オリンピックになると過度な期待を受ける競技

北京五輪で金メダルのアルゼンチン、そして柔道 - Blog版「蹴閑ガゼッタ」

そもそも近年の日本の男子柔道は強くありません。柔道という競技は、かつてシドニー金メダリストの滝本選手が仰っていたように、普段全く報道されないのに、五輪になると、急に日本発祥だからという理由で金メダルを期待されるから、期待と結果のギャップが発生し、それを不振だのなんだのと言われてしまうのだ、という悲しい性を抱えていることをまずご理解ください。。

結局、普段から柔道見ていない人が、突然オリンピックになった時だけ、過度な期待をかけているという状況があるんですよね、前々回の冬季五輪の時に、スポーツ新聞のコラムで、「五輪代表選手は全員、長野の山奥で何年も前から練習漬けにさせろ」みたいなことを書いていて、当時に友人が「お前が四年に一回、ちょっと愉しみたいだけで、選手の人生を大きく縛ろうなんて考え方が許されてたまるか」と、大きく憤っていたのですが、普段から柔道をはじめ、その競技のことを考えていない人が、四年に一度、自分がテレビの前で愉しむ為だけの期待で、結果に対して偉そうなことを言うべきではないよな、という気持ちは強くなってきています。

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駅伝、野球、講道館ルール、日本の日常のオリジナルを尊重するのと、二年や四年の一度の国際舞台で勝つことを両方求めている。それは厳しすぎるんだけど、普段の無関心と、晴れ舞台だけに過度な期待が集まることが、そのギャップをより濃くしている。