、でも芸人さんが過剰に体制側で権威主義的になっている所は、気になっているんですよねえ……。もうこんな事言うてるのが、爺の懐古主義という気がするけど、芸人さんは空気なんて壊してしまえばいいと思う、というかみんなが江頭2:50好きなのって、そういう所じゃないの?