日本の競馬をつまらなくしたのは社台だけど、一人勝ちが理由ではない

競馬の売上げが下がっているとか、関連産業も低調になっているというのも、どうもここまで続くと不景気が本物というだけでなく、日本の競馬の魅力自体が落ちてきているというのは、認めざるを得なくなっているようです。

Togetter - 「最近の競馬関連つぶやき」

このまとめに関連性が全く無いのは、僕が心に響いた最近の競馬関連のつぶやきを、ひたすらまとめたからです。ただ感覚的に共通した思いを読み取っているという理屈だけは、分かって頂ければ嬉しいです。というかこの後の話が分かりやすくなると思います。

先日、ベテランの競馬ファンから話を聞いたのだが、「何でも社台」の時代になってからあれだけ熱心にノートつけたり血統表書き込んだりして競馬やってたのにサンデーが出てからぱったりと情熱がなくなった、という話を聞いた。浦河や静内が元気な頃の方が断然面白かったと。
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日本の競馬は調教師も、マスコミ関係者も、馬主も、「社台詣で」をしてそれで完結、これが新時代の競馬なんだよ、という時代になっておりますが、競馬ファン的には「ジャルジャルばっかり延々見せられてる感」があるんだろうな、と。
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最近サンデル先生の本を読んでるが、社台は典型的なリバリタリアンだな。富の独占が当然の権利であり、全ての行動は正義であり、万人の幸福につながると信じてる。馬券の売り上げ落ちてるけど、なら馬を所有しなさいな、でもウチの馬を買わないと全然楽しくないからクラブ法人もセリ市場も作ったよと。
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僕は競馬をつまらなくした理由は、決して社台が、サンデーサイレンスが一人勝ちしたからだけだとは思ってないんですよ。ただ社台のせいで競馬がつまらなくなったとは思っている。社台の罪は一人勝ちではなく、社台のビジネス価値観、社台の正義感を、日本競馬唯一の正義や常識として蔓延させたことに罪があると考えています。
この漠然とした思いがようやく自分の中で言語化したのは、このブログエントリーを読んだことによってでした。

栗山求ブログ: シャダイソフィア再降臨?

アンティックヴァリューシャダイソフィアだ、亡きシャダイソフィアを買い求めたのだ、と直感しました。
やがてアンティックヴァリューは二冠牝馬ベガの母となり、ベガはダービー馬アドマイヤベガの母となりました。亡きシャダイソフィアは、アンティックヴァリューの姿を借りて、再びこの世に降臨したのです。
……と書けば、ちょっとええ話やなぁ、となるわけですが、ベガが二冠を達成した直後、吉田照哉氏はインタビューにこう答えました。
アンティックヴァリューの血統表を見たとき、すぐにソフィアの近親だなって気付いたけど、だから買ったというわけじゃない。いちいち1頭の血統にこだわってるヒマはありませんから」(『優駿』93年8月号)
これを読んだ瞬間、椅子からずり落ちそうになりました。まったく身も蓋もありません。外野が勝手に物語を紡いでも、それは想像の産物でしかなく、現実はたいていこんなところなのでしょう。

