「M-1グランプリ2007」感想の感想その3〜キングコング編

あくまでも前回のアレは、西野ブログなどへのアンチに対する反論というか、中傷に対する「ざけんなクソども」という思いを言っただけなので、ネタに関しての話はこちらで進めていきます。

ネット上では「ボケひとつひとつの質は大したことない」って意見が多いみたいですけど、そうかしら?「ですから4000円です」「ちょっといま顔が出てこないですけど」「ポイントカード1円につき1回押します」とか良かったような気がしますが。打率が低いって意味かしら。
M-1グランプリ2007総括 その1 本戦ファーストラウンド : 似非トーライ(ese - tori)

キングコングの一つ一つのボケが弱いと言われるのは、いまのお笑いファンや若手の芸人、関係者のボケに対する評価が、大喜利目線になっている、一つのお題(テーマ)に対して、どれだけ強いボケを打てるかというのが、有効打として捉えるようになっているけど、そういう目線を持っているのは世代的に30代後半ぐらいが上限の、関西系(関西人という意味ではない)のお笑いマニアだけで、松ちゃんぐらいの世代でも、大喜利的なボケの強さというのは、一パラメーターとしか見ていないと思う、だから「ショップと店員の会話」という大喜利のお題のボケとしては弱いけど、あの漫才の流れで見たら、一つ一つのボケの質は高いという評価の目線に違いがある気がする。
芸人という演者にとっては、大喜利力というのは、あくまでも評価の一要素でしかないんだけど、それをお笑い力全部を計れる基準のように見てしまっている人が、増えてきていると言うことだと思う。でも実際に関係ないと思うけどね、NHKの「ケータイ大喜利」とか見ていれば分かるけど、素人でもプロでも面白いことの発想というのは、発想だけなら勝負出来るんですよね、ただ見せ方とか演技力とかで、プロの芸人さんは素人とは違うことを見せられるわけで、おそらく西野や梶原は、大喜利の大会とかで優勝したり勝ち上がったりする能力はないでしょうし、フリップでボケないと行けない場所とかで、「笑っていいとも」で飯島愛相手にやらかしたようなこともしてしまうけど、このキングコングの漫才の中の一つ一つのボケは、梶原の演技と西野のツッコミにマッチした、レベルの高いボケだと思います。
キングコングの漫才のボケって、思い出し笑いしたときに、前後の流れも含めて思い出して、西野のツッコミ台詞まで思い出して、そのタイミングで笑ってしまうから、「漫才のボケとして一つ一つのレベルが高い」と言えるのではないかと思います。「堂々とぼったくるな」「これや」の所まで含めて完成度の高いボケです。
そういう意味ではダイアンのネタの方が、大喜利的なレベルは高いんですよね、ただ漫才としては単にボケを羅列しているだけの、並列的な感じがどうしてもするんだけど、こっちのほうが今の若い演者の中では流行りだし、マニアックなファンや関係者の評価が高いのも事実です。ただ「漫才は物語(ストーリー)」というのが古い考えなのかも知れないけど、僕はそういうのは上辺の笑いだと思う、本当に質の高い漫才やコントは、3分とか4分の中に登場人物の人生や、前後のエピソードまで感じさせてくれるものがある。漫才のレベルの高さは、今回キングコングと、関西勢三組は比較対象にするのも失礼なぐらい差があったと思います。そのぐらいキングコングは力を示した。キングコングトータルテンボスが出番順が一番と二番目で、笑い飯、千鳥、ダイアンが6〜8組目だったら、僕はかなり悲惨な点数差が出た可能性は高いと考えています。
あと二本目のネタは確かに一本目と比べたら弱かったと思うけど、世間で言われているほど一本目と比べて劣るとも思わなかった。

1点差でキングコングを上回ったのがほんとうにデカかった。あそこでキングコングが1位通過ならどうなってたかわからない。最終決戦は差がなかったから。
M-1 : お笑いを見るにあたり

