芦毛の名優が死去 「芦毛伝説・第三章」に幕……はまだ降りていない

メジロマックイーンが死んでしまった、まだ親子四代の天皇賞制覇も達成していないというのに、そのパーソロンの血脈を繋ぐ貴重な日本の父系を伝える後継者も出していないというのに、メジロマックイーンが19歳の若さで死んでしまった。メジロパーマーがかなり早い段階で種牡馬を引退、メジロライアンも最良の後継者メジロブライトが早逝、あの父内国産馬の時代、メジロの黄金時代というのは本当に一時代前の競馬の幕引き前の最後の輝きだったんでしょうか、メジロ牧場北野ミヤオーナーも亡くなり、牧場の場長も世代交代して、メジロ種牡馬に対するこだわり、3200mの天皇賞へのこだわりもなくなり、往事を知るファンにとっては寂しい思いもあったわけですが、先日のドバイでの日本馬の勝利も相まって、日本の競馬界は完全に一つの時代が終わって、新しい時代に入ったんだと、そしてそれにあたって過去の時代が完全に切り離されているんだということを実感させられる、メジロマックイーンという優駿の死だけでない、一つの大きな時代の終わりすら感じさせられた、心身にずっしりと応える訃報でした。
最後にメジロマックイーン自身の素晴らしさについて、僕はもう10年近く、「日本競馬史上最強馬は?」という問いには、迷いなくメジロマックイーンと答えていました。この馬とテイエムオペラオーシンボリルドルフの三頭が近代競馬最強馬を語るにあたって、絶対に外してはいけない名馬三頭だと考えています。やはり競馬史において最強かどうかということを語るには、世代間対決や距離別の階級制覇、無事に沢山の勲章を長きにわたって取っているということも重要なファクターと考えると、やはりこの三頭が抜けていると思います(もちろんタイキシャトルエルコンドルパサーの功績というのは、彼らに匹敵するいやそれ以上のものもありますが、それはまた別の基準の話ということで)。そしてやはりメジロマックイーンの素晴らしさは、主戦騎手だった武豊がバランスを崩していた(当時の表記)5歳秋シーズンを除いて、故障で休養していた時期はあったけど、ほぼ安定した成績を積み重ねていて、ライスシャワー春の天皇賞で負けて、かなり楽なメンバー相手だった宝塚記念は勝ったものの、年齢から来る力落ちを心配されていた休み明けで挑んだ京都大賞典で、2.22.7という驚異的なコースレコードで、次走でジャパンカップを勝つレガシーワールドを3馬身半の差を付けて勝った京都大賞典は、彼の引退レースであると同時にベストレースであり、これこそまさに最強の競走馬の勇姿だったと思います。当時に明石家さんまがラジオで『メジロマックイーンの強さは「森・西武ライオンズ」のようだ』と称し、京都大賞典のレース後には『どんなに穴党であっても、競馬ファンならこの馬の残りのレースはマックイーン中心に見るべき』という趣旨の発言をしていたのは、いまでも印象深く覚えています。
僕はメジロマックイーンは主戦騎手の責任で、GIを三つ損したと考えています。しかしそれが一番の糧となって武豊は、いまの武豊になっていると思っています。武豊メジロマックイーンに損させた三つの勲章にかえて良かったと北野のおばあちゃんが思ってくれるだけの騎手として、これからも居続けていてくれるでしょうか、いや居続けて貰わないと困るんですが、メジロライアンの典ちゃんと共に(笑)。
さようならマックイーン、願わくば残された産駒から、親子四代の大偉業が達成されることを強く強く願っています。しかしノーザンテーストテスコボーイパーソロンの系統はいずれも厳しくなった、でも彼の子供が淀の盾を制し、メルボルンやアスコット、ロンシャンで世界の名馬と覇を競い、親子五代の夢を次の世代の競馬ファンに繋げてくれること、あの時代を過ごした競馬ファンとしてまだ諦めることは出来ない。申し訳ないけど亡くなってもまだあなたの戦いは終わっていません。だからゴメンだけど、お疲れ様ともゆっくり休んでくれとも言えません。残された子供達を応援してやって、一緒に戦ってやってください。
繁殖馬にとって、死は決して終わりではありません。

追記)しかし彼にサンデーサイレンスの半分でも良いから、あのぐらいの質と量の繁殖牝馬を与えられるチャンスが欲しかったとは思う、それだけがとにかく悔しい、悔しい、悔しい。