天津がオタク漫才をどうも止めてしまったことについて

この前のオンバトで : 一汁一菜絵日記帳

どうも最近のテレビ露出や、劇場でやったネタの噂を聞く限り、天津は完全にオタク漫才を止めてしまったみたいだし、向がピンで出たR-1ぐらんぷりでもオタクネタやっていなかったらしいので、もう完全に封印と思って良いんでしょうね。
大阪の劇場に通うようなお客さんは、笑いに対して貪欲だから、例えばダイアンと天津とか、同じぐらいのキャリアのbase芸人で、正統派漫才と言われる人たちが並んでネタをしても、僅かな個性の違いというのをきちんと見いだして評価してくれるけど、一般のお客さんというのはそこまで親切じゃないんですよね、埋没しないが為にも必要だった個性を封印してしまって良いのかと思う。
にづかさんが言っている「無理せず止めろ」というのは優しさじゃない」というのは、以前ににづかさんが言っていた、大阪の若手お笑いのファンが「芸人の「ママ」になっちゃってる感じがする」という話に通じますよね、これ別に僕やにづかさんがオタクだから、天津にオタク漫才を続けて欲しいから言ってるんじゃないんですよ、ストリークの野球漫才とか、若井おさむアムロ漫談とかでも、同じ事を言っているんですよ。

僕もこのネタで天津を評価した口というか、このネタをやったときの漫才の演技そのものも、僕にとっては天津にとって素晴らしい舞台だったと思うので、こういう漫才を引き出す事が出来たポテンシャルを、もっと有効に活用して貰いたいです。
しかしいま天津は木村のキャラクターの方を前に出しているし、事務所や劇場もそういうベクトルで動いていますが、いま天津の木村が面白いというのは、かなり「キャラが一周」している状況だと思うんですよね、いまの木村を関西のお笑いファンが面白く感じるのは、これまでの天津とか木村に対して長く持っているイメージがあるから蓄積があるからこその、一周したキャラクターが喜べる状況なんですよね。それこそ初見とか、向が「萌えー」とか口走る漫才しているコンビというぐらいしか、天津の事を認識していないファンが、どれだけいまの木村の「スベリ芸」や「詩吟キャラ」を喜ぶかというと、僕はかなり難しいと思います。木村に関しては去年の末に「エロ詩吟」という放送禁止と言われるネタをやって、コアなお笑いファンに注目されていますが、あれも木村の事をあまり知らない人が見て、喜ばれる物かというのは微妙な気がします。おそらく放送出来ないと言われた下ネタと聞いて、見ていない人が想像するのは、ぐっさんの「ク○ニをするMr.ビーン」レベルのものなんですよ、でも「オールザッツ漫才」で「天津のネタの最中に不適切な……」ってテロップが出たときに、「なにがダメだったんだろう?」と思った人は多かった程度のものだったんですよね、あとこれまでの木村のキャラクターやイメージもあって、衝撃を受けた人は多かったとは思いますが、なんかもう誰も分からない事を言うけど、いまの天津・木村の大阪でのいじられ方って、やるじゃねえかーずの浦井さんの芸人時代後半のいじられ方にそっくりなんですよねえ〜(笑)。
今回のオンバトの天津が、ある程度評価されているのは、それこそ向のキャラクターが一周してしまった、ということだと思うんですよね、しかしそれこそ売れる前からキャラクターが一周してしまって良いのか? こんなに早いサイクルで一つのネタのキャラクターや方向性が、一周する形で消化されてしまって良いのか? ということはどうしても危惧してしまいます。しかもその前の形の高いレベルの漫才を、大舞台で勝負出来ていないうちにというのももったいないし、新しいスタイルが評価されたと言っても、それは以前のスタイルに対する記憶もあっての事だから、大阪はともかく、全国的には以前のスタイルだってほとんど知れ渡っていないし、知っている人も短い期間しか見ていないわけで、大阪のファンには、これまでの長い期間のイメージがあるけど、それがない人たちにはあっさり消化される可能性があるでしょう。