僕も最終決戦はどれが勝つか分からなかった、一本目から二本目で下がったのは他の二組も一緒だった。だから多く出ている最終決戦のキングコングが一本目に比べて、急に落ちたという多くある意見には承伏出来ない。確かに一本目に比べて弱かったけど、過去の一本目と二本目で急落したコンビと比べれば遥かにマシなレベルでしょう。
今回、僕が一番ハッとさせられた意見はこの意見ですね、これは予想外の所からガツーンと来た良い感想です。

一番良かったのは、月並みですけど西野さんが梶原さんを突き飛ばしたところ。突き飛ばし方や転び方が、往年のドツキ漫才をちゃんと踏まえられていてあー正統派なんだなあと思いました。
M-1グランプリ2007 の感想を淡々と垂れ流すよ。 : Not a new England −−日本放浪編

これはお笑いマニア、特に関西の劇場に通っているようなお笑いファンには、絶対に気付かない視点ですよ、でもキングコングの素晴らしさは絶対にそういう所なんですよね、結局こういう保守本流の実力派の漫才というのを、世間も漫才界の偉人達も求めていた、結局そういう大きな幹がいなくなったから、それに対する不安から紳助と松本は「M-1グランプリ」を立ち上げようと思い、それを実行したんですよねね、そういう意味でキングコングが今回示した漫才はね、正に紳助と松ちゃんが求めていたものでしょう。
やっぱり大阪漫才のスタンダートというのは、ドツキ漫才なんですよ、という事に最近気付かされていたんですが、今回それを決定的に思い知らされました。それは西野の叩き方の巧さ、梶原の叩かれ方と叩かれた後のリアクションの巧さに出ていました、あれは天下一品の素晴らしい演技で、これだけでご飯何杯も頂けますというレベルの巧さがありました。
それが大竹まことラサール石井という演劇畑にも足を少なくとも半分は入れている喜劇人のキングコングへの高評価にも、現れていると思います。

何が凄いかと言ったら、やっぱし地味なね努力の中になんかこう、抑えこまれたような、あのテレビ見てるひとはあんまり気が付かないんだけど、ボケの方が何回もひっぱたかれる、ひっぱたかれるのよ、引っぱたかれる瞬間、ビビるのよ、勿論、もち芸になってるんだけど、自分がギュッとなる、あれね、もう絶対ネタなんですけど、計算されたネタなんだけど、計算が見えないビビりかたにね、それとあれね、多分0.01秒ちょっとかなんかの間にビビってる、そこを突っ込む、俺は見ててね背筋が寒くなった。俺にとってはさぶイボが立つくらいその見事な間なわけよ。
大竹まことゴールデンラジオ オープニングトーク(木)光浦靖子【12月27日ON AIR】 : タスカプレミアム

どちらかと言えばキングコングが一番ベタだった。
ただツッコミに怯えるボケという発想と演技には笑った。
まさかのサンドウィッチマン : ラサール石井の鉄板少年らさある

