他人にやさしく、思いありのある社会で子育てをしたい

基本的に僕は日本が法治国家である事は有り難いと思っているし、法治国家を運営して行くにあたって、あまり人治という物を介在させるべきではないと思っています。人知に頼る国は指導者が立派な人の時は良いけど、そうでない時はエライ目に遭ってしまいます。しかし100%法治だけで物事を回そうとして、失敗国家となり破滅の道をたどった国というのは、前世紀だけでも多くの全体主義国家で見られ、またお隣の大陸大国の歴史を紐解けば、そういった例はじっくり調べなくても、簡単に見つける事が出来ます。

4091925642史記 (4) (小学館文庫)
横山光輝
小学館 2001-07

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「人情の機微を知らない正論は薄っぺらい」というのは、いまは無き有名サッカーサイトの管理人の方の言葉でしたが、100%ルールだけで回していく事というのは、法治国家における理想ではありますし、それは僕も望みたい所ですが、それだけではどうしようもない事例というのはある、だからこそ時々、大統領にはある程度の独断が揮えることがシステムに組み込まれていたり、、国王とか宗教指導者のような立場の人が意見をしたり、現代ならアーティストによるアピールということが、システムにこそ正式に組入れていなくても、何となくの前提としてそういうものを認めてシステムが運営されています。道徳や人情というものを大きく国家運営に反映させて、失敗した国というのも僕たちは歴史から学ぶ事は出来ます。でも人情の機微を知らずして運営される法治国家というのも、また限界がある。

痛いニュース(ノ∀`):入学金未納の生徒を入学式に出席させず 「学校は生徒と保護者に謝罪すべき」と教育評論家…八千代西高

このニュースに限らず、僕は例えば無戸籍児童の問題や、不法滞在や短期滞在の外国人の子供が、日本語しか喋れなくて日本の文化でしか生きていけなくなって、残留を求めている問題でも、給食費の問題でも良いけど、そういうニュースに接したら僕はどうしても、自分が子供の時にそういう身になってしまったら? ということを考えてしまう。
僕は昨今の自己責任論については、ケース・バイ・ケースの問題が多いと考えているけど、こういった一連の問題に僕が言える事は、子供には一切責任がないということで、親の都合や事情、親の犯罪や過失が元であったり、親の怠慢や偏った曲がった考えによる行動の結果であっても、その責任を子供に取らせるなんて事は、絶対にあっちゃいけないし、それを認める事もあってはいけないと強く考えています。だから親が「お金を払えない」はもちろん、「お金を払うつもりが無い」というようなケースであっても、その責任はあくまでも親に取らせるべきで、子供の方に責任を向けるのは社会として間違っているし、それを是認する社会はもっち間違っていると思っているし、僕は正直な話、こういう考え方がマジョリティだと信じていました。
でもネット社会になって、掲示板やらブクマやらMixi日記やら、市井の人たちが簡単にニュースや社会状況についてコメントできるようになって、それを見ていたら、そんな事はなかったんだと知らされて、僕は愕然としているんですよね、というか自分がいかに性善説だったかというのが、思い知らされています(苦笑)。
いや俺には、この手のニュースで「入学式に参加させないのは当然」「退学は当たり前」という意見が出るのは、いや他の無戸籍の問題など上に上げた問題もひっくるめて、子供の人生や生活、心の問題が関わる事について、情をかけられないというのは、まあ意見というのはあっても良い事ですが、そういう声が多くなると言うのは、やっぱり僕には理解が出来ない、理解の範囲を越えすぎていて、日本人ってこんなに他人に優しくなかったの? という思いに嘖まれています。だからこの手のニュースの時には、世間の反応とかを見るのが、本当に苦痛でしかなくなっている。いくら親がボンクラだったり、人でなしであったとしても、子供の教育は社会全体で責任を取ることが大切で、それが引いては国全体の将来とか、社会不安の解消とかに繋がるわけだから、決して無駄な事ではない。

「どうやってもお金を払えないケース」と「お金は払えるのに払わないケース」

前者については一言簡単、「子供の入学金」や「給食費」も払えないような世帯がいて、それが払えないままになっているというのは、明らかに日本の福祉制度に問題があるから、必要な所に福祉の手が回っていない、これは政治や行政が悪い。そして国や行政が悪い状態が正せていないというのは、国民が悪いんだから、それで起きたリスクは社会で補うべきというしかない。
「払えるのに、払わない人」という給食費などの問題であるタチの悪い件に対しては、それは別の形でペナルティを、養育者本人に与えればいい、その事で子供に恥をかかせるべきじゃないし、そこで子供に害が及ばないように、親の不正を正せないというのも、やはりこれはシステムの問題なんですよ、システム(法治)の部分に欠点があって、それを法で補えない内は、人が知恵と人情で補っていくべきではないでしょうか?
「払えない親」と「払わない親」というは明らかに峻別されるべきです。しかし「払わない親を持つ児童」と「払えない親を持つ児童」というのは、決してそのことで峻別される事はあってはならないし、それに思い至らない人たちで形成された社会というのは、僕は寂しいし恐ろしい社会だと思います。
いまから話題を、大石英司さんのブログから何日か分連続で持ってこさせて頂きます。申し訳ありませんが、どうしても紹介させて頂きたいので、大きく引用もさせて頂きます。

