「第15回ABCお笑い新人グランプリ」1994年1月15日放送分

難波で用事と用事の間に時間があったので、ワッハ上方の資料室で、前に第13回を見た、「ABCお笑い新人グランプリ」の過去放送を見てきました。本当は第14回の放送を見ようと思っていたのですが、一年間違えてしまいました。まあこの回も次に見ようと思っていたので、問題なかったのですが。
出演は水玉れっぷう隊、TKO、千原兄弟、誉、のイズ、ダックスープますだおかだジャリズム、アップスタートの9組。アップスタートはダブルダッチの田中つよし最初のコンビです。ちなみに予選参加者は漫才・コント26組、落語家9人という、現在は100組以上がエントリーしていることを考えると、物凄く少なく感じてしまう(笑)。あと予選から文化人が何人も審査員にいたのは面白かった。得にますだおかだは、この面子の中でズバ抜けて無名の存在だった。
この年の前評判としては、当時の記憶を考えると、前年に惜しくも賞を逃した、当時は大滝エージェンシー所属だったダックスープ、そして千原兄弟ジャリズム水玉れっぷう隊という、この後に空前の「2丁目WACHACHAブーム」を起こす人たちに、松竹のTKO、のイズという辺りが最優秀賞候補者で、他の出演者は、この時点では来年に向けて良い経験を積んでほしい、という立ち位置だった。
司会の宮根アナが若いということもあったりしましたが、審査員は藤本義一高田文夫三林京子古谷三敏、ABCの三上さん、という面子で、これがなかなか良い面子なんですよね、古谷三敏は『おそ松くん』『天才バカボン』時代の赤塚不二夫のブレーンの一人で、『ダメおやじ』『寄席芸人伝』の作者、三林京子は後に米朝一門に弟子入りして、落語家になったぐらいの演芸好き、そしてこの年から高田文夫のような東京の業界関係者も呼ぶようになり、審査委員長はこの時代は藤本義一の頃ですが、いま審査コメントを改めて聞くと、かなりまともです。「二年ぐらい前から、漫才とコントという境がなくなっている」という、現状の分析などに光るものが多かった。簡単に九組の感想なんですが、でもなんでいつもは十組なのに、九組だったんでしょうか? 誰か予選から決勝までの間に解散したり廃業したんでしょう? 採点はいつもの5点満点、+-補正付きです。

水玉れっぷう隊 漫才「ラブレター→一人カラオケ

当時の鉄板ネタで、僕もそのころはかなり笑った覚えがあるんですが、いま30男になって見ると、かなり厳しいものがありました。そりゃ当時、男に全く人気無かったはずだわ、僕はまだこの頃は子供だったから、気にならなかったポイントが凄く見えてくる。時代が違うから、受けなくなったと言ってあげたいけど、それが言いにくいのは、一人カラオケでケンが「走れ正直者」をノリノリで唄うというネタは、今でもたまにやってるから、それはフォローにならないし(苦笑)。この頃から大応援団が客席には既に陣取っていたのですが、お客さんの盛り上がりもイマイチでした。
あと司会のアナウンサーの紹介コメントが、本人達が舞台に出てきても、まだ続いているという段取りの悪さがあって、それで少し動揺していたのは可哀想でしたが、ただこの二年前のこの大会では、ナインティナインが漫才なのにセンターマイクが出てこない、という悪条件の中で最優秀賞かっさらっているので、トラブルを笑いに変えられなかった、おいしいトラブルに出来なかったことも、本人達の力量というべきなのでしょうか。1+

TKO コント「ショートコント」

呼び込みの時の紹介コメントが、「センスの良さとお洒落なルックスがあり、TKOです」という、まあ所謂アイドル時代ですね(笑)。DJのミキシング風のブリッジのショートコント、TKOって賞レースではいつもこんな感じだったなあ、という事を思い出しました(笑)。
しかしTKOだけでなく、今回の出演者がほぼ全員そうだったのですが、もうみんなイキリ過ぎですわ、イキっている上にみんな地味だから、その割に緊張しているのに、それを見せたくないと虚勢も貼ってるから、目つきの悪い連中がみんな挙動不審という感じで、オープニング並んでいて、ちょっと見ていて心配になりましたもん、そうじゃなかったのは、ジャリズムの山下と、現在ダブルダッチの田中ぐらいでした。2-

