唐沢俊一先生の本日の日記より

菅直人の民放釈明行脚について。

未納追求の先頭に立っていた本人に未納があった、とわかった時点で、これは天が自分に味方しなかったと諦めて、さっさと腹を切るべきであった。運が悪いときだって人間、あるのである。ところが、それをせず、与党と同じ、いやそれ以上の執着を見せ、あまつさえ福田官房長官の辞任を受けてまでなお、党首の地位に固執する言辞をくりかえすというのは、自分からドブの中にダイビングしているようなものである。政治的センスがゼロである。なんべんも言うが、世間は正しいか正しくないかではなく、態度がいいかどうか、それでモノゴトを見るのである。
裏モノ日記 2004年5月8日

この良い悪いではなく態度、あと本質ではなくあくまで表面が世間の物差しであるという切り方は、ここしばらく唐沢先生は一貫していてなかなか気持ちが良い。
あと天運という言い方は嫌う人も多いと思うけど、本当にこのあたりに見放されていると感じたときは、さっさと身を引くのが一番なんですよね、なかなか出来ないもんなんだけどね、しかしこのままでは戦術的撤退のタイミングすら失いますよと思います。
マイケル・ムーアのほうのことも書いたけど、失われてしまったのでもう書く気がおきません。ただ一言言うのなら勝谷誠彦さんは自分の叩いてる相手についての事実誤認があっても訂正や批判はあんまりしない人です(苦笑)。
まあそういうところが信用しきれないところなので、逆に自分は気軽に毎日読めているところがありますが。