M-1予選の審査の問題点はヤラセではなく、審査員の個人的な依怙贔屓

(審査後) オール巨人「なんで彼らが決勝に上がってなかったのか」だーかーらー!それは予選の審査員に言えよ!!!毎年毎年、準決勝の審査はおかしいんです、って!
『M−1グランプリ2007』@テレビ朝日 : これって、ナナメなの?

それは今年は行けなかったけど、去年までの準決勝観戦でイヤと言うほど思い知らされてます(笑)。
その上で僕は吉本のヤラセ説に関しては懐疑的な意見を出しておきます。僕は元々は「M-1グランプリは吉本贔屓」的な意見には懐疑的で、2003年とか2004年の頃のM-1の感想では、「芸人の分母の数が元々違うし、自社で劇場をいくつも持っていて、そこで毎日芸人を出して鍛えられている吉本の芸人が漫才コンクールで上位独占するのは当たり前」という風に度々書いていますし、その考え自体は今でもそんなに変わっていなかったりします。それは審査に否定的だった2005年の感想でも書いた
純粋に力勝負でガチンコの審査でも、吉本芸人さんが上位独占することは普通、それは純粋にオーディエンス投票だけでチャンピオンが決まっている、「爆笑オンエアバトル」でも歴代九回のチャンピオン大会で、七回も吉本芸人が制している事からも明らかだと考えています。だから決勝が吉本だらけになっても、それは別に当たり前のことでしょう。
そしてこれが吉本主催の大会であると言うことは、ホームのアドバンテージというのは、ある程度は吉本芸人にあって良いと、あって当然と胸を張って言えるぐらいに、吉本はこの大会のお膳立てをしていると思います。逆に言えば吉本完全ホームの大会だからこそ、ますだおかだアンタッチャブル、そして今回のサンドウィッチマンのように、非吉本芸人が優勝したら、吉本芸人が優勝した以上の賛辞と見返りが付いてきているわけです。しかし僕もここ二、三年のM-1準決勝の審査には強い不満を持っています。しかし例えば「キングコングを勝たせる」為の吉本のブックだったというのは、僕は違う意見なんですよね、それ以外はほとんど似た様な意見なんですが。だってもし僕が吉本の人で、M-1は吉本によるヤラセで、そのブックを僕が書けるのなら、今年はどう考えてもトータルテンボスでブックを書くでしょう(笑)。今年の吉本芸人でM-1を勝てる能力があって、M-1のタイトルが今後のために必要な芸人はトータルテンボスだけだった。また今年の吉本が「麒麟キングコング」という判断をしない理由も全くないから、そういう事ではないんだろうなと思います。
僕は組織ぐるみのヤラセとかよりも、もっと低レベルの個人的な感情とか思惑が左右しているのではないかと思うのです。例えば過去にアンタッチャブルルート33の事を嫌いと公言していた人が審査員にいたことがあったり、現在も準決勝の審査員には「NON STYLEは(自分が決勝で審査員している限り)絶対に決勝には行かせない」とか「○○は何があっても毎年決勝に上げる」と公の場で公言している人がいるし、そのレベルでなくてもbaseよしもとに出入りしている作家が揃う大阪の二回戦では、baseよしもとのレギュラーメンバーが全員合格して、松竹芸能の芸人さんが何組か、base芸人より受けていた人が落ちていたのは、僕は会社としてやっている意向みたいなものはないと思うんですよ、もしそれだったら東京の二回戦でコンマニセンチとかが落ちているのと矛盾する。
もし吉本が吉本贔屓をするのなら、$10やストリークやプラスマイナス、そしてNON STYLEをきちんと贔屓しておけよと、なんで吉本が仮にブックを書いているのなら、これらを差し置いて千鳥、アジアン、プラン9、ダイアンなんだよと思ってしまう。だから会社の思惑とか、M-1という大会自体にあるブックという見方は薄いと思います。そんなんがあったらシャンプーハットランディーズは決勝に一回は残ってるよ。
むしろ予選審査員の個人的な思惑とか好み、もっとはっきりいえば依怙贔屓というのが、一番の問題なんじゃないかと思う、二回戦と三回戦の審査を、東京と大阪で比べてみていると、東京はわりかし公平な感じで審査されているように感じるのに対して、どうも大阪の審査というのは納得出来ないことが続いているんですが、東京はお笑い界が吉本一色に独占されていないから、吉本系の作家さんでも吉本以外の芸人との交流も多いし、その中で色んな笑いの価値観に触れることも多いけど、いまの大阪で予選審査している吉本系の作家さんって、政治的な意味合いとか抜きで、本当に松竹や東京の芸人の面白い部分が理解出来ないんだろうなあという部分は、かなりあるような気がしています。大阪の吉本の芸人としか触れていないことで、別に人間関係で贔屓していると言うことではなく、物差しが一本しかない人が多いような気はする。なんかbaseよしもとのオーディションとかと基準が似ているんですよね、大阪のM-1二回戦と三回戦って、だから吉本でも四次元ナイフとかつばさ・きよしとかは苦労している。
僕は今年の三回戦はトライアングルとチキチキジョニーは、東京に行ってた方がチャンスあったんじゃないかなと思っていますし、吉本でもまいなすしこうとか男と女とかは、東京の三回戦を受けてみるのも手だと思っています。志ん茶が三回戦は東京で受けて通ったのを見ていると、パニーニは三回戦東京に行っていたらという話も仲間内で出たし。
僕は予選審査の問題というのは、そういう審査員の個人的な依怙贔屓みたいなのが、密室で出来てしまう所が一番の問題だと思います。NON STYLEが嫌いだったら、100点満点で一人が0点付けたら落とせてしまうし、それは外部には絶対に漏れないわけですからね。
それで実際問題として、決勝が盛り上がれば良いんだけど、やっぱり僕はテレビショーでやっている大会の予選会を、オーディエンスではなく専門家にやらせているというのは、きちんと決勝を盛り上げる人を揃えるという意味合いがあるはずなんだから、こういう事言われるのは、依怙贔屓以上に問題有ると思うんですよ。

