1996年伊藤雄二厩舎エース二頭の華麗な騎手変遷
かなり記憶頼りなので、間違いあるかも知れない。特に蛯名が乗れなくなった理由あたりは微妙。
・95年新馬戦に来年の伊藤雄二厩舎のエース候補として、牝のエアグルーヴ、牡のロイヤルタッチを武豊鞍上でデビューさせる。
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・武豊は2歳重賞の段階で、橋口厩舎のイブキパーシヴとダンスインザダークを選択、仕方なくロイヤルタッチとエアグルーヴをペリエに依頼。
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・ペリエは桜花賞前に帰国だったため、伊藤雄二はマイケル・ロバーツに両馬の騎乗を依頼。ロバーツはオークスまでの予定だった短期免許期間を一週間後に伸ばして快諾。
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・ロイヤルタッチのオーナーサイドが菊花賞に騎乗できない、ロバーツ騎手を乗せるのを拒否。何故かエアグルーヴごとロバーツ降ろさせて鞍上が宙に浮く。
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・有力騎手はお手馬が出揃っていたため、当時まだG1未勝利だった蛯名正義に白羽の矢が立つ。
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・若葉Sでロイヤルタッチと蛯名の初コンビ、伏兵ミナモトマリノスに負けちゃう。
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・蛯名騎乗停止になって皐月賞と桜花賞に乗れなくなる。
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・イブキパーシヴの調整が巧くいかずトライアルに使えず、桜花賞への出走も微妙と思われていた段階で、伊藤雄二が武豊に再オファー。橋口調教師も許可。そのイブキパーシヴとロイヤルタッチは南井騎手に決定。
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・エアグルーヴが桜花賞直前回避、武豊は木曜段階で本田騎手が乗る予定だったシーズアチャンスに騎乗して出走。(※この件は後に大川慶次郎が「別冊宝島競馬読本シリーズ」で乗り替わりを指示した社台に激怒)イブキパーシヴは2着に入るが体調悪化でオークス回避。
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・ダンスインザダークも皐月賞直前回避。武豊はエイシンイットオーから依頼があるが断って阪神で、皐月賞に行ってる熊沢、芹沢、村本のお手馬で荒稼ぎ(笑)。ロイヤルタッチは2着。ロバーツはチアズサイレンスで参戦。
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・蛯名騎乗停止空けるも、エアグルーヴ、ロイヤルタッチの鞍上には戻らず。
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・エアグルーヴと武豊がオークス制覇、ロイヤルタッチは南井でダービー4着。ロバーツはオークス、ダービー共に騎乗馬無し。
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・秋競馬ロイヤルタッチは南井から岡部に乗り替わり。オーナーサイドのロバーツ拒否は最初から岡部に乗って欲しかったという話が競馬雑誌などに乗る。(岡部は春は骨折したけどバブルガムフェローがいた)
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・蛯名正義がバブルガムフェローで天皇賞制覇、G1初勝利。(岡部はタイキブリザードで北米遠征中)
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・エアグルーヴはその後も武豊とコンビで天皇賞を勝つが、マーベラスサンデーと同じレースになったときは武豊はマーベラス優先したので、ペリエや横山典が乗ったり、おかしなローテーションを取ることもあった。
と、まあ今から考えても、色々と酷い流れだ(苦笑)。