大阪が元気だった時代 : 一汁一菜絵日記帳

僕はある程度まだ子供と言える年代で、「とんねるずのみなさんのおかげです」も「ボキャブラ天国」も見ている世代だったので、東京のお笑いに対して一時期、理由無き大阪ナショナリズムで、特に意味もなく遠ざけていたことはあったけど、とんねるずボキャブラをある程度子供の頃に入れていたというのは、東京の笑いをいま受け入れるにあたって、凄い下地が自分の中で作られていたんだなと思うときは多々あります。
関西が一番元気だった頃というのを、凄くこれまでの流れでは良いことばかり書いていたけど、あの時期に関西芸人の多くが、歪んだ関西ナショナリズムみたいなものを蔓延させてしまったのは事実としてあって、例えば「大阪の笑いは本物、東京のテレビの笑いはダメ」みたいなことを、あの時期にカリスマだったやしきたかじん千原兄弟が喧伝していたし、お笑いという所には縛らなかったけど、トミーズなんかもあの時期の関西ナショナリズムの牽引者だった。
いまから思えば、あれはトミーズならダウンタウン千原兄弟ナインティナインに対する強烈なコンプレックスの裏返しの行為でしかないんだけど、やしきたかじんはこれは本当に最近気付いたんだけど、たかじんの東京コンプレックスには、本人の体験とかだけでなく、上岡龍太郎に対するコンプレックスというのはあったのではないかという気が最近してきています。実は80年代中盤から後半にかけての時期って、この二人って大阪では、結構似たような活動をしていて、似たような人気の出方していたんですよね、ところが東京進出に関しては完全に明暗が分かれてしまった所の、コンプレックスというのは、上岡さんや鶴瓶さんに対してあったんじゃないかな?
こういったローカルカリスマの人たちが、かなり無根拠に「大阪は素晴らしい、東京はダメ」ということを喧伝しすぎたことと、あの時期の大阪の番組が良かったという強い思いを、現在に引きずりすぎていると言うことは大きいと思います。だからこれはにづかさんの今回のエントリーを受けてという話になりますが、大阪で今何か生み出そうということになると、どうしても80年代後半から90年代前半の関西ローカルの番組の焼き直し的な企画ばかりになってしまうのが、残念な所です。
あと吉本にしても松竹にしても、昔から三年目、四年目の芸人さんが担当していたような役割を、十年、十五年選手の芸人がいつまで経ってもやってるから、新陳代謝が起きないという問題も大きい。結局関西で意欲的な企画を起こすと、絶対にMCが陣内智則藤井隆で、ケンコバとたむけんが必ずどこかにいる、経路を変えよう吉本ばかりでなくとなると、UKか局アナになるという図式は、立原啓祐キッチュ(松尾貴史)、古田新太槍魔栗三助(生瀬勝久)、越前屋俵太タージンなんかを発掘していた頃を考えると、寂しいなと思う次第です。