体罰アリ派の代表が戸塚校長というところで萎える - タケルンバ卿日記

というか事の本質は「アリか、ナシか?」という話ではないんじゃないかな? まず基本的に批判されるべき事、非難されるべき事としておいといて、でもどうしてもしなくてはいけなくなった状況の時に、どう向き合えるかということが大事じゃないかな? 特別な前提とかを提示せずに、いたずらに「体罰容認」みたいなことをいうのは、僕はどうかと考えています。
そもそも自分は、全く教師とかを信用していないから、理不尽な体罰をする連中がいっぱいいる中で、いたずらに「体罰容認」みたいな論議をするのは、僕は凄い危険なことだと思います。自由主義というけども、選択できるのは本人じゃないんだしね、親や教育者を本人が選べないんだから、そもそも自分には、西洋的な子供を未完成品と見る考え方に違和感がある。
というか自分は子供に対して恐ろしく気長になれるからか、唯一許されるというか、しなきゃいけないだろうというのは、自分の中では「自分か他人を傷付けるような、危ないことをしたとき」だろうなと思うけど、その時にどう向き合えるかでしょう。いまの体罰容認の議論の仕方は、「キチガイに刃物」になりかねない意見が出すぎていると思います。
基本的に学校を信頼している人と、全く信頼していない人の差というのもあるんだろうなあ。