つーか昨年はチュートリアルだけ飛びぬけてて、ほかがいまいちだったので。
M-1グランプリ : strange

今年の4位以下6組は、最終決戦3組との間に大きな差があって「本当にこれ決勝戦なんですか?」という漫才が多くて
エントリーNo.4201 : p i t a !

まあ去年は優勝者と2位以下8組との間に大きな差がありましたけどね、去年だってチュートリアルがダントツ過ぎたから目立たなかったけど、準決勝の審査は2005年以降酷くなっていると思う、というかここ数年決勝メンバーの半数が本番でスベっているという事態は、何のために作家が審査しているのか分かんない、これだったらオーディエンスを入れるべきという意見が出るのも仕方ない。というか客観的に評価するべきだからこそ、専門家として作家が審査員させているんじゃないのか? ということを思うのです。
あとM-1島田紳助松本人志が立ち上げたときの一つの大きな理由に、大阪の若手漫才賞レースの多くが、審査員のせいで、非常に形骸化して価値の低いものになった中で、「真の漫才コンテストを立ち上げる」という意味合いもあったはずなんですが、いまのM-1の(特に大阪でやっている)予選審査は、90年代の大阪の漫才賞レースのようになってしまっていると思う、藤本義一難波利三がやっていたことを、現在はかわら長介倉本美津留がやっているだけじゃないかと、それを直木賞作家という威光ではなく、ダウンタウンという威光を使ってやっているだけじゃないですか、しかも遥かににいまの方がタチが悪い。
敗者復活戦から勝ち上がったコンビが、優勝したという一点だけを指して、「準決勝の審査員は全員クビにしろ」なんて暴言吐いているという、簡単な話ではないということです。今年の敗者復活戦と準決勝(敗者復活戦と同じネタだったんですよね)のNON STYLEとか去年の準決勝のプラスマイナスとか、もうこれ以上何をしたらいいの? と流石に思うよ。今年の敗者復活戦でプラスマイナスが変なネタしてしまったのとかは、「これ以上、何をしたらいいの?」という思いが爆発した結果のようにも見えた。