今回のM-1決勝でリアルタイムで一番笑ったのはサンドウィッチマンだったし、トータルテンボスも巧かったけど、録画したものを何度も見返してる、見返したくなる漫才しているのはキングコングだったんですよね、二回目見たときより三回目見たときの方が見落としていた所が分かって、その度に笑っているんですよ、本当にそのぐらい細かい演技が凄い沢山あって、漫才というのはここまで作り込めるんだという事に感動するし、これだけ細かい事を実現するにはそりゃ練習量いるということを、思い知らされました。
きっと生で偉大な芸人さんが見たら、僕が何回も見てやっと理解できたことなんか、その場でリアルタイムに把握する事が出来たんだと思うんですよ、だから漫才の演技力や練習量に対する評価が審査員から出たんですが、それは「練習いっぱいしてエライね」という薄っぺらい努力に対する評価だけではないんですよ、それだけの演技力や練習量を必要とするネタを作り込んだ事、そしてそれを選んだ事の評価というのも含まれているんですよ、そんな単純な努力や汗に対する評価だけでそういうことは言ってないですよ。
今回のネタで「もしかしてキングコングの西野さんですか?」(途中略)「顔が思い出せないんですけど」というやり取りのボケがありましたけど、あれはリアルタイムで見ても大爆笑したし、もう僕は何回も思い出し笑いしているし、何回映像を繰り返して見ても笑えるんですが、あれのどこが面白いかというと、やっぱりあのボケに入ったときの西野の顔が面白いんですよね、急にイキりだして頬に空気入れたりして、もう僕はあの西野の顔だけであのボケはオチまで行かなくても凄い面白い、あの西野の顔が面白いのは、キングコング西野というこれまで培ってきたキャラクターも大きいし、あのネタの最中にそれを崩すことなく、あそこまで持って行った自分たちのキャラクターを活かしたネタで、それを壊さない演技をしていたというのは、やっぱり凄い大きいですよ、梶原は巧いけど、西野は下手なんて言うてる奴は、本当に漫才の演技を見る目がないと言い切ってやりますよ、西野も凄い巧いです。
しかし梶原も素晴らしい、というか梶原が予想を遥かに超越した巧さを見せたのには、素直に驚きました。西野に比べてM-1にモチベーションが高まっていいないのでは? とか、漫才に対する情熱があるのか心配していましたが、物凄い堂々たる漫才のボケの演技者っぷりでした。西野が梶原に対してM-1の後でブログで謝っていましたが、もしかしたら一番近くにいた西野ですら、梶原がここまで巧くなっていたのには、本番まで気付いていなかったんじゃないか? と思うぐらい、これまでの梶原のイメージを越える漫才でした。そりゃ脱毛症になるぐらい追い込まれた結果なんですから、あのぐらいやりますよね。
なんかあの脱毛症アピールを決勝の舞台でした事も、批判が多いですけど、あれは努力を買って貰うためにやった安い作戦とかでなく、脱毛症アピールも笑わせようと思ってやっている事、努力アピールとかではない、もちろんそういう意味でも外したと言えば外しているんですが、あれはキングコングのキャラからしたら、「こんなんアピールして嫌らしいでしょ?」という笑いか、「これで1点追加お願いします」というボケ台詞のためにいった事で、純粋な頑張りアピールではないですよね、そのボケが外れたというのは残念でしたねと言うだけです。
というか決勝の場であれを振ったのは、本人達じゃなくて今田さんじゃないか。逆に言えば、今田さんがあんな風に振ってるのに、流す方がおかしいじゃないですか、逆に「そんなアピール決勝でしたくない」とスルーしたら、「なに格好付けてる、芸人ならそれも笑いに変えろよ」とどうせ言われるだけなんだから、振られたい以上は乗っかって良いんですよ。あれは別にサンドウィッチマンの「(二本目の)ネタがない」という今田さんとのやり取りと同じ事ですよ。

練習量を観ただけでも他コンビよりは圧倒的、最終決戦進出は当然でしたね。
いつも決勝しか観ない人間が語る、M-1 2007 : 「やってみるさ」

あと、西野が梶原の頭を叩く形が綺麗ですね。うまい。
M-1グランプリ2007 : 団地妻の狂い咲き健康法/アバンギャルド・カス女

結局さっきのドツキ漫才の話に戻るのですが、ベーシックな大阪のドツキ漫才というのも、あれだけ練習量と売れているタレントさんのスター性を出せば、まだまだ進歩させる事が出来たんだというのが、やっぱり一番の収穫だったんじゃないですかね、「舞台を広く使う」とか流れの中で各ボケのオチに行くまでの流れ上で、顔で笑わせたり細かい小ネタを入れたりというのが、教科書通りな所はあるけど、そういうのを作り込んで完成させていったのはやっぱり凄いですよ。見るたびに細かい新しい発見がきちんとある漫才ですし、舞台経験のある人が技術論で見ていったら、それは直ぐに分かる所なんだろうと思う。
あと今回のキングコングのネタが、「努力アピール」とか「M-1グランプリの審査員対策をしすぎ」という声が多いんですが、僕はそんな事ないと思います。

