ハヤテ考察論:データベースではなく、インタフェース。 : 殿下執務室2.0 β1

本編以外にも、欄外のコメントとか単行本の巻末のおまけとか、最近ならブログや公式サイトの書き込みなどで、読者との対話をしながら、読者が持つ作品イメージの方向性をコントロールしていくという手法は、もうかなり前からある手法になっていますが、僕自身はそういう作品の作り方というのは好きでアリだと思っていますが、この作品に関しては受け手の方が、作者が持って行きたい方向性に誘導されているような形になっているのが、そんなに巧く行ってないのかなと思うんですよね。
マンガ、特に週刊連載作品というのは、最終的に形になったものだけが「唯一の真のエンディング」であって、作者の初期構想というのが、ここまで連載中から語られるということに対する違和感が凄いあるんですよね、だから僕はサンデーの公式サイトのバッグステージとか、考察サイトの盛り上がり方というのには、違和感があってどうしても読めない部分があります。だってもう絶対に初期構想の予定から外れているキャラや、初期構想になかったシーンというのは、連載が単行本12巻にもなっていたら出ているわけで、それはここまで読者とのキャッチボールで作品を作っている作家なら、作品の方向性がぶれないはずがない。もしぶれていないというのなら、まあ間違いなく天才ですよね、その辺作者本人がどこまで本気でコントロールしているのか、初期構想のラストシーンに執着しているのかは、僕はよく分からないというか、もっというと懐疑的で、作者が読者の目くらましという目的の計算でやってることじやないかといって、「デビュー連載作のマンガ家にはそこまで無理だろう」と殿下に突っ込まれたのを思い出しましたが、僕はそのぐらい器用なところはあると思う、ただ器用だけど人が良いという所が、火田先生には強いので、もっとあざとい展開にこの作品はいくらでも出来るのに、それをしない作者の器用さをあざとく発揮することを止める人の良さがあると考えているので、どっちなんだろうなというのは、まだ僕も言い出してはいるけどよく分からない。
また殿下のブクマコメントからになりますが、火田先生に限らずに、マンガ家の先生って他のジャンルと比べて、作品の考察や評論に対して受ける人が多いと思う、もちろんマンガ夜話にクレームを付けてきたり、拒否する作家も多いけど、いま活躍している漫画評論家で、元は漫画家だったという人は多いし、現役のマンガ家でも、マンガ評論的な本を出したり発言をする人は多いし、マンガって言う媒体自体が、特にギャグマンガに関しては媒体の特性もある渡欧のですが、特に週刊連載なんてやっていたら作者と読者と編集者のキャッチボールで作品を作っていくという手順が、自己評論とか考察に結びつくとか、またマンガ好きからマンガ家になったような作者だったら、読者としても作家としても、そういうキャッチボールを経験しているわけだから、やっぱり特にギャグマンガ家は考察屋とか評論家に理解があるというのは、自分たちの作っているギャグマンガというもの自体が、評論行為や考察であることに、自覚的な人が多いということはあるんじゃないかと考えています。
だからこれは別に火田君だけでなく、火田君の師匠とか、島本和彦とかにも通じる話かなとは思いました。ただこのギャグとかパロディはそれ自体が批評行為というのは、ギャグマンガ家とか純粋に台本だけ書いているようなタイプの喜劇作家みたいに、自己考察で作り上げていくタイプの創作者だけじやないかとは思う、客の反応がダイレクトに分かる演技者タイプとか、集団作業で仲間内だけで作り上げている人たちだと、この考えにはなかなかいかないような気はしています。
あとやっぱり先に挙げたようなタイプの漫画家は、マンガ好きから漫画家になったというのも、こういう評論や考察に対して懐が深い理由ではあると思う、案外プロってどのジャンルにおいても、そのジャンルが好きでファンから上がっていってプロになったタイプって少なかったから、まだこういう人が例外的な少数派になっているのかも知れません。またマンガに関しては漫画評論というジャンルが完全に出来上がっているし、その洗礼を受けている世代に火田先生や久米田先生があるというのも大きい要素だとも思いますが。
「なぜ考察しやすいのか?」という問いに対しては、やっぱり作者が「考察してもらいたい」と思って作品を書いていて、その為の仕掛けは作中はもちろん、作外にも散りばめられているし、そういうのも含めて漫画作品だというのを、読者体験で見てきた世代の作家だからということだとは思う、また器用だから語りたがりが語りやすいことを、散りばめるのが巧いんだよねえ(笑)。最初のラストシーンがどうなるのか? という話に戻ると、そういう話でみんなで盛り上がるのも含めて漫画作品であり、最終回が終わった後にも「あの最終回は納得出来ない」とかいう盛り上がりも含めて、漫画とは楽しむものだという確信が作者の中にはあって、そういう楽しみ方をする為のギミックに対して、一切出し惜しみをしていないというのが、この作者の漫画家としても漫画読者としても世代の新しさと、器用さと人の良さが出ていると思う、だから殿下の「データベースではなく、インタフェース。」という結論は、我が意を得たりという所で、漫画は読者との共犯関係で作っていくことに、何の迷いも疑いもこの人はないと思うのです。だからこそそういうタイプの作者が最終回を、初期構想のままに書き上げる可能性は、二割どころか2%も無いと僕は思います。そういう意味でもこの作品ってアニメ化とかはやっぱり向かないよなあ。

過去に色々と書いてるの読むと、かなり去年ぐらいのとは意見と変わってる部分もありますが、一応12巻が出る直前の今現在ぐらいの感覚を書いておくと、現在にラブコメギャグ漫画を王道路線でやろうとすると、この形しかないかなという気持ちでおりますし、王道のラブコメギャグマンガになっていると思う、但し現代でしか通用しないという気もする。

ハヤテのごとく! 12 (12)ハヤテのごとく! 12 (12)
畑健二郎

魔法先生ネギま! 19 (19) (少年マガジンコミックス) ハヤテのごとく! 11 (11) ハヤテのごとく! (10) (少年サンデーコミックス) さよなら絶望先生 第9集 (9) (少年マガジンコミックス) ハヤテのごとく! (9)

by G-Tools