「漫才における手数論」は誰かのオリジナルの論ではない

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この件に関しては、見知っていたけどブログ上で扱わなかったんですが、それは「東京ポット」の人達が、何に対して怒っているのかが、全然見えてこなかったからなんですが、「漫才」に対して“手数”という切り口で論評するのは、サンキュータツオが創り出した概念だから、他の奴が漫才を語る際に、“手数”という切り口を使うのは、盗用だって怒っていたと言うことなんですね。
うわっバカじゃねえの?(笑) だってどう考えても、漫才において“手数”を論点にするなんて概念は、サンキュータツオのオリジナルなわけがないじゃないですか、少なくとも僕のブログだけで見ても、2005年11月2006年1月の、漫才の感想でも簡単な言葉ですが、「手数」について触れています。少なくとも僕は、2005年末ぐらいの段階では、漫才を語る際において“手数”という用語を使うのは、特別なことではない、その時点で常識的な概念としていたのが分かる。
僕は関西にいて、テレビの漫才賞レースの文化に育っているから、審査員が漫才を論評する言葉に、多く触れてきているから、“手数”というのを漫才評に織り込むのは、別に新しい概念ではなく、一般的なものでしょう。リーダーだって、ラサールさんだって、もっと前から“手数”についての言及はしている。こういったものは論文にして発表した人が、オリジナルを主張出来るという考えがあるのかも知れないけど、そんなものがあったとしても、それは学問やってる人の中だけの常識でしょう。
僕が一番印象深く覚えているのは、2004年のM-1の後で、トミーズのラジオで雅さんが、笑い飯をゲストにして、アンタッチャブルの漫才について、とにかく“手数”の多さを絶賛して、「あれには勝てない」という話をしていました。トミーズ雅サンキュータツオの盗作をしたのでしょうか?
ということで僕は、サンキュータツオが言い出したから、広まった概念というのには、異議を唱えたいです。それは昔から漫才を語る、論評するときには、あった概念ですよ。あと僕は問題になっている、サンキュータツオの主張と、お笑い評論家の記事は切り口は似ているけど、全く別の結論になっていると思うので、全てを盗用しているという主張も薄いと思います。

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僕は結構前から、漫才について、手数という切り口で語っていますが、それについて僕が元とは主張しません。僕は基礎常識と思って、このワードと切り口を、2005年頃から使っています。

それは違うよ西野くん : ラサール石井の鉄板少年らさある

しかし僕みたいな雑魚の話はおいといて、プロの芸人や評論家で漫才やM-1の評論において“手数”という概念をきっちりと出した、最初の一人というのは、どうしても誰かに認定しないといけないのなら、僕はラサールさんだと思います。

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