正義や倫理のためならば負けて良いのか?

吉本興業芸人 ぜんじろうによるブログ「ラフゼン」!: サッカーと野球

かなり無理のある文化論的な野球とサッカーの比較、Jリーグができたころはよく言われてたなあ、こんな時代遅れの、野球とサッカーの比較論ということ自体もどうかと思うんだけど、ぜんじろうは野球は公平なスポーツとしているけど、例えば同じ芸人でも、松本人志は野球で、始めてヒットで塁に出た際に、「隠し球」でアウトになった経験から、「野球の様な卑怯なスポーツは大嫌いになった」という事を、度々著書で語っている様に、ぜんじろうが書いている野球の公平というイメージは、ある一片の見方でしかないし(最も松ちゃんのこのエピソードは、小学生の野球で「盗塁や牽制、隠し球」をOKとするルールでやって良いのか? ということや、それをOKにしても牽制や隠し球でアウトになったことを、殊更に責める若年層の指導者の問題ということも、同時に抱えているのですが)、日本人の野球に対するイメージが、世界の野球のイメージは決してないという事は、韓国やアメリカ、キューバによって、今後日本は嫌と言うほど、国際大会で味あわされることになるでしょう。
あと、この中の「卑怯な事をして勝つくらいなら弱くていい」という意見には、日本人はうっかり同意してしまう人は多いと思うけど、それにも僕は同意できない。だって世の中には、負けた方が全員死ぬとか、負けた方が国民全員奴隷同然になる、なんていうレギュレーションでの戦いに巻き込まれることは、当たり前の様にあるんだから、「負けても良いから美学を追究するべき」なんてことは、現実的な死や奴隷状態を、自分自身が覚悟出来る上に、他人にそれを負わすことも、平気という達観が出来る人だけだと思う。
というか、こういう社会学的に、スポーツを語るという事自体が、時代遅れなんだよなあ。

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パオロ・マッツァリーノ

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