「日本シリーズ完全試合継投問題」

こうやって字面にすると、そもそも何が問題なのか? というような気もしないでもない(笑)。

中日の山井、完全試合目前 「個人記録どうでもいい」 : asahi.com

この件についてのメディアの反応は、勝利にこだわった落合監督にチームプレイに徹した山井として美談として扱う向きと、山井の負傷問題については、完全に“後付の言い訳”もしくは“怪我を押してでも目指すべき記録だった”という論調に分かれているようです。

やくみつると佐々木信也はいますぐ首を吊って死んでください。 : How Does It Feel To Feel ?

まあ確かに“首を吊って……”という表現は不穏当かもしれませんが、このぐらい言いたいのはよく分かります。僕もどれだけ「玉木はさっさとナベツネを胸に抱いて●●してくれ」という言葉を、何度もここに書きかけたことがありますし、それよりも今回の件で賛否両論の“賛”という意見が、結構早い段階で構築されたのは、この二人とか、玉木とか、これから紹介するリンク先でも大反論されているブログとか、初期の段階から分かりやすい悪人が出てきて、相当に頭の悪い形で“否”の意見を出してくれたというのは、相当に“賛”の声が大きくなった一因ではあると思います(笑)。

君たちは野球の何を見ているんだい? : 404 Blog Not Found

しかしこういう「アルファブロガー(笑)」とかいって、おだてられている人たちは、どうして自分の興味のないことに熱中している人に対して、こんな上から目線に偉そうな物言いが出来るんだろう?
人間、興味のないことについて、偉そうに講釈垂れるべきではないという、もし何か言いたいのなら謙虚に言うべきという良い例ですねえ、そもそもの争点が何も分かっていない。というか元々が野次馬に対する野次馬の意見であり、「踊る阿呆に見る阿呆」といいますが、「踊る阿呆を見ている阿呆」を更に見ている人は、もはや阿呆ですらなく、阿呆になれていない人がお祭りの場に紛れ込むことの、愚かさを見せつけられた思いです。
とりあえずこの方の議論の前提の無茶苦茶さということに関しては、ラリーさんの「議論の作法」というエントリーをご覧ください。
しかし今回の件について思うのは、野球とかスポーツを普段見ていない人ほど、今回の記録達成がならなかったことについて、怒っている人が多いということであり、それは「スポーツをスポーツとして見ている」のではなく、「スポーツを“浪花節”や“ドラマ”として見ている」人が、いかに多いかということであり、特に普段スポーツをそんなに見ない人ほど、その傾向が強いということを端的に現しているように思えます。
その一方で旧来的なスポーツメディアや、年寄りの野球評論家や文化人が情緒優先で野球を語り、論理的にこの件を語ることを許さないというのは、スポーツというのがこれまでいかに「“浪花節”優先」で語られていたかということでしょう。でも亀田ファミリーに関しても、大衆は支持していたと言われているけど、多くのスポーツファンからはかなり早く前から疑問の声が上がっていたように、若いスポーツファンからはそういうのはもう止めようと、「スポーツはまず“スポーツ”として見よう、楽しもう、語ろう」という向きがあって、だから今回の玉木正之やくみつる佐々木信也の情緒的すぎる批判に対して、中日ファンだけでなく、新しい世代の野球ファンや広義にスポーツファンから批判の声が上がっている。

勝った以上は正しい : タケルンバ卿日記

その一方で落合監督は、あまりにもロジカルであり、ドラマや浪花節ではなく、スポーツとして物事を判断して、組織の上司として、山井の体調を気遣い、岩瀬に対しての信頼とリスペクトを示したというのは、落合監督の組織論とか人心掌握というのは、もっと企業論とかビジネス論みたいな形で支持されても良いはずなんですが、落合監督の上の世代への嫌われっぷりを考えると無いんでしょうが(笑)。
ちなみに僕がこういう事を書いたのは、山井が完全試合で締めくくるよりも、リリーフエースで、もうここ何年も中日の火消し役を担ってきた岩瀬が胴上げ投手になる方が、日本人好みの浪花節かと思っていたということで、これは完全に僕の世間の空気の読み間違いです(笑)。
しかしもはやワイドショー芸者でしかない、やくみつるはともかくとしても、玉木氏や元野球選手や監督経験のある評論家の人たちが、何の取材も検証も無しに、不満をただぶちまけているだけというのは、一体既存マスコミやプロの評論家とブロガーやネット掲示板に集う人はどう違うのか? という疑問の声はもっと突き刺さっても良いと思います。基本的に情緒なんですよね、野球をメディアで語る老人というのは、そう考えるといまJリーグサッカー日本代表界隈において、協会のおエライ老人の皆さんと、現場やファンとの間に乖離している者の正体というのも見えてくるようにも考えています。
ただ「普段は野球興味ない」と言ってる人の方が、今回の件に怒っているというのは、ニュースサイトとかブログ見ても思うし、やっぱりそういう層は「スポーツをいまだに“ドラマ”としてまず見ている」わけであって、それをターゲットにしている地上波テレビ局や代理店、各種スポーツ統括団体は正しいのかも? という話にも同時になってしまうんですが。

山井交代「言わせておけ」 落合監督、気持ちは次戦へ : スポーツナビ

しかし山井の故障については、後付言い訳説が時間が経つに連れて厳しくなってきたわけで、そうなると「怪我を押してでも記録達成を目指すべきだった」という声も大きくなってくるわけですが、落合監督もやんわりと言ってますが、ふざけるなって言う話ですよ、本気で「今後の野球人生を棒に振ってでも、記録に挑戦すべきだった」なんてことは、少なくともメディアに出て喋る連中は、軽々しく言うべきではないでしょう。それとも山井とその家族の面倒を一生見てくれると言うのでしょうか?
ソルトレークの五輪の時に、日本のメダルが少なかったのを受けて、あるスポーツ新聞で「冬季五輪の選手は長野の山奥とかに閉じこめて、練習付けにさせろ」みたいなコラムが載ったことがあるのですが、一体こういう事をいう人たちは、自分が一時楽しみたいが為に、選手の人生とか人権を犠牲にