五輪のフェンシング競技を見て感じたこと

それは、別に柔道や競輪がの変革が、別に日本へのいじめや無理解ではないということです。

北京五輪 5日目 - 続・メガネのつぶやき

しかし、いつからフェンシングはあんなにハイテクな競技になったんでしょうか(笑)

ハイテクもそうですが、会場を暗くして、二人の剣士と戦うところ(なんていうのかわかんねえや*1)だけを照らす演出、そしてその舞台に映えるように、ヘルメットに表示される得点、太田選手の銀メダル獲得から一夜明けて、全国のフェンシング協会やスクールには、申し込みや問い合わせが殺到しているようですが、単に日本人がメダルを獲得した云々だけでなく、あれだけ格好良い演出の元で行われる試合を、これだけ多くの人が目にすれば、そりゃ「あんな格好良い競技をやってみたい(させてみたい)」と思う人たちが、沢山出てきても当然ですよね。
でもいまのオリンピックでやっているフェンシングは、明らかに伝統的なフェンシングとは異なる、近代スポーツとしてのフェンシングになっているし、現代のショービジネスとして、ショーアップされたスポーツ競技としての変革というのも、近代フェンシングが確立されて以降も、ショーマンシップとしての変革を経ているのは、今回の五輪で見ただけでも、簡単に理解することが出来る。
でもオリンピック競技として注目されるように、ショーとして魅せる演出やプロ化や商業化というのは、フェンシングのようにオリンピック競技として、第一回のアテネオリンピックから正式種目という競技ですら、時代の要求に合わせて変革している中で、柔道や野球のような、後発である上に、オリンピックとは違う文化圏発祥のスポーツが、変革を求められるのは当たり前のことなのです。
というかオリンピック自体が、ヨーロッパが発祥で、ヨーロッパ人が近代五輪として発展させ、ヨーロッパの歴史ある伝統である、ヨーロッパの文化であることを忘れてはいけない。伝統や文化を守れと言うのなら、オリンピックにおいて先ず尊重されるのは、ヨーロッパの方の理屈ですが、しかし彼らはフェンシングのような伝統的なスポーツにも、時代に適応する変革を求めてきた。
ヨーロッパでは盛んな競技で、五輪種目ではない競技がいくつあるのか、ヨーロッパの伝統スポーツである、フェンシング、自転車、サッカーが、時代に合わせて、どれだけの変革を求められ、それを実行してきたのか、それを考えたら柔道や競輪が、国際競技となったときに、本来の柔道や競輪と違ったりすることに文句を言っても、そりゃ通用しないですよね。それが分かっているからMLBは、野球が五輪競技でなくても別に良いという態度をとり続けている。ただそれがベースボールという競技を、国際的に発展させることが出来るかどうか、という問題を抱えていることは事実です。アメリカだけをガラパゴスにして、国際野球というのを発展させていくという可能性を、切り開いていくことは出来るかも知れませんけど、現状では、もし今後、国際的に野球がメジャースポーツになっても、第一人者のはずのアメリカと日本だけが、いつの間にかガラパゴスになる可能性も、僕はあると思っているし、そうなったらアメリカは柔軟な対応をしそうだけど、日本はどうなのだろうか?
例えば今後、国際的に柔道のプロ化とプロリーグの流れが出て、柔道プロリーグが出来て、クラブスポーツになり、総合プロスポーツクラブが、プロの柔道チームを抱えた時に、浦和レッズ柔道部の胴衣は、白なのか? 赤なのか? という問題が出てくるぐらいに、柔道が発展する方が、僕は柔道の未来は開かれていると考えます。間違いなく世界では、バルセロナアーセナルの柔道部は、白い胴衣は拒否するでしょう?

*1:ピストっていうらしい