千原兄弟 コント「列車のアナウンス」

もうそれぞれのこの時代の代表作が続いて嬉しい(笑)。いやしかしこの頃のイメージを引きずっているのなら、千原せいじが下手で不器用となっているのは、仕方ないと思ってしまいましたよ、一つ一つの動作や台詞が、とにかくわざとらしい、大げさ、声がでかすぎる、といった徹底的に不器用っぷりをさらけ出していたんですが、それでもネタ終わりの司会の三枝師匠とのトークになると、堂々と三枝さんとやり取りしているんだから、せいじさんって改めて面白いなあ(笑)。その三枝さんとのトークの時に、どうもジュニアは「兄はこんなダメな奴なんですよ」という、いつものトークをやりたそうに話に入っていくんですが、そのジュニアが緊張して挙動不審な感じだから、全く伝わらない(笑)。初めて見た人には、「お前の方が変な奴だろう」って思われたと思う、あれは。オープニングで九組並んでいる時にも、三枝師匠はみんな黙って並んでいる所で、自然とせいじを弄りに行ってたし、なんかそういう匂いってあるんでしょうね。
しかしこの時期は「ダウンタウン病」の深刻さというのを、オープニングで感じましたね、三枝さんが出演者に話題振ったり、アンケート的なことをして挙手を求めても、誰も反応しないんですよね、ネタ以外でそういうアピールするのが、格好悪いという病が、当時どれだけ深刻だったのか、というのが良く分かりました。あんまり誰も手を挙げないので、仕方なく一人挙げるということになったのですが、それがいずれも、木下と田中という松竹芸人だったのは、何とも言えなかった(笑)。3-

誉 コント「ホームルーム」

クラスメイトがバイク事故で死んだ翌日の教室、もう当時の鉄板ですね、ここに来てようやく見ていて辛くないネタが来ました(笑)。正直いまのお笑い番組に、このまま持ってきても古くさい印象はあるでしょうが、そんなに遜色はないネタでした。翌年の優秀新人賞ですが、この年に入賞していても良かったのでは? という風に思ってしまいました。4-

のイズ コント「フォークの神様・ジュニーのコンサート」

どうしてのイズは、ABCで賞取れなかったんだろう? ということはずっと思っていたのですが、このネタやってたんだ、そりゃ取れないわ(笑)。いまワッハのインディーズライブとかで、よく見かけるシュールを勘違いしているコントでした(笑)。何で当て振りやらなかったんだろう? ネタの中でも「ウルグアイラウンド」を「ウルグアイランド」と言い間違えていて、さらにツッコミで「あれはランドって言ってるけど、国じゃない」と突っこんでいて、もう二重に間違えていて聞いていて恥ずかしかった。のイズみたいなネタやってるコンビが、こういう言葉の間違いはイカンですよ。3

ゲスト漫才

賞レースの予選中に、ゲスト漫才を挟むという、いまでは考えられない鬼の展開(笑)、しかも当時は決勝は一発勝負だったのに、凄い事するよなあ、朝日放送(笑)。ゲスト漫才は前年の優勝者のやるじゃねぇかーず、7年前の優勝者のどんきほーて、そして第4回の優勝者の大助・花子でした。
やるじゃねぇかーずは、矢部は男前だとは思ってなかったけど、そこそこシュッとしている記憶があったんですが、いま見たらレギュラーの西川そっくりという所が、とにかく気になりました(笑)。漫才のスタイルは、今の見方で見ると、完全にますだおかだと同じですね、ボケがシュールで暗い感じなのがオリジナリティですが、しかし漫才の形は完全にますおかと同じで、ツッコミが現在のせいじさんに近い感じで、だからあれがこの時期の漫才師の流行だったんでしょう。ネタはこの時期にやりまくっていた「ヤベゴロー」でした。この後のジャリズムのネタの時もそうだったけど、ネタ振りの段階で、客が「あーあのネタ始まる」って感じで盛り上がっていた(笑)。
次のどんきほーては、まだこの時期で9年目とか10年目ぐらいのはずなのに、いわゆる若手芸人臭というのが、ネタにもキャラにも全く無し、落ち着いてるといえば聞こえは良いんですが、やってるネタも漫才のスタイルも、完全に今日の予選出場者や前年優勝のやるじゃと比べても、一世代古い感じでした。年代的にはそんなに離れていないんですが、例えばいまのbase芸人と千原やますおかの方が、実際の年数は離れているけれども、こっちのほうがまだ近くて、どんきほーてと千原やますおかの方が、年は近いけれどもやってることの世代差がある印象を受けました。いまだったら、浮世亭なにがし、みたいな漫才師さんしかしないような漫才でした。いやそりゃこの路線でやってたら、きびのだんごも限界感じて辞めたのも無理からぬ事かなと思いましたね、そしてこの路線の漫才を、当時選択していたあさり・かつおとか、トクトコが生き残れなかったのも、仕方なかったんだなあと考えさせられました。当時の大阪って、ダウンタウン路線と、東京風コント路線と、トミーズ路線と、けんた・ゆうた&どんきほーて路線という四つのラインがあって、前の二つを選択した人たちは、一部が売れて、残りが消えた、トミーズ路線を選んだ人たちは、みんなそこそこで生き残った、そして最後の一つを選んだ人たちが、親玉も含めてまとめて消え去ってしまった。
最後は大花ですが、ここは僕もそんなに見る気なかったんですが、視聴覚室の機材が早送りできなかったので、流し見していたんですが、当時ぐらいから既に、後々に問題になる、若手芸人目当てで来た女子の客が、師匠クラスの漫才の時には、きちんと見ないという風潮が始まっていたのですが、そんな中で後半まさかのシモネタ満載漫才で、一気に客を引きつけていたのは、なんか凄かったです。もう完全に今に至る形が完成していました。
この三組を挟んで、予選に戻りました。