なんか「あーキングコングの漫才ってこんなんやったなー」
っていう懐かしい感じはあったんですが
M-1グランプリ2007レビュー : 一汁一菜絵日記帳

にづかさんとは直接お話ししたときにも、この話題になったんですが、キングコングのあのスタイルは別に審査員に努力をアピってるわけでもなければ、M-1で受ける形を意識して変えてきたわけではなくて、昔からそれこそNSC在学中から、大阪の賞レースを取りまくっていた頃から、基本的なスタイルは変わっていなかったですよね、巧くはなっているけど、だからあれをM-1用に作ったネタと言われるのはかわいそうというか、キングコングって世間にどんな漫才する人たちは、本当に忘れられていたんだなと感じましたね、だから優勝は出来なかったけど、キングコングは当初の目的は大きく達成しましたよね、現役である事を見せる事が出来た。元々のスタイルが最初から賞レース向きだし、M-1というのがああいう人たちを元々想定していた賞レース、逆に準決勝で落ち続けていた頃の方が、M-1を意識してダウンタウンっぽい漫才になっていた。とりあえずキングコングは本来の自分たちの持ち味を取り戻したといえます。その辺何かと今回比較されているけど、品川庄司とは違いますよ。

きりたのホビーナデイズ。:「梶原は今後運が良ければ岡村になれるけど、西野は矢部の域に達することもないよ」に、他人事ながらグッサリです。私が西野さんで、これ読んだら死にたくなるです。でも、否定できないのがつらいです。
ほかの人の感想を読んだ感想 予定地 : Not a new England −−日本放浪編

別にキングコングナインティナインではないんだから、梶原が岡村になる必要もなければ、矢部が西野になる必要もない、西野には矢部を絶対に超えられない面もあるけど、もう既に矢部を超えている面は沢山ある、キングコングナインティナインは違うし、もちろんキングコングspan!も違う、比較されるのは似ているからではなく、実力面で不足している所があるから低い方が、少しでも似ている所がある人と比較されてしまうだけ、実力が付けばそんなこともいつか言われなくなる。そしてキングコングナインティナインはもう比較されるべきではない。ナインティナインは元々ネタよりもバラエティ方面に才能があった、キングコングはバラエティ方面よりネタの方に才能があった、それをどっちが上と評価するのはナンセンス。これリンク先の元記事が代表例だけど、他の西野のブログやらTVタレントとしてのキンコンといった要素に左右されて、キングコングのネタに関して客観的・中立的に見れないでアンチ意見を垂れ流す人が多すぎる。まあキンコンとかノンスタとか、通ぶりたい人には批判するのに便利な存在だというのは分かるんですが。

キングコングの西野くんのブログで、「俺の書いたネタはウンコ」とか「負けたのは俺達がおもんなかったから」って書いてあって、話題になってますけど。
そんなことないと思いますよ。
勢いもあったし。ネタもけして悪くない。2001年以来久しぶりに見ましたが、確実にうまくなってる。
忙しい中よく練習してるし。
決勝で負けたのは、イレコミ過ぎたから、この一点だったと思います。
それは違うよ西野くん : ラサール石井の鉄板少年らさある

キングコング西野亮廣のすべらないブログ : おわライター疾走
そういう意味で今後、キングコングM-1を取るために足りないものとして考えたら、やっぱり個々のボケの質を高めることになるんでしょうが、僕は西野は梶原の成長を考えたら、もっとボケに対して難しい役回りを与えても良いような気がする。高めのハードルを設定するネタやってもいいはずで、梶原をそれをこなす能力が既にあると思うんですよね、ただキンコンの場合、スタイルがどこまでもベーシックでオーソドックスなのを、きちんと積み上げていく漫才だから、どんなに個々のボケが大喜利的に飛躍した発想でも、それに気付かせない可能性はあるけど、巧さで勝負する漫才ならそれで良いんじゃないかなと思います。

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