吉田照哉は本心なんだろうけど、こういう身も蓋もない勝負哲学というか、ビジネス論としての競馬語りがインタビュー読んでると凄く多いんですよ、一つのインタビューに必ず一回は「競馬のロマンや夢をあっさりと否定する、少なくとも社台のビジネスには相容れない」というような趣旨コメントが必ず入る。それは別に構わないんだけど、日本競馬に最も影響がある人を三人挙げろと言われたら、世界中の競馬関係者の誰に聞いても、おそらく名前を挙げるであろう人が、そういう発言をすることが、日本競馬に影響を与えない訳がないですよね。
そしてここ十数年で馬主を始めた人達、しかも「競馬が好きになる→馬主になる」ではなく、順番が「ステイタスとして馬主になる→競馬を好きになる」という人達が、日本の新興の成金馬主には多い訳で、そういう人達はまず社台の門を叩いて馬を買い、こういう思想がどんどん新興馬主に広がっていく。
そして古くからの静内や浦河との中小生産者との関係で馬を買ったり、自分の血統を大切にしている馬主が、新興馬主の資本力と社台の力でどんどん駆逐されていき、日高の生産者も種牡馬や繁殖がどんどん社台の色に染められ、社台の思想についていかない牧場が淘汰されていく。そしてシンボリやメジロですら、自分たちの血統やプライドを放棄して、自らのブランドを否定してプチ社台と化していった。
ライニングゲイルが出ようが、セイウンスカイが出ようが、ダイタクヤマトが出ようが、コスモバルクが出ようが、それは完全に一過性のものとして処理され、シンザンハイセイコーは父系が途絶え、パーソロンノーザンテーストもその父系は風前の灯火となった。日本の競馬はレアル・マドリーバルセロナのどちらかが必ず優勝するリーグと同じような状況になり、競馬ファンが夢やロマンを仮託できなくなっている。ファンが夢やロマンを持てないものは、エンタメとしての体を成していない。
しかもファンの側にまで、正論主義者というか、こういう発言の尻馬に乗る連中もいて、こういう発言をすることが正義となって蔓延させているのが、余計に競馬離れを起こしている。ファンに夢とロマンを見せられるのは中の人の大事な仕事のはずなのに、日本競馬のオピニオンリーダーとも言える人たちが、自分たちの一人勝ちのための商売の理屈だけを掲げて、日本競馬全体のために、ファンを導けないのが、日本競馬の衰退の要因になっている。
勝負事なんだから一人勝ちまで持っていくことは正しい。プロスポーツなんだから、ある程度金に物を言わせて勝ちを得ようとするのも正しい。しかし新興馬主を自分たちからだけ馬を買わせ、自分たちの血統で中小牧場を埋め尽くし、調教師や騎手の生殺権を掌握し、ファンに夢やロマンを持たせることが出来ない思想を、日本競馬界に蔓延させたのは、間違いなく大きな罪となって日本競馬に跳ね返ってきている。
あるJRA関係者と何年か前に呑んだ時に、「本当なら社台はとっくに凋落しておかしくないのに、他が先にもっと落ちてしまったから、社台を負かす相手がいなくなったから、社台の一人勝ちが続いている」と言っていたけど、まさに真実だったと言えるでしょう。メジロの路線変更とかは、もう社台に対して完全に不戦敗した非社台の象徴と言えるでしょう。
今回のTwitterまとめには、前後に笠雄二郎さんの本件とは関係ないように見えるつぶやきがありますが、でも真ん中で語られているようなことがあって、競馬に夢やロマンを見出せなくなってきてるから、社台以外の価値観が消えていって多様性が失われてきてるから、ロマン溢れる競馬メディアなんてものに情熱を傾けてくれる人も、そういう想いで競馬業界に飛び込んでくる人達も減ってきている。
武豊オグリキャップの訃報にコメントしても、スーパークリークの訃報に触れないことに憤る連中は、少数派になっている。武豊のブレーンもそんなことに気付かなくなっているぐらい、競馬のロマンが現場から失われている。
日本の競馬は社台グループの一党独裁体制、問題は結果の一人勝ちではなく。社台が勝つために行われている思想統制のほうに問題がある。ファンからロマンを奪って生き残ったエンタメ業界なんて古今例はない。
僕はグランド牧場倉見牧場、そしてテイエムさんが九州でやってることとかが、ある限りは希望は捨てない。でも時々しんどくなる。
追記)あとベガといえば、ベガは引退した時に、初年度の種付け相手はトウカイテイオーだって報じられていた。それを受けて当時の『週刊Gallop』には、ベガがテイオーにお嫁入りみたいなイラスト葉書も投稿されたりしていたのに、ベガに初仔誕生のニュースが出た時に仔馬の父がサンデーサイレンスとなっていたのはビックリした。その後結局ベガにはトウカイテイオーは種付けされることはなかった。
あとあの頃は馬主や調教師が、やたらと引退後に同時代の現役競走馬だった牡馬と牝馬の配合を匂わせて引退したんだけど、結局実現したのはメジロマックイーンイクノディクタスの組み合わせだけで、サクラバクシンオーノースフライトの配合も実現していないし、ニシノフラワーサクラバクシンオーヤマニンゼファーも配合されていない。こういうことが連続したのも、自分の中で競馬界の中の人に対する失望が強い。そもそもそんな気がないのなら、最初からそんなこと表明するなよなあと思うし、社台のロマン主義の否定が、ノースフライトニシノフラワーにゼファーやバクシンオー付けるぐらいなら、今年もサンデー付けようぜという風潮を形成したんだろうな。

4198613974吉田善哉 倖せなる巨人
木村 幸治
徳間書店 2001-08

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4944001592血と知と地―馬・吉田善哉・社台
吉川 良
ミデアム出版社 1999-02

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