ダックスープ 漫才「ボヤキ漫才:CM→テレビ番組」

客席は七割が吉本のファン、残りが松竹のファンという中で、大滝エージェンシーダックスープということで、当時のナオユキさんの雰囲気もあって、最初はお客さんあんまり入ってなかったけど、ネタが続くうちに完全に持って行きました。僕はこのときリアルタイムでは、「去年の段階で最優秀でも良かったのでは?」という風に思っていた記憶もあったのですが、いま見ても、ネタが「工藤夕貴のチョーヤの梅酒のCM」とか「宜保愛子の心霊特番」だったり、時事ネタのボヤキ漫才ということで、題材は当然古いんですが、四年目とは思えないスタイルの確立があって、凄い面白かったです。
ネタ中にあんまり審査員をカメラが抜いたりしてなかったのですが、高田文夫が凄く笑っている所を捉えていましたし、審査コメントでも高田文夫は、ナオユキさんをビートたけしと比較して褒めれば、司会の三枝師匠は、宮崎さんのことをツッコミが上手いと絶賛していて、普通に最優秀賞は決まりか? というようなムードになっていました。実際に僕も一番面白かったです。4+
しかし久し振りにダックスープを、若い頃のネタとはいえ見て、せっかく不遇の中堅時代を乗り越えて、そろそろベテランの域に入ってきて、漫才にも違う魅力が出てくる矢先に解散してしまったのはもったいない、何のために松竹に移って、不遇の中堅時代を我慢したのか、ナオユキさんは現在えらいことになってるし、宮崎さんもスナック経営の方がメインになってる感じで、こんなに実力のある漫才師がもったいないと、切なくなってしまいました。角座の昼席とかに出ていた時代に、一度は見ておくべきだったなあ。

ますだおかだ 漫才「漫才師よりミュージシャンの方が格好良い」

いまに至る、この時代に確立した新しい漫才スタイルの片鱗はあるのですが、なんか僕は当時本当に、ますだおかだの最優秀新人賞に納得したのか? と思わず唸ってしまいました。確実に笑いの量も完成度も、一つ前のダックスープとは比べるまでもなかったし、岡田さんが壮絶にネタ飛ばして、前半グダグダな所もありましたから、三枝師匠はネタ終わりのトークで、「ネタ飛ばした箇所、気付かなかった」と言ってましたが、あれはみんな分かったと思う(笑)。
でも結果的に、ますだおかだの最優秀新人賞というのは、大正解だったわけで、この段階でポテンシャルとか、新しさを評価して、最優秀をますだおかだにしたというのは、審査員の彗眼ですよね、だってこの時期のますだおかだだったら、この9組に入ったら、9番人気の無印の一番実績も知名度も低い出演者だったはずで、それでこの漫才でポテンシャルを見出して、最優秀新人賞取らせたというのは、素直に凄いなと思いました。二年前のナイナイもダークホースが、ポテンシャルを買われて最優秀って感じでしたが、それでもナイナイは、まだこの頃のますおかよりは露出してましたからね。
あと増田さんはそんなに変わっていないんですが、岡田さんは芸風はもちろんですが、風貌もいまと全然違っていて、とても「イケメン芸人」に選ばれる感じじゃない(笑)。三枝師匠にも増田さんが「君の相方は芸人らしい、おもろい顔してる」って弄られてたし。ナイナイ岡村織田裕二のモノマネのメイクみたいな顔してました。4+

ジャリズム 漫才「外人の銀行強盗」

当時は銀行強盗のネタ二つありましたけど、「ぬぴょーん」の振りから始まる方でした。正直、僕が審査員だったら、ここを優勝に推したかも知れないぐらい、ジャリズムはコンビとして完成していましたね、もう山下さんは完全に現在の山下さんでしたし、ネタもいまの世界のナベアツに通じる内容、ただこのネタの中途半端な所で終わる感じ、本人達は落としてるつもりかもしれないけど、全くオチになっていない所が、いざ実際に審査員としてやっていると気になる所でしょうね、もうちょっと続きそうな所で終わってしまう。5-
あと渡辺鐘はいまでもそうですが、緊張していたら頬をかく癖がありますね、今日の「ロンドンハーツ」でも、ドッキリのVTR見せられながら掻きまくっていたけど、この日もずっと頬かいていました。それに比べて山下が堂々としているのは、千原の時同様に面白かったです(笑)。プライベートでどれだけダメ人間か知らないけど、芸はダメじゃないところは、きちんと認めるような転がし方してあげないと、山下本人だけでなく、ジャリズムというコンビが損してしまう。

アップスタート 漫才「ヤンキーの喧嘩」

ボケの方がツッコミの田中と比べて、自分は太っているとかブサイクという話から、自分は不良だったから、喧嘩のやり方を教えるといって、喧嘩にならないみたいな、当時よくあったタイプの漫才でした。自分が不良だったと言ってる奴が、全然不良だった風に見えないという変化球だったんでしょうが、上手いけど弱かったですね。3+

総括

ということで審査結果は、最優秀新人賞がますだおかだ、優秀新人賞が千原兄弟ダックスープ、審査員特別賞は水玉れっぷう隊ジャリズムでした。ちなみに誉は翌年の優秀新人賞、正直、千原兄弟ジャリズムは逆だと思った。当時もそう思ったけど、今回見ても思いました。あとますだおかだダックスープは逆でも不思議じゃなかった。
ネタ後ろに点数書いていますが、自分が実際に審査員していたとしたら、ますだおかだジャリズムダックスープの三組ですかね、一組入れ替えるとしたら、ジャリズムを誉に変えるかな? というか、ジャリズムは芸歴的に来年も出れたから、ここで審査員特別賞を取ってしまったのはもったいなかったかも、翌年はレベル低かったから参加資格が残っていたら、最優秀新人賞も狙えたかも知れない。ただ千原兄弟が上位三組の出来ではなかったと思う。
ただダックスープますだおかだジャリズムで並べると、前半のグダグダでますおかは減点、オチの弱さでジャリが減点で、自分はやっぱりダックスープを推したように思う、というかますおかとジャリズムは来年に期待でどっちか見送って、誉を入れていたかな?
ダックスープは、直接的に笑わせるというよりは、センスを見せるというタイプのコントが続いた後で、正統派のしっかり笑わせる漫才という出番順にも恵まれました。ただ少し古い形式の漫才だったのが、その後のますおかの印象を、審査員にはより良いものにしたのかも知れません。
しかしダックスープはあの芸風で続けていたら、ティーアップ、TKO、矢野・兵動みたいな復活が、今頃あったかもしれないので、やっぱり少し解散は早まったかなあと思いますね、まあでもナオユキさんの今の芸風考えると、難しかったかも知れませんが。
ますだおかだの話をしたかったんですが、なんかダックスープの話ばかりになってしまいましたし、ジャリズム千原兄弟の方が書くこと多かったですね、ジャリズムはナベアツが垢抜けたぐらいで、もう完全に今のジャリズムが完成していましたね、というかやっぱり山下は漫才の芝居もツッコミも上手いですよ(笑)、やっぱり今のバラエティの山下の弄られ方って、少しおかしい方向に行ってると思う。当時の僕のジャリズムの印象も、山下の方がありましたからね、正直ナベアツは、この頃は誉の宇野と、あんまり差別化が出来ていなかった。それでもネタと山下のツッコミは完成していましたから、当時ジャリズム天素が東京に行った後で、すぐに台頭してきたのには理由があったんだなあと、改めて思いましたね。
一方で、千原兄弟はポテンシャルはありそうだけど、この時期は根本的に全項目で物足りない感じでしたね、ただ千原せいじが三枝師匠に、変に気に入られてるやり取りがあったり、そういう所でこの後すぐに「すんげー!Best10」のMCでの活躍という片鱗は見せていた。なんか改めて、千原兄弟って、せいじの人間的な魅力で支えられているコンビなんだ、ということも分かって楽しかったです(笑)。
しかし新人賞レースは、変化球みたいなのが続く中で、正統派が逆に目立って、賞をかっさらっていくという傾向が、この時期ぐらいから始まったんだな、というのも分かって興味深かったです。あと水玉れっぷう隊が、悪い意味で実はあんまり変わっていなかった(笑)。

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