1987年のグランプリホース・メジロデュレンが死亡

「有馬記念制覇のメジロデュレンが老衰死」:イザ!

主戦だった村本さんが、86年の有馬はラモーヌに気を遣って出られなかった、88年は武豊のアホが邪魔した。この二つがなかったら、デュレンは有馬三連覇していたと、熱く語っていたのが懐かしい。微妙に競馬ブーム直前の馬ということもあって、あまり語られないメジロマックイーンのお兄ちゃんですが、自分が競馬に熱心に見だした頃に、あっさり種牡馬として見切られたのは、色んな人が記事にして触れていたのが懐かしい。ノースガストが当て馬とか、ハードバージの最後とか、その手の記事が多かったのを覚えてる。
いまはデルタブルース種牡馬になれないとか、オサイチジョージの生死不明とか、あの頃の競馬マスコミと比べたら、現在はあっさりと流されるようになったような気がする。
しかしデュレンは五年しか種牡馬生活送らなかった上に、ティターン、ライアン、パーマー、生きていたらマックイーンもそろい踏みで、メジロ牧場は功労馬を同じ場所で繋養するというのにも、デュレンは仲間はずれだったのは、どうしてなんだろうか? 父がメジロの馬ではない、子分けの生産馬だったからなのかなあ? 26歳まで大往生するまで無事に過ごしていたんだから、大切にされてなかったわけでもないだけに不思議です。

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