学校に全てを任せようとするのは危険

誰の発言だったかは、いまさら書かないけれども、ある政治家が自分の個人的体験だけを元に、「日本の都会の子どもには、田舎での一年間の生活を必修にしよう」なんて寝ぼけたことを、朝からTwitterにつぶやいていて、もう政治家が自分の個人的体験だけで、こんなことを制度化とかいうのは、本当に止めて貰いたいと思いました。
そもそも道徳とか人間教育に対して、国というか、政治が介入してくることに、凄い胡散臭さを感じる。僕が橋下知事について支持仕切れないポイントもここにある。
僕は学校の武道必修も絶対に反対だし、「学校は勉強だけ教えてれば良いんだよ、家庭科も体育もいらん、地域がそれを担えるように社会資本の整備と、地域の大人に余暇を与えろ。」という風に考えている。どうもこの国の未成年者のことは、なんでも学校に任せよう、という考え方がどうも疑問がある。子供の人生に対して、国も教師も責任なんて持たないくせに、そこで何もかもコントロールしようとし過ぎでしょう。しかしどうして日本の政治家は、左も右も子どもを集団生活で鍛えようみたいな発想に行きがちなんだろうねえ……。
僕はヘンな話だけど、小学校は「自転車の乗り方」は教えなくて良いと思う、それは家や親兄弟、近所の人など、家庭や地域でやればいいことだと思う。だけど小学校では「自転車に乗る時の交通法規」というのは教えるべきだと思う。というのが僕の公教育観で、とりあえず法律を教えないのと、法律を知らないと損するということは、もっと教えて良いと思うのです。
実際、自動車か二輪の免許を取りに行かないと、自転車や歩行者の交通法規を勉強する機会がないって、絶対におかしいと思いません?(笑) いやいまの小学校はやってるのかもしれないけど、少なくとも僕らの時代は交通ルールは教えても、法律は教えていなかった。

柔道の事故死、突出して多いのはなぜ 学校関係者の隠蔽体質も一因 (1/2) : J-CASTニュース

学校の隠蔽体質に加えて、同じ体育会脳と隠蔽体質の警察が、手入れしないというのも助長していると思われる。日本の最後の伏魔殿は絶対に警察と学校でしょう。