全く月並みな意見しか持てないのですが、そんな金額は、当事者たる生徒自身にはどうにもならない問題でしょう。それをもってして生徒に罰を与えるというのは、教育の名に値しないと思う。
大石英司の代替空港: 有楽町線を戦車が走る

この14日の最初のこの件に対するコメントを見たときは、「当たり前の正論だなー」としか思っていませんでした。まさかこれとと反対の声が、これだけ市井に溢れるとは夢にも思いませんでした。

一つ疑問なのは、大学の場合は奨学金制度が充実しているけれど、高校の場合はどうなのでしょうね。授業料の免除だとか、大学なんて別に行かなきゃいかないで済むけれど、高校全入時代には、それこそ求められる援助だと思うのですが。
大石英司の代替空港: 有楽町線を戦車が走る

これはこの前にNHKでやっていた、親の金銭的な事情で、定時制高校に行くしかなくなったという人たちのドキュメントを見たときも思った。というか親の金銭状況が困難な家庭や、子沢山な世帯の子とかは公立高校ぐらいタダで入れてあげればいい。

というのは、私は、そろそろ子育ての社会化も考えざるを得ない、ということをずっとここで論じてきましたが、昔の単純な貧乏と違って、そもそも親が子育ての道筋を放棄してしまうケースが増えている。先日のホーム突き落とし事件にしても、そんなに大学に行きたいのであれば、奨学金等のことを父親自ら調べるべきだったのに、金が無いから……、で済ませてしまう。こういう親が増えてくると、学校側がもう手取り足取り保護者の面倒を見るしかない。
大石英司の代替空港: ALL OR NOTHING

こういう話をしていると必ず出てくるのは、「真面目に払っている人が損」という種類の声です。これは一見正論のようだし、これに対する反論は偽善的なヒューマニズムでしかない、という風に捉える人は多いかも知れない。でもそれは違う、払えない親や、払わない親の子供を教育現場から投げ出す事は、社会的に見て損だから、それは社会全体が大きなリスクを抱える事になることであり、遠回しに大きなコストを社会が抱えて損する事を、社会の構成員全体で防がなくてはいけないし、その為のコストは払うべきなんです。

20年前なら、それは親の責任だ、の一言で済んだけれど、今はもうその親の責任を問えないような社会状況に至っている現実を直視すべきだと思う。親の責任だ、学校の措置は当たり前だ、と断じるには、犠牲になる子供たちがあまりに可哀相。
大石英司の代替空港: ALL OR NOTHING

もう少し「こういう未払い、不払いを許していると、真面目に払っている方が損をする」という事について話したい、はっきりいって僕はこういう考え方自体が、実際に払っているか払っていないかだけで、不払いをしている親のメンタルと変わらないじゃないかと思わない事もないんですが、例えばいま学費や何やらを払えている人であっても、明日はどうなるか分からないわけですよ、麒麟の田村さんは比較的裕福な家庭に育っていたけど、母親が亡くなって、父親が病気で長期入院した際に会社をクビになるという形で、あの有名な「一家の解散」ということに至ったわけですが、そういったリスクは日常を生きていたら、誰にでも常に付きまとうわけですよ。
「職を失う」というレベルだけでなく、病気はもちろん、事件や事故に遭遇するといったことで、自分の子供が一番お金がいる時期を前にして、夫婦揃っていなくなるという事は、決して天文学的に低い確率ではなく起こる事なんです。またそれが長い入院と治療の末に亡くなったりした場合は、子供の学資貯金などにも治療費の為に必要になり、亡くなった頃には子供の名義で作った学資貯金すら空になっていたなんて事は、日本中に存在しているケースです。
そういう自分が「入学金を支払えない」という状況、もしくは自分がもう手の届かない所にいて、子供が「入学金が支払えない」「給食費を払ってくれないような親戚の所で養育される」という状況になる可能性は、決してゼロではない。もし自分に何かあったときに、社会が自分の子供を助けてくれないという環境で、安心して育児や教育が出来るのでしょうか?
いま自分が支払いが出来ているからと言って、いつそういう状況に不可抗力で自分たちが追い込まれる可能性があるということ、その時に「入学金を払えないのなら、おたくの息子に高校行かせる権利はない」という言葉を、寝たきりの病床で自分だって近い将来かけられるかもしれない、そんな想像力すらない人たちが、自分の家庭や子供の事と置き換えて、他人の子供のことを思いやれない人が、自分の子供の子育てや教育をしているという現実は、僕にはかなり寒い現実として捉えてしまう。
もう一度引用します。

犠牲になる子供たちがあまりに可哀相。

自分の身に何かあったときに、自分の仕事や会社に何かあったときに、自分の健康、パートナーの健康に何かあったら、次に犠牲になるのは、自分の子供かも知れないということを深く考えるべきでしょう。