今年は2位も3位も大井競馬場におったんちゃいますか(増田)
高田文夫のラジオビバリー昼ズ ニッポン放送(12/26(水)放送分) : タスカプレミアム

というのは、ますだおかだ増田英彦の言葉ですが、本当にこの人はよく見ているなと思うし、立場とかを考えて口を塞ぐということがない、本当に漫才を愛しているんだなと、この人のことを十年以上、尊敬し続けていて本当に良かったと思う、さすがに吉本が第一回から独占し続けていた漫才の若手賞レースで、初の吉本以外の大賞を二つも取っていった方は違うよ、この人が準決勝の審査委員長やってくれたら一番良いんだけどねえ。正に出演者側のミスターM1ですよ。

M−1、感動したよ(優勝についてのネタバレあり)

  • オーディエンス票を考慮する

予選審査員オンリーという制度はやめて、せめて観客の投票+プロ審査員の合計点という制度にでも改正してくれませんか?
M−1、感動したよ(優勝についてのネタバレあり)

敗者復活戦をよくするにはどうするか? 決勝一年目のこともあったから、オーディエンスというのには、拒否反応も多いと思うのですが、オンバトのチャンピオン大会決勝とか、オーディエンス票が多く入るM-1敗者復活戦は、分母の大きさとか多様な客層になることもあってか、公平な審査になっていると思いますが、オーディエンスになって一部の層が客席を独占されるようになるとどうなるか? という危機感は捨てきれない所はあります。

  • 予選から審査員は現役の芸人が行う

例えば決勝の審査員が「島田紳助松本人志上沼恵美子ラサール石井オール巨人大竹まこと中田カウス」だとしたら、準決勝を「春風亭小朝渡辺正行南原清隆ハイヒールリンゴトミーズ雅大木こだま伊集院光」とか、M-1はもう7回の歴史があることを考えれば、「ますだおかだ中川家アンタッチャブルハリガネロックアメリカザリガニ」の中から審査員を選んでやるという手もある。M-1決勝が芸人が審査員をするというのが、M-1グランプリの売りなんだから、予選から審査員を芸人にするとなれば、芸人さんは自分の名前を賭けた審査になるわけだから、決勝のように迂闊なことは出来なくなる。

  • 準決勝の作家審査員を大幅な若返りと吉本系以外からの採用

次に作家審査員の大幅な若返りと吉本偏向を無くす、例えば準決勝の審査員を前田政二板井昭浩だけ残して、「高須光聖内村宏幸、元祖爆笑王、松本真一or遠藤敬or渡辺鍾、ハスミマサオor森詩津規、鹿児島俊光orこうのきよし、吉村智樹or竹内義和」ぐらいの大幅な改革をしても良いんじゃないだろうか? とりあえず準決勝は無理でも二回戦ぐらいは松竹系の作家もM-1の審査に入れるべき、少なくとも高須光聖内村宏幸、元祖爆笑王ぐらいは準決勝の審査員に入れて貰いたい。

  • 予選の審査員得点を公開する

しかし何だかんだ言っても、これに勝るM-1予選選考を良くする方法はないと思うんですけどね、せめて準決勝と三回戦ぐらいは点数公開の必要性はあると思う、だって大阪では30%、東京でも20%台の視聴率を取るようになってしまった以上、国民の関心事になってしまっているんだから、予選審査の公平性や透明性を担保する義務が、M-1グランプリという大会には出来てしまったと思います。もはやお笑いファンとお笑い関係者にだけ向いていればいい番組ではない。オリンピックやワールドカップの日本代表を選ぶのと同じぐらいの意識が、選考委員と主催者には必要になっていることを、強く考えて欲しい。
そもそも司会の中田なおきはりけ〜んずが、「審査員は100点満点で点数を付けて上位が合格です」とルール説明しているのに、審査に時間がかかっているのが、そもそもおかしいんですよね、点数から順番なら合格者数が決まっていない三回戦より下ならともかく、準決勝は上位八組を集計して出すだけなんだから、本当ならそんなに時間かからないはずなんですよ(笑)。
ということで、やっぱりM-1の準決勝より下の審査は、改善すべき余地があまりに多すぎると思います。せっかく吉本もここまで大きく育てたコンテンツ、上手く利用していき稼いでいくためにも、不満の芽は摘んでいって貰いたいです。というか吉本的にもそろそろNON STYLEは決勝に上げないとマズイでしょう?