明石家さんまから自分が受けた影響の大きさを感じた

プロを馬鹿にしているのはどっちなんだろう?

昨日の日記にこういうコメントを頂きました。 - 一汁一菜絵日記帳

前にも書いたけど、「芸人や漫画家の方がエライなんて、ファンはみんな分かっているんだから、いちいちそんな事は自分で言わないでほしい。」ということなんですよね、これに対してブクマコメントで、「これをわかってくれないのか、批評に脊髄反射で反論する人のなんと多いことか。」と書いてくれた方がいたけど、僕はにづかさんは「甘やかしている」と書いているけど、僕はプロに対して「頑張っているんだから、評価するべきだ」「素人がプロの作ったものにごちゃごちゃ言うべきではない」という考えの方が、よっほどプロに対して馬鹿にしている姿勢だと、僕は思ってしまいます。これはどっちが良い悪いではなく、そこに至るまでに見てきたもの、触れてきた文化の差なんだろうと思います。
僕は明石家さんま上岡龍太郎やしきたかじん島田紳助嘉門達夫北野誠といった、「批評性の高い語り部」のトークを聞いて育ってきたし、背伸びしたい年頃になった頃は、「別冊宝島」を筆頭に批評集みたいなムックがブームになっていた頃だったから、そういうのが当たり前に育ってきたところはあって、下の世代は「俺が作るプロの料理は旨いに決まっているんだから、出されたものは黙って食えばいい」という考え方の影響を受けているという差は分かるんだけど、でも僕の自分の文章についてはおいといて、にづかさんに限らずこういう批評しているブログのコメント欄で、こういう荒れ方しているブログは沢山見るけれど、どんなに文章が下手な人であっても、「単に悪口で悪態付いているのか、相手の事を思って厳しい事をあえて書いているのか」なんてことは、少し読めば簡単に見破れると思うんですけどね、また「そういう事をいうのは失礼だ」と言ってる人が、コメント欄でブログ書いている人に対して、もっと失礼な口調で罵っているのは、自分の中でどういう風に整理しているんだろう?
話を少し戻していきますが、というか僕はこのブログで何度も書いていることですが、僕の成分は数十%の割合で、明石家さんま出来ているというぐらい、思春期の頃に影響を受けたから、さんまさんが「プロなんだから“頑張りました”というのは結果のエクスキューズにならない」という姿勢は、やっぱりアイドル泣かしている事だけが言われていたけど、やっぱり最近まで気付いてなかったけど、さんまさんのこの姿勢には影響受けている。僕は世代的に松本人志の方に填っていても不思議じゃないし、填ってしまってもおかしくないぐらい著書も、あの時代に結構熱心に読んでいたけど、填りきらなかったのは自分の中にさんまさんがいたから、というのはあったと思う。
この後の話としては、また同じ事を繰り返す事になりそうな気がするので、下の過去記事から、この記事でも最初の方でリンクしている、今年の5月16日の記事とか、2006年の日付になっている記事でも、お時間があれば読んでやってください。とりあえず自分はプロの作った商業作品に対しては、相手の事情を慮ってあげたり、頑張っている事で評価するというのは失礼という教えは、思っていた以上に影響受けていました。