実はそういったことは、かつて田舎では普通だったんです。長らく進路指導を担当していたうちの爺さんは、成績優秀だけど貧しい家庭の子にどうやって上の教育を受けさせるかで、結構な時間を割いてましたよ。それはもう本当に地域ぐるみ
大石英司の代替空港: ALL OR NOTHING

そういうケースとして思い出すのが、地方都市の下町とはいえ田舎ではない場所で、10年ぐらい前に実際にあった話が、日本中を感動させた、先ほど名前を上げた麒麟の田村裕さんが書いた「ホームレス中学生」の中で書かれているエピソードです。

ホームレス中学生ホームレス中学生
麒麟・田村裕

一人二役 14歳 (MouRa) いつまでもデブと思うなよ (新潮新書 227) 陰日向に咲く コミックホームレス中学生

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この本の中で、公園で生活していた田村を家に泊めてくれた中学時代の友人一家が中心になって、一家離散した家族を兄弟だけでも一緒に住ませてあげようと、お金を出しあってアパートを用意してあげたり、三人の兄弟が高校を卒業するまでは、生活保護の申請を手助けするなどしていたというのは、本やその後のテレビなどで明らかになっているけど、そうやって地域が苦しい状況の子供を育てる、「親のない子は、村の子、集落の子として育てる」という文化は、まだ日本には薄くでも残っているし、こういう話に僕たちは感動の涙を沢山流していたのに、もちろん他人事だから厳しくなるというのはあるにしても、やっぱり僕は想像力を働かせて欲しい。

払えなければ社会全体で負担しましょう、というのが高度成長期だったのに、今では、「払いたくない」と「払えない」がほとんど同列に扱われているんですよね。国がじり貧になるとこうなるんですよね。
大石英司の代替空港: 田中康夫は中共の下僕

もちろん「払えない親」と「払いたくない親」は別であるというのは、きちんと議論しなくてはいけないし、「払いたくない親」のせいで、「払えない親」というケースまで、一緒くたにされて断罪されているケースはあまりにも忍びないし、「自己破産」や「生活保護」の問題でもそうですが、それは仕方ない国が社会が面倒見てあげましょうと言うべきケースまでが、卑怯者がしでかした事のために、白い目で見られて「入学金の免除」とか「生活保護」といった事が受けられにくくなる問題は、絶対に解決しなくてはいけない。
ただしかしそれは子供には関係ない事で、子供にとっては「払えない親」を持つ事も、「払わない親」を持つ事も、全く同じ次元の不幸で、その違いというのは親は糾弾されても、子供にそのことの責任を負わせるべきではない。そういう子達は等しく「村の子」「集落の子」として、社会全体で育んでいくべきだし、そういう社会が作る事が、いつ自分に何かあったときにでも、自分の子供が安心して育っていける社会の実現に繋がるのではないでしょうか?
ここで冷たい事を「当たり前の事」として言い放てるのは、育児や教育が他人事だったりするケースか、貧乏という物にリアリティがない人たちのどちらか、という気がしないでもない。本人の努力でどうする事も出来ないような貧困に追いつめられている人たちが、この世には沢山いるという現実を知らなさすぎる。そういった所に目を向けていない人たちが、こういったニュースに対して、人情のかけらもない事を言っているのは、ましてそれが「社会の現実を子供に教える良い事」なんて詭弁を弄しているのは許し難い、そんな事を言ってる奴から税金沢山取って、福祉に政府はお金を回してあげてほしいと思ってしまう。それはどんなハコモノよりも大事な、現実に即した社会への投資です。

明らかに、これは貧困を生産する原因になる訳です。

こんな状況を放置するのは拙いでしょう。何度も書きますが、自分はそんな奴らの面倒を見るのは御免だ、という次元の話では済まないんです。脱落者を出さないというのは、個々人の寛容さの問題ではなく、社会を永続的に維持するためのコストの問題だということを国民全員が自覚すべきだと思う。
大石英司の代替空港: 底辺校の悪夢

「甘えてる」というような意見を言う人の方が、僕には社会を運営していくにあたって、社会全体で負わなくてはいけないコストという問題に対して、甘えていると思いますし、僕はこの件での学校の措置を「当然」と言える人は、「人にやさくない」人であり、社会とはみんなで運営して、利益もコストもリスクも分かち合う物だという基本が理解できていない人だと考えます。社会を維持するコスト、子供は地域で社会全体で育てるという現実を理解しない事こそ、僕には「甘ったれている」という風に受け止めてしまいます。
長文にお付き合いありがとうございました。また多くの引用をさせて頂いた、大石英司氏に感謝です。
この社会が子供達にとって、せめて成年になるまでの間は、社会全体がゆりかごとして機能する事を強く願います。

人にやさしく/ハンマー人にやさしく/ハンマー
THE BLUE HEARTS 甲本ヒロト 真島昌利

ブルーハーツのテーマ

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