解散がもったいない90年代の大阪の若手芸人たちを思い返す

昔の『ABCお笑い新人グランプリ』の映像を見て、その感想を書いたりしていて思ったのは、この当時やってた人達で、いまも続けている人達より、解散した人の方に、もったいないなと思う人達が多いことですね。
面白いのを思い出したので、一番強烈だったのは、それまで忘れていた分だけ、ゆんぼーが強烈でした。漫才をネタにした漫才とかのメタな捻ったネタも面白いし、旗上げゲームみたいなベタなネタも引き出しが凄く広い。
松竹の若手漫才の、一見クラシカルなスタイルなのに、見た目がシュッとしていて、自由度がかなり高い漫才というのは、同時期のますだおかだ、後輩のアメリカザリガニなすなかにしにも受け継がれている、松竹の若手漫才師の基本スタイルですが、この路線って、やっぱりますおかとか、このコンビが若手の時代に確立しましたよね。徳田さんが解散後に松竹の養成所の講師になったのも、影響しているのかも知れませんが。
ゆんぼーの他にも、スミス夫人とかのイズとかとか解散が惜しいコンビが、見返していくと多いです。この三組は、それぞれノイローゼで引退、失踪で引退、コンビ仲が最悪とか、仕方ない解散事情はあるんですが。
ただこの93年から94年の時代の後で、吉本は2丁目劇場の「漫才禁止令」とか、劇場の卒業させられるタイミングが早くなったり、松竹は劇場が潰れたり、若手の売り出しリソースが、よゐことオセロに集中しすぎたりと、はっきり迷走しだして、多くの本当なら辞めなくて良い芸人が、辞める羽目になってしまったように、この頃を振り返ると思ってしまいます。
特に松竹は、よゐことオセロしか売りませんって、態度が露骨だったの覚えてるし、それはT・K・Oとかが、いま当時を振り返って話もしていますけど、90年代の後半はよゐことオセロ以外の若手は、本当に力入れてもらえてなかった。ますだおかだは当時を振り返って、「東京か吉本に行くことを考えていた」という話していますが、ますおかが松竹辞めなかったのは奇跡に近いでしょう。実際にオンバトM-1のおかげという、NHKと吉本のおかげで、ますおかは松竹に残ったようなもんです。
あといまコンビとして活動していないので残念なのは、チュパチャップスも残念ですね、というかこのコンビは前にも書きましたが、コンビ続けていても、それぞれ今みたいにピンの仕事が多くなって、結果的に今みたいな活動になっていたような気がしますんで、同じ事かも知れないですが、それでもコンビ続けていたら、月に一回ルミネでコントするぐらいの活動が、続いていたんじゃないかなあと思うと、少し残念な気持ちが残りますね。年に一回ぐらい昔のネタで良いから、コンビでネタやってほしいけど、二人とも頑固そうだから難しいだろうなあ。
やるじゃねぇかーずは、ボケの人が一見、松本病患者っぽいボケなんですが、千原兄弟とかメッセンジャーとかの、真性の松本病患者と比べると少し違うものが混じっている。やるじゃもやっぱり解散したのは惜しいと、今回久し振りに映像見て思いました。
あとやっぱりこの時代で、解散してしまって残念なグループといえば、電車道は外せないです。電車道のネタは、彼らを覚えている人は、コントの印象の方が強いと思いますが、僕は四人漫才の形式のネタも好きだった。
北田さん以外の三人が解散しようって言いだして、北田が「お前ら、この先やめてどうすんねん」って言ったら、それを受けて他の三人が、「俺たちでまた電車道作るわ」「それ俺がクビなだけやろ」ってネタが好きでした(笑)。電車道は解散が本当に残念だったので、凄い記憶にも残っていただけに、その後でプラン9が五人漫才しだした時は、もうあまりにも電車道に似すぎているのが、気になって仕方なかった。結局それは最後まで払拭されることはなかったです。いま例に挙げた電車道のネタと、似たようなネタもやってましたし。
特にヤナギブソンのツッコミが、北田のツッコミに似てるんですよね、まあプラン9に限らず、大阪のある時期以降の三人組以上のメンバー編成のグループって、みんな電車道みたいなスタイルの漫才ばっかりになるんですが。それだけ多くの人に影響を与えるネタをしていた、良いグループでした。
しかしこうして振り返ると、いま活動していないのがもったいないコンビ、芸人引退してしまったのが残念な人は多いです。しかも事情が複雑な人も結構いるわけで、TKOみたいに続けていたら、いつか陽の目を見ることがあると、単純に言えるわけでもないのが、もどかしいです。

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