批評の資格(追記あり)

ダメ出しの資格と、歌舞伎町|松野大介論

こんな今更で当たり前なこと、他のジャンルでは前時代どころか、前々時代的な批評論とか、指導論とかを、今更言わなきゃいけないという事に、この業界の旧時代的な感覚を見てしまう。まあこういう時代を作るきっかけになった、松本人志の感覚自体が、かなり前時代的ですからね、実は島田紳助明石家さんま、ビートだけしの方が、よっぽど開明的だったりする。
しかし松野さんも、きちんと書いてる内容を読まれないで、批判されるタイプだよなあ、基本的にエントリー事の文章量が多いタイプだから、簡単に他人を批判したい人には、きちんと読まれないで、書いてある説明していることを、前提とされずに批判受けてしまう。

マキタスポーツ | 観客本位

お笑い界には相変わらず「松本人志コンプレックス」が蔓延している。「内なるもの」に対する信仰である。

これは松本人志批判ではない、「松本人志コンプレックス」批判であり、そういった文章としては一級品のテキストです。またマキタスポーツが言ってることは、先日の福本伸行の講演で語っていた、「僕は描き上げて50%・読者が喜んで50%だと思っている。(以下、引用者略)」という感覚にも近くて、僕もこの考えは全面的に支持したい、しかしこれでマキタスポーツがもう少しメジャーで大衆受けしてくれていたら、もっと色んな人を黙らせたんだろうけど、でもまあ主張と批評に、そういう資格は必要ないでしょう。むしろああいう芸をしている人でも、こういう事をしっかり意識しているんだ、という美意識の方が、僕は格好良いと思う。
もう少しこの話題で踏み込んでいくと、「松本人志コンプレックス」派の芸人で、「自分は自分が面白いと信じてることをやるだけ」「分かる人にだけ分かれば良い」と芸人は言ってるのに、その芸人の取り巻きやファンが、「分からない」と言ってる人に対して怒る法則ってありますよね、あれは本当に意味が分からないだけでなく、それは自分が好きなその芸人の精神を、本心からは理解していないと思う、というか「他人の評価なんて意味がないから、気にしない」と言いながら、批判に対しては過剰反応している人が多いのは、凄い情けなく感じてしまいます。
まあそういう芸人本人が、「他人の評価は気にしない」と言いながら、過剰反応でピリピリしているような人は論外とはいえ、でも中には「大勢に面白くないと言われても良い」という姿勢を、ポーズだけかも知れないけど、きちんと貫いてる芸人さんもいる訳じゃないですか、でもそういう芸人さんのファンが、一般受けしないことに苛立ったり、「分からない」って言ってる人に対して切れてるのは、それは貴方が好きな芸人さんの姿勢に対して、ファンが泥塗っていないですか? というような事は思うようになっている。
なんか芸人さんがある程度、覚悟決めてやってることでも、ファンがその覚悟について行けなくて、そういうファンの声に、一度覚悟を決めたはずの芸人さんが揺らいでしまって、中途半端になってしまう、という状況が、最近特にお笑い界には、そういった事例が多すぎるように思うのです。やっぱり「みんなが面白いと思わなくても構わない、分かってくれる人にだけ伝わればいい」という芸人を好きになったら、それはもう自分以外は誰も面白いと思わなくても良い、その覚悟を持ってファンになるべきでしょう。マニアックなことをして面白いけど、世間に受けて欲しいという声を受けて、中途半端なことを、そういう芸人がテレビで無理矢理やっているのは、正視に耐えない時があります。そこでよゐこラーメンズ、インパルスのヨハン・リーベルトのネタのように、そのままマニアックなことを出来る人なら良いんですけどね。
でもそういう「好きなことをやりたい」というのは、「お笑いは自由だ、自分も周りもみんなもっと自由に、自分の思う通りにするべきだ」っていう考えだと思うんですが、先鋭的な人たちが「それが一番正しいんだ」って言い出して、逆に自由を奪っているのは、悲しいことだなと思ってしまいます。

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