お笑い芸人にまず必要なのはキャラクターである

キャラとキャラクターの定義もしっかりしないといけないんですが、今回はそこまで回らないので、その辺の用語の選び方の徹底は不十分です。

改めてキングオブコント準決勝の天津のネタについて思う事。 - 一汁一菜絵日記帳

天津のオタクキャラに反対してらっしゃるようなんですが
向から「オタク」を取ったら、ただの「上手い事言うオッサン」になってしまうし
そんなキャラに需要は無いと思うので
僕は天津はオタクキャラでいいと思うんですが

別にこの話は天津に限らないんですが、そもそも大阪のお笑いファンって、いやもしかしたら最近の若手お笑い関係者も、お笑い芸人のキャラというものの必要性を、感じてなさすぎというか、下手したらお笑いにおけるノイズの一種のように思っている人も、いるんじゃないでしょうか? なんかニュートラルなキャラでいた方が、色んな事に対応出来るというような神話を信じていないかな? という風に思うんですよね、全盛期の頃のダウンタウンウッチャンナンチャンは、確かにそんな存在だったけれど、日本のお笑い、特にテレビお笑いの歴史で、そんな事をして成功した人たちって、この二組しか歴史上いないでしょう? でもそれはこの四人が突出した才能も持っていたし、そういう才能を求める時代の後押し、「ひょうきん族NEXT」を、特にお笑いファンというわけでもない人でも、強く求めて探していた時代背景という追い風があったし、結果的にこの四人ですら、その後のバラエティ番組での展開については、浜ちゃん以外はキツイことになってきている。
あとキャラっていうと、お笑いファンはすぐにアクセルホッパーとかギター侍とか「詩吟師範代」とか、そういうことだけを思い浮かべていそうなんですが、僕やにづかさんが言ってるキャラというのは、おそらくそういう事ではないんですよ、例えば阪神巨人なら「チビとノッポ」とか、いくよくるよなら「痩せとデブ」、カウスボタンなら「金持ちと借金」とか、あと「奥さんが強い」とか「弟が病弱」とか、そういうキャラ設定の重要性なんですよね、もう司会者になって久しいから、分かりにくくなっているけれど、「ひょうきん族」の頃までは、明石家さんまには「嘘つき」だけでなく「軽薄」というキャラ設定があったし、島田紳助にも「病弱の元ヤンキー」というキャラ設定があって、大御所漫才師にしても、テレビの人気者にしても、みなさん自分のキャラに沿った漫才をしているし、この基本設定を元に、それぞれコントのキャラクターを作っていた。
なんかお笑い用語として、キャラとキャラクターというのは分けて考えて、しっかり定義した方が良いような気がしてきた。ここを混同してものを考えるから、一概に「漫才師にはしっかりしたネタを堅実に続けていけば、キャラは必要ない」というような事を、言っちゃう人がいるんだと思うんですけど、でもベテランで大御所として、堅実に漫才続けている人ほど、凄いしっかりしたキャラ設定があって、そのキャラにあった漫才をしている人どかりだと思うんですけどねえ、僕はもう漫才とか見だして20年ぐらい経つけど、「ボタンの借金・女癖ネタ」以外のネタしているカウスボタン見た記憶がないんですが。やっぱりそのぐらい漫才師は、自分のキャラを大事にしないといけないし、またそうやってしっかり育てたキャラは、それこそその一ネタで、一生大御所として食っていけるだけのものに化けていく。
キャラを個性と言い換えても良いのかも知れないけど、なんかそういうキャラ設定というのを、大阪のお笑い芸人やファンは、本当に嫌がるようになりましたよね、それこそただの「上手い事言うオッサン」というのを、芸人もファンも求めている風潮がある。だから芸人に対して「キャラ頼り」なんていう批判の仕方が生まれてくる。まあそれは批評としてはあっても良いかも知れないけど、芸人としてそれを批判するのは間違っている、いま売れている人や、大御所として生き残っている人で、キャラクターに頼っていない人なんていない。という所から立脚するべきでしょう。
なんかいまの大阪の芸人が、みんながみんな「地味で無個性だけど達者」という所に、一斉に向かっていくチキンレースやっているような状況は、やっぱりあまり宜しくないと言わざるを得ないです。
結局ネタにキャラが見えない、というのはどういう事かというと、そのネタを違う人が演じても良いということですからね、それはやっぱり良くない事だと思う。せっかく芸人なんてやってるのなら、その人でしかできない漫才を求めていくべきで、そのために一番必要なものは、はっきりと個性を打ち出す事が出来るキャラクターでしょう。
お笑いマニアの人って、ネタの善し悪しという話になると、すぐに台本の出来の良さだけに話が行き勝ちなんですけど、でもネタの善し悪しってそれだけじゃないと思うんですよ、キャラクター、演技力、タレント性、そのネタが持つ時代性とか、その辺を全部ひっくるめて、始めて総合的にネタの評価であって、台本の善し悪しというのは、ネタの評価において一項目でしかない。という意味で「今日のbaseよしもと「bATTLEワラb」の結果」というエントリーでは言ったつもりだったんだけど、伝わらなかったよなあ(笑)。

今日のbaseよしもと「bATTLEワラb」の結果:昨日の風はどんなのだっけ? - 一汁一菜絵日記帳

いやこうやってにづかさんには伝わっているんですが、でもにづかさんに伝わっても仕方ないんですよね(笑)、だって元々同じ考えというよりは、にづかさんの言ってる事に、僕が影響受けてこういう事言いだしてるんだから、影響を与えた方は、分かって当然でしょう(笑)。
しかし20年前の吉本なら、まだダウンタウンの路線の他に、トミーズ圭・修を、例えばトミーズは2丁目劇場に出さないで、最初から花月で育てていくとか、圭・修は劇場に出さないでテレビ先行で、お兄さんキャラとして売っていくとか、そういう事が一昔前は出来ていたのに、ダウンタウン以降の関西のお笑いファンの嗜好もあるんでしょうが、そういう柔軟な売り出し方が出来なくなっているのは、残念だなと思います。漫才ブームの時に阪神巨人はブームに乗せないようにするとか、そういう戦略性って、吉本が数で勝負できるようになって以降は、見えなくなってしまったのが残念です。
いやでもダウンタウン以降の、大阪でダウンタウンが敷いたレールの話を、にづかさんが書かれていますが、ダウンタウンがレールを敷いてから、大阪では三回ぐらい、そのレールの上を走る大きな若手お笑いブームというのがありましたけど、どのブームも同じような人たちが中心になって、ブームの終演と共に寂しいというか、厳しいことになって、そのブームに、いまいち乗り切れなかった人が、すぐ直後に東京のテレビでブレイクするということを、繰り返しているのを見ているから、僕もにづかさんも、いまの大阪の若手芸人を取り巻く状況について、どうしてもポジティヴには慣れないんですよね、「あーまた同じ事繰り返している」という思いが出てくる、それはすいかさんとのこのやり取りにしても、根っこは同じ事だと思う。だって僕はもう確信持って「次に大阪吉本から売れるのは、スマイルとspan!だ」って、過去の経験から言い切る自信ありますもん(笑)。本当に二丁目劇場時代に、「キャラだけだ、ネタがない」と、ナイナイが叩かれてた頃に、いまの状況はそっくりです。その頃から賞レースやネタバトルの番組では、ナイナイの方が強かったんですけどね。
まあでも劇場に通うファンの嗜好性というのは、それはそれでその人が好きなんだから、僕は認められるべきだと思いますよ、ただその基準を外に持ち出すべきではないと思う、劇場内のランキングとか、ピラミッドというのは、あくまでも劇場の中での評価であって、そのランキングとかをテレビで売り出す順番などには、左右しない方が良いと思います。

「哲夫中西のすべらない話」:昨日の風はどんなのだっけ? - 一汁一菜絵日記帳

結局、全国でお茶の間に受ける大阪の若手というのが、いまならNON STYLE、プラスマイナス、スマイル、span!つばさ・きよしになるというのが、現実だったりするんですよねえ。

2 SANPACHI WA CHACHA2 SANPACHI WA CHACHA
吉本2丁目劇場出演者

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