閉鎖社会でのジャーナリズム

競馬サロン ◇ ケイバ茶論: ”大惨事”を喜ぶ面々

閉鎖的な業界で、閉鎖的な仕事をしていたら、こういう狭量な考えに陥ってしまうという、典型的なエントリーですね、なんでここまで言うかというと、トレセンや競馬場に出入りしている競馬カメラマンで、昔にこの人と同じような狭量の言い分を、繰り返している人がいたんだけど、その人にこの人が凄く似ているので気になっています。

競馬サロン ◇ ケイバ茶論: ”西高東低”がもたらすもの

これなんかもう完全に、生産者と美浦トレセンの中の人たちのことしか、考えていない典型のようなエントリーで、今年から阪神競馬場に、ジャパンCダートが移ったけれど、それまで新しいG1は秋華賞以降、新しいG1レースは全て東京競馬場で新設されて、阪神競馬場桜花賞阪神JF宝塚記念しかなかった。その宝塚記念は毎年のようにフルゲート割れして、札幌記念と夏のグランプリの位置を入れ替えようという議論が、定期的に行われるレースだし、同じ関西の競馬場である京都競馬場だって、関西圏で一番馬券が売れるレースで人気もあった菊花賞が、日程変更の時期ぐらいから骨抜きにされてしまうなど、G1レースという意味では、関西の競馬ファンは地元で見られるレースについて、良い思いをすることがなかった。
そんな状況で、しかも他人の言葉を借りて「阪神JF桜花賞のどちらかを関東に持って来なきゃダメだよ。」なんて書くのは、本当に自分たちの周りしか見えていない典型の言葉で、例えば「阪神JFと朝日FSは牡牝の条件を入れ替えるべき」というとか、「桜花賞オークスを交換しよう」という言い回しなら、ジャーナリストのブログの発言や提言として、面白い意見ということになるけれども、これは自分の周りしか見えていない、自分が出入りしている先の、利権代表者としての発言でしかない。まあその辺は、関西の競馬マスコミ関係者も、似たようなことを言う人が多いから、閉鎖的な所に長くいると、こういう狭い視野でしか物事が考えられなくなるんでしょうが。
結構考え方にそれぞれ開きがある三人ではあるけれども、須田さんと水上さんとノモケンさんが、現状の競馬マスコミに対する危機意識という点では、一致しているのは、こういう自分が出入りしている人たちしか見えない、閉鎖社会に馴れきった典型のような人たちが、我が物顔で競馬ジャーナリストとして、闊歩しているところにあるのは、三氏の書いていること読むと、それだけは一致しているように見えますが、こういう奴が現実にいるのなら、そりゃ正しい危機意識だなと思いました。
そのジャンルの専門のジャーナリストに、視野が狭い人間が多くなるのは、他のジャンルを見ても分かるように、そのジャンルに絶対に良いことではない。僕の知っている人もこんな感じだったから(同一人物じゃないか? という疑念も捨てきれないんですが)、こういう人がやっぱり多いのか、というのは不安に気持ちになります。