「爆笑レッドカーペット」5月7日放送分

木村のエロ詩吟が「レッドカーペット賞」と聞いて、半分楽しみ、半分怖々と見たけれど、そんなに大きく盛り上がったという事はなくて、一部の審査員席にはまった感じでしたね、二回ネタやったどっちかだけでも満点欲しかったなあ、どちらかというと今日はTAIGAとかザ・パンチの日だったようにも見えましたから、引きも強かったと思います。

爆笑レッドカーペット - 一汁一菜絵日記帳

でもやっぱり素直に喜べないのは、コンビの片方だけがピンネタで売れた場合の、その後の展開の難しさというのを、にづかさんも指摘していますが、僕やにづかさんだって違う意味で天津に対して、過保護に心配しすぎだって、先ほど知り合いのお笑いブロガーに言われたばかり何ですが(笑)、にづかさんが上のリンク先で例として出している、ムーディ勝山世界のナベアツを例に出して、梶や山下のように今後、向や天津というコンビが難しいことになるのでは? ということを危惧していますが、僕も勝山梶ジャリズムより、天津の方が今後しんどいことになると思っています。それは勝山梶ジャリズムは、先にピンネタで売れたのはコンビの本ネタの際には、ボケの方だったけど、天津の場合は木村はだから、余計に難しくなる。コンビのネタで詩吟やると、向がツッコミに回らないといけないというのは、ジャリズムで「3の倍数のネタ」や、勝山梶でムーディソングやるのよりも遙かに難しい。
だからギャロップはコンビの漫才が評価される前に、毛利の谷村新司が評価されたりしないで良かったとか、モンスターエンジンはそれぞれのピンネタとコンビネタが短い期間で、連続して評価されたのは、本人達の器用さはもちろんですが、凄い引きの強い、星の巡りの良さだったと考えます。
あとはっきりいって今回やってたのは「エロ詩吟」ではなく、「男子中高生妄想あるある詩吟」でしたよね、それをどこまで量産出来るか、「エロ詩吟」に関しては、天津の元々持っていたアナーキーな部分というのが久しぶりに強く出ていて、木村の隠れた個性というのは出ていたけど、今回やっていたのは少し作家の臭いを感じるんですが、それは別にプレイヤーである演者の才能が活かされるのなら、何の問題もないことなんですが、今回ぐらいの水準を継続的に作家さんが考えてくれるのなら、いまの短いネタブームが続いている間は、これで木村の知名度は大きく上がることになると思いますが、それが天津として売れることや、天津の漫才に重しになる心配が尽きないです。間違いなく、過去の天津のネタとか、「ガチンコ漫才道」とかのコメントを考えれば、いまやっていることが木村にとっても、向にとっても、自分たちのやりたいことをやっているという感じでもないですからね、放送出来ないような「エロ詩吟」ならともかく、メロディに乗せての「フレーズあるあるネタ」なんて、あの辺の大阪の芸人が普段はバカにしていることですから、今後どこまでやりきっていけるかという問題もついて回りそうだし、何よりもこのネタの一番ダメな所は、木村の詩吟が「それで本当に師範代なの?」というレベルのことだと思うんですが、どんなもんでしょうか? とか考えていたら、木村の両親が「詩吟の完成度が悪い」と指摘しているというのは、少しだけ安心したよ(笑)。

あとこれは現在のブームの話になるんですが、いま「短いネタブーム」と言われているものは、決してそれだけで括れるものではなくなっていると考えていて、例えば一発ギャグやモノマネなどをベースにした、昔からあった短いネタ披露の流れ、あと本当は三分とか五分ぐらいのネタを、ショートバージョンにして見せることが出来る人たちによる、本ネタの延長線にある短いネタというやつで、ここまでは従来のお笑いシーンにもあった流れ、それと「エンタの神様」以降に一つの大きな流れとなった「キャラクター漫談」による「あるあるネタ」を、短くぶつ切りにしてやっていくというパターン、そしてもう一つ、最近出てきた流れとして大きくなってきたのは、芸人の楽屋ネタ、宴会芸を客前に持ってくるという風潮で、昔からそういうことをやる機会というのはあったけど、それで当たったとしても長続きする環境にはなかったけど、これがいま今の「短いネタブーム」の中で大きな支流になっていて、その流れが大きくなりすぎて「短いネタブーム」のサブジャンルとして、分けて考えた方が良いと思うようになってきました。
先ほども書いたけど、芸人さんが宴会や楽屋でやっているネタを、表舞台に出してみるという企画は、それこそ「ひょうきん族」の頃から、いやもっと前からあったわけですが、そんなにブームになることはなかったし、番組とかでも特別にそのネタが推され続けるわけではなかった。それはさんまさんとか紳助さんとかの世代の人は、例えそういうネタを本心から面白がっていても、「でも所詮本ネタではない」という縛りが心のどこかで取れていないから、それをきっかけにして大きく売れていくということを信じていないし、松本人志ウッチャンも作り上げてきたものの中から出てきた人たちだから、司会者としてそういうのを面白がることは出来るけど、それを受けて広げていくことが出来ない。
だからいまの「楽屋芸・宴会芸ブーム」の牽引というのは、間違いなくそういうのを司会者として弄るのが巧い人が出てきて、ある程度そういう大きな番組の司会をするようになった、「今田耕司東野幸治の時代」という影響は大きいです。この二人がネタ番組とか、芸人が沢山出る番組でホスト的な立場になったから、いまのショートネタブームという中に、「楽屋芸」とか「芸人による宴会芸」といった身内芸という流れが、大きな流れを作るようになった。だって「やりすぎコージー」か「爆笑レッドカーペット」か「あらびき団」でしょう? そういうネタで世に出た人のほとんどが、全国に出るきっかけになったのは。
この二人は「吉本新喜劇」という出身畑はあるにしても、基本的にネタで評価されて上がってきたわけではない、現在の芸人評価の価値観で言えば、かなり氏素性が良くない中で出てきたパワーがあって、それが完成されたものだけを評価する流れとは違うものを生み出しているし、ネタとして完成されたものを求めない所が、凄い現代を切り取ることに成功しているという、凄い司会者だと思うのです。だから00年代の後半というのは、後世において「今田・東野時代」と呼ばれても、不思議ではないテレビお笑い界の状況に、いまはあると思うのですが、ただこのブームの問題は大きく一つあって、それはそんな風に芸人の身内芸、楽屋芸、宴会芸を巧く扱ってプロのネタとして見せる、そんな環境を作れることができる司会者は、現在の日本にはこの二人しかいない、ということなんですよね。
だからそういう宴会芸系で売れた芸人さんは、今田さんも東野さんもいない番組に出ると、苦戦していることが多い。それはさんまさんや紳助さん、松ちゃんやウッチャンの番組ですら、巧く扱うことが出来ていない状況が表していて、現在の余所で凄い苦労している状況に繋がっている。宮迫さんとかジュニアさんとか、Wコージ尊敬している後輩で、ああいう司会を目指しているのは伺えるけど、本質的にそういう人ではないから、あんまり巧くいってない。むしろああいうネタに対しては、貴さんとか、さんまさんのような厳しい扱いの方が、これまでのテレビお笑い界では普通のことだったんですよね、それが今田さんや東野さんの優しい扱いの方が、当然の扱いに見えるのは、いまが「今田東野という時代」にあるからだと思う、いま間違いなく日本のテレビお笑い界は、この二人が動かしている。
でも結果的にそういう司会を出来ている人が、日本にたった二人しかいないという現実は大きいし、この二人がいつまでもこのポジションにいるとは限らないわけで(偉くなったとしても、落ちていったとしても同じ事)、「短いネタブーム」よりも、「芸人の楽屋ネタ(宴会芸)ブーム」という方が、僕はそれでブームになっている芸人の将来を心配する要因は大きいと考えます。
なんか重たい話になったので、久しぶりにこの番組の個々のネタの感想とか書いてみます、全部は書かないですが、書きたい所だけ書きます。天津木村は沢山書いたから、これ以上は多分書く所ないです(笑)。

ギャロップ

やっぱり鉄板は強い、なんで最初の「レッドカーペット」で、このコンビは谷村新司やったんだろう(笑)。

モエヤン

やっぱり今田さんは「練習量を感じる」という所に食いつくか(笑)。

我が家

いややっぱりナベプロからM-1決勝上げるんだったら、ザブングルじゃなくて、我が家だったと改めて思うよ(笑)。

まえだまえだ

いやーあざとい(笑)。今田さんのTKOのネタ終わりの流れの不利も完璧でしたね。

TAIGA

やっぱりどう考えても、今日の一番盛り上がったのはこの人でしょう。本来はモノマネタレントらしいですが、何者なんだろう? モノマネネタも見てみたい。というかなにげに師範代対決だったのね。

しずる

僕はもうすっかりこの人たちの、この番組用のネタのパターンには飽きているんだけど、それでもまだ楽しく見れるのは、元々の完成度の高さだなあ。

ザ・パンチ

面白かったけど、やっぱりこの人たちは3分とか4分で見たいかなあ、「それは凄く良いと思う」という所が一カ所挟まるだけで、面白さが何倍にもなる。

$10

次に出るときは、漫才形式でやって欲しいなあ。なんかこのコンビは、TKOに続いてもらいたい、という気持ちで見てしまう。