M-1前にネットで流れていたダイノジとキンコンの動画が凄かった

ダイノジは直前の「ダイノジの60分」での、M-1語りも凄く面白かったようですが、これは面白いなあ、フルはまだ見られるのかな?

YouTube - ダイノジのM-12008前夜祭・やらせ疑惑と劇場の大切さ


もうなんか世間の八百長出来レース説を、一発で打ち砕いてくれるような事ばかり語っているんですが、だって審査員からしたら、仮に八百長やブックが存在したとしても、そういうテレビ局や吉本からの指令よりも、自分の価値観を提示する方が大切、別に吉本に逆らったところで、今後のタレント生活に師匠のない人達が、並んでいるんだから、決勝の結果が左右できる訳がないですよ。
吉本の芸人がM-1に多く残るのは、「吉本が劇場あって、吉本芸人は場数が違うから、漫才師が育つのは当然」というのは、僕ももう何年も前に書いたことですが、こういう事をダイノジのような人達が重ねて言わなきゃいけないというのは、少し情けない感じがする、これほどの人達に、ここまで説明させてしまうのは、ファンや批評家の怠慢ですよ。ただ吉本がマイノリティの芸人を孤立させないというのは、東京だけ、いや大阪だともうベテランだけの世界に、少しなりかけていますけどね、吉本は中に入ってから孤立することは出来るけど、中に入りきれないと、南野やじとかパプア。みたいに他事務所に行くことになる。2丁目WACHACHAブーム以降の吉本文化は、また少し違うモノになっている。
いや本当にヤラセとか贔屓とかいう奴は、面白くないよね、つまんない。そんなに不満なら、M-1なんか見なきゃ良いのにね、正しいとか正しくないとじゃなく、つまんないですよ。まあ賞レースによっては、本編がそんな意見よりも、つまんない時があるのも事実なんですが(笑)。
さて、ここまでがダイアンが素晴らしい話、ノンスタについて語っている動画もあるけど、それはまつ別立てにします。続いてキングコングが素晴らしい話です。

ラジオでぶっちゃけすぎのキングコング‐ニコニコ動画(ββ)


まず西野がネットのアンチにニコニコのコメントでもボロクソ書かれていますが、まず最初に言えるのは、これ明らかに西野より、梶原の方がシュートなこと言ってるよね(笑)、結構梶原の言葉の方が少ないのに厳しい、でもこれで西野叩き一色になって、梶原叩きが少ないというのが、いかに今のアンチ西野という現象がおかしな事になっているか、というのが非常によく分かります。あとラジオは「放談」してもいいものだというのは、前にも声優さんのラジオ発言が元で、ネットが荒れたときにも表明済なので、それについても抑えといた上で書きますけど、この発言がなんでこんなに問題視されるのかが分からない。
だって笑い飯というか、笑い飯グループの「WEST SIDE」批判とかがギャグで、キングコング笑い飯批判はギャグじゃなくてマジだ、なんていうことは絶対にないというか、少なくとも笑い飯陣営がどういうニュアンスでそういうこと言ってるかを、ここでコメントしている人達の多くは、聞いていないんだから、判断できることでもないでしょう。
少なくとも僕はバッファロー軍団の(もちろんバッファローさん当人はそんな事は言ってないんだけど)一部の下っ端芸人による、ナイナイ批判、キンコン叩きというのが、度が過ぎていることは、もうこの十年近く見てきたから、キングコングがこの程度の反撃したところで、今まで言われてきたことの1/100もやり返していないと思います。
というかこれがギャグなのか? 本気なのか? という話が盛り上がっていますけど、おそらく両者共に、本気でもあり、ギャグでもあるんでしょう。キングコングだって、笑い飯だって、別にお互いのことを「共演したくない」とか「一緒に飯も食いたくない」とかいうぐらいには、嫌いじゃないと思いますよ、おそらく流れがあえばM-1の楽屋裏で、ミニコントするぐらいの仲ではあるでしょうし、お互いの現在のポジショントーク的な面もあって、嫌いと言わなくてはいけない面もあるし、双方のファンだってそれを望んでる向きもあるでしょ? 笑い飯キングコングが仲悪いなんてビーフは面白いし、少なくともかつてあったダウンタウンとトミーズとか、千原とナイナイとか、雨上がりとナイナイとかよりは、よっぽど健全なやり合いですよ、というか笑い飯側の一方的なものにしなかったことで、まだ洒落になっているから、キンコンは良く返したと思う。というかね、梶原の理由を聞いていたら、僕は笑い飯の方が若干の非があるように思っているけどね。
にづかさんが以前に「アイドル芸人と非アイドル芸人の逆転現象」として解説していましたが、そういう現象を引き起こしている理由の一つに、「非アイドル側芸人」による「アイドル芸人批判」というのがあるんですよね、松本人志しかり、千原ジュニアしかり、笑い飯とか小籔千豊とかが、どこまで本気で言ってるのか、ギミックのつもりなのかは計れないのですが、例え本気であろうが、ギャグであろうが、それを本気に受け取って、とんねるず清水圭やナイナイやキンコンやノンスタを、さもお笑いの敵かのように叩くファン層というのが、大阪や大阪のお笑いが好きな人達の中に、一定数以上いつも必ずいる状況になったし、それが「アイドル芸人と非アイドル芸人の逆転現象」として、あまり良い効果をもたらしていないように思うのです。まあこういう状況を作ったのは、間違いなく松ちゃんの週刊朝日の連載なんでしょうが、今更「あれは冗談だった、みんな軽く読んでほしい」と言われても遅いんだよ!!(笑)
少なくとも言ってる方はギャグのつもりでも、自分たちのことを神聖化しているファンがいて、それをありがたがって神聖化して行動するファン層が、一定数以上いるにも関わらず、そういうことを歴史として繰り返しているのは、やはりいかがなものかと思うし、ナイナイやキンコンがラジオで言ってるぐらいの反論は、しておいても良いんじゃないかと思っております。言われっぱなしにしておくべきではないですよ。というかナイナイは、そろそろ「めちゃイケ」に千原兄弟を呼んで、千原ジュニアを洒落にならないドッキリにはめるべきですよ、有野さんにあたっている場合じゃない(笑)。
最後にもう一度、これがおそらく生放送ではないラジオ番組でのコメント、ということをベースに話しますけれど、キングコング本人はともかく、ラジオ番組には、テレビ局のスタッフもいれば、構成作家もいれば、吉本のマネージャーや制作スタッフだって現場にいるわけですよ、それがこのパートを放送してもOKと思ったからこそ、放送に流れている訳なんですよ、そういう事は普通に楽しむ分には意識しないで良いことだけど、ネットとかに感想を書いたりして楽しむ分には、もう少し認識しておくべきなんじゃないか? という風に思うのです。この話はこの後のM-1の感想でもまた触れます。
まあでもこういうのを受けて、マニアックな見方として、笑い飯より先にキングコングM-1勝ってほしい、NON STYLE笑い飯より先にM-1勝って良かった、という風に芸人の物語性を考えている人は、少数じゃなくいるだろうなと、改めて思いましたね。

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