冗談画報 : マルチタレントへの道日記〜崩れ去った幻想のファシズム〜

このリンク元記事の書き手は10代の方なのですが、少しはこの時代の空気を体験してかすかにでも覚えているギリギリの世代の人として言わせて貰うと、筋肉少女帯吹越満WAHAHA本舗電気グルーヴなどを扱っていた「冗談画報」が、彼らをキワモノとして扱っていたか、視聴者もそう受け止めていたかは若干疑問の余地があるんですよね、当時の空気って彼らとダウンタウンウッチャンナンチャンB-21SPECIAL米米CLUBあたりは全く同一線上の新しい波として見ていた、だからこそ今となっては再放送やネットに流れている動画では分からないかも知れないけど、泉麻人とか桜沢エリカとか関口和之といった、当時流行の最前線にいた文化人がナビゲーター、それもいまと文化人に対するテレビ的な価値、世間的な価値が圧倒的に違う時代の流行の最前線の文化人を配置して、こりから数年後はこの人達が流行の最前線を引っ張りますよという紹介番組だった、「冗談画報」という番組で、それに呼ばれていたということは、もう今となってはあの時代を経験していない人には言語化して説明すること出来ないかも知れない。そもそも「流行の最前線」という意味合いが、この頃と今では意味合いが違いすぎる。サブカルという言葉も今とこの時代では、意味合いや価値が違いすぎるし。
正直、この後でメインの方に行った人、そうはならなかった人が、後付でキワモノだったか、そうじゃないかと後々言われているだけで、当時この番組に出ていた頃には、いま「冗談画報」に出ていて、その後メジャーをかっさらっていった人達と、いまこうして後の世代に“キワモノ”として語られている人達に、当時の人達は差異をそれほど感じていなかった様に思います。だって憂歌団とダウンタウンのコラボとか、この番組やってたというのが、僕はこの論の何よりの証明ではないかと考えるのです。