アクセスを稼ぎたいのならツッコミ所を残しておくというのが一番

先々週に東京に行った際に、某ブログをやっている人と話をしたときに、「ツッコミ所がある方が、アクセスやブクマを稼げるのは分かっている、実際に狙ってやって成功したこともあるけど、やはりどうしても綺麗にまとめてしまう」というような趣旨の話になりました。基本的にブログをやっていて思うのは、自分で自分のことを褒めてあげたい、というようなお上手なエントリーを書いたところで、それがホットエントリーになったり、話題になったりすることはあり得ません。ブログでアクセス稼ぎたかったら、読み返したときに「あーこれは勘違いする人がいるな」「誤解を招きそうな表現だ」というものを、積極的に残しておけばいいのです。それが良いことか、悪いことかはおいといて、どうしても伝えたい事があるときは、そういう所に拘って突っこんでくる人が沢山いることを覚悟して、そういう文章を書いて本論の伝えたいことはきっちり書いて、読ませたいものを読んで貰えば良いんです。

404 Blog Not Found : 言論の質は誰が決めているか

だから現在の「ブログ記事の質」という話は、いまのネット界(特にはてなブックマーク2ちゃんねるなんだろうけど)は、全体的にツッコミ文化になっているから、記事の質ではなく、いかにネタになるかという方が、ネット言論市場のようなものが求めているから、質云々という話には、やはり多少のズレがあるんだと思う、いまブログの読者は、その記事がどれだけ秀逸な見識や情報があるかより、その記事をベースにどれだけ広がれるか、繋がれるかといったことに需要のキモがある。

『言論の質』という曖昧な言葉に惑わされない為の信念*ホームページを作る人のネタ帳

そもそも論として、この手の質の話というのも、本当にブログとか始まった頃からされているけれど、基本的には「それを読んで満足している人がいるんだから良いじゃないか」で終わりだと思うし、「Geekなぺーじ」さんが解説していることは、全部今更な事ではあるけれども、こんな今更な事をまだ言わなきゃならない、いやこれからも定期的にブログ書いてる人は言わなきゃいけないんだ、ということには顔に縦線の気持ちになります。

言論の質が誰よりもひくいYamadaのブログでも、面白いといってくれる人が何人かいるのですから。
『言論の質』という曖昧な言葉に惑わされない為の信念*ホームページを作る人のネタ帳

基本的には自分のブログを「質が低い」と言ってくる人たちよりも、いま喜んでくれている人達に、さらに喜んで貰えることをブロガーは考えればいいとは思う、新規顧客を開拓する必要なんて商業メディアでないのなら、気にすることはないんですからね。儲からないから手を抜いて質が低いのではなく、儲けるつもりがないから好きなことをして、自分が好きにやってるのを見て喜んでくれる人達がいる、ではその人達のためにぐらいは、ちょっとは考えてやってみるぐらいの循環で良いのではないかと思い出している。
大体が「質の低いブログが許せない」というのは、「じゃあ読まなきゃ良いじゃん、見に行くなよ」で本当は終わる話が、「質が低いブログが人気なのは許せない」というのは、相当に歪んだ正義感だと思うし、これもまた面倒くさい善意の一つです。「自分が質が低いと思っているブログが人気ブログになっている許せない、お前もっと質の高いエントリーを書け」と言ってくるのは、マンガの絵は巧くないといけないと考えている人が、福本伸行に「売れてる漫画家が、こんなに絵が下手なのは許せない、もっと絵が巧くなれ」と言うてるようなものだと思う。自分は読まないから構わないと思えないのは、ある種の子供じみた感情を感じる。

おごちゃんの雑文 ≫ Blog Archive ≫ しょせんブログだろ?

そもそもこの一番最初の話のきっかけは、タケルンバさんのこの件が発端だったんですよね、その席の会話も概ねで「おごちゃんの雑文」さんが書かれているのに近い話になった。詰め込みが甘いなんて言うのは、趣味で無料で書いているんだから当たり前だし、もっというとそういう記事だからこそ、みんなそこからさらに叩き台の議論も出来ているし、ツッコミたい連中が沸いてくるから、このエントリーは話題になったわけです。本当に僕とかラリー遠田とかタケルンバとかにづかこたろうとかにクオリティを求めるな、いやラリー遠田にクオリティを求めるのは良いよ、ただ求めるのならブロガー・ラリー遠田ではなく、ライター・ラリー遠田の記事に求めよう。とりあえず僕は自分が有料媒体で書くような人間になったら(いやならないよ)、こんなブログには告知しか書かなくなるよ(笑)。もしくは深く考えていないことを、ちょっと書き散らしたい時用にする、以前にも書いたように「ブログはカラオケ」だと思っている。だから競馬ファンの皆さんも、有芝まはる殿下が、競馬の話をするときにアイマスなんていう分かんないもので、比喩を披露しても黙って聞いて手拍子しておけば良いんです。そこでアイマスに一人でも興味持つ競馬ファンが出たら、それだけで充分成功なんですよ。

ああいった、考えてそうで実は詰めの甘いものというのは、要するに「議論」や「考察」のネタなのだ。甘い甘いとdisってる暇があったら、もっと資料を集めて来ればいい。これは「文句があったら自分でやれ」というわけじゃない、
おごちゃんの雑文 ≫ Blog Archive ≫ しょせんブログだろ?

そうもうブログ記事というのは、ネタなんですよね、それが大部分の書き手と結構な数の読者には、ある程度は共有出来ている認識ではあると思う、しかしこの記事の「しょせんブログ」という表現も、誤解と歪曲がされているように、どれだけ丁寧に親切に書いてあげても、誤解する奴はすると考えたら、そこの質を上げるのに時間を割くのは、やっぱりリソースの無駄という気がする。

「俺、こいつよりも頭いいんだぜ」とでも言いたげなブコメを並べる暇があったら、その「頭のいいところ」を見せてくれればいいのだ。「詰めが甘い」と言うなら、甘くないところまで詰めたものを見せてくれればいいのだ。「優越感ゲーム」みたいなオナニーは、一人で自分の部屋でやっていればいい。
おごちゃんの雑文 ≫ Blog Archive ≫ しょせんブログだろ?

確かにネットやっていて、一番アホらしいのは、頭の良い人の自己アピール的な他人叩きだよなあとは、前々から感じてはいたけれど、自分は2ちゃんねるに寄りつかなかった人なので、感覚的にしか分かっていなかったけれど、はてなブックマークによって完璧に実感しましたよ(笑)。
現実にタケルンバさんもこういう書き方しているから、「南阿佐ヶ谷ギークカフェの展望」なんてシリーズ記事も書くこと出来ているわけですからね、これはもうブログ書き手のスタイルの問題でしょう。*1
ということで、このエントリーを「お前等のためにツッコミ所残してやってるんだぜ感謝しろ」というような、上から目線の頭の悪い痛い人風に締めるか、もうちょっと無難な感じに「ということで面白がってる読者のために書いている」という感じに締めるか、でも今後は気を付けましょうね、というような感じで締めるのか悩むところですが、ただ例えばキンコン西野ブログとかのブクマやコメントのされ方見ていると、圧倒的に前者みたいなこと言うてる方が、話題になるし、そこから議論の発端として話が広がるんですよねえ、最も色んな変なものもいっぱい付いてきてしまいますが。

嗤うより嗤われよ - タケルンバ卿日記

でも基本的にはこうありたいなと、こうあるべきでいたいなと思う、他人を嗤いものにして自分を優位に立たせるよりは、嗤いものにされても良いから、他人に嗤われないように生きて、他人を嗤いものにして自分を高く見せるよりは、嗤い者になっている方が楽しいと思いたい。
あと心理学者みたいな人に言わせると、他人を弄って笑いを取る芸人より、弄られてる芸人の方が、母性本能を擽られて、女子に持てるそうです(微妙に棒読み)。

今は真逆だけどな。 - Scott’s scribble - 雑記。

しかし自分はついダラダラと言い訳しちゃうけど、多少舌っ足らずで誤解招いても、思いついたことを一言で済ませられるようにはなりたい。「一言で言うと」で、全てのことを語れるようになるのが理想、無理だけど。だってこの記事を一言で言うのは思いついたけど、それ書くと絶対に荒れるもん(笑)。
ということで、この手の話題の時はいつもそうだけど、特にまとめずに終了します。

*1:しかしこうやって少し擁護風味みたいなこと書くと、すぐに信者みたいな安易なこと言い出す人がいるのは、本当に頭悪く見えるから止めようね、物事は常に是々非々です。僕もロードのブログエントリーで、これはダメだと思うときはあるけれど、友達相手に人前で声高にそんなことはいちいち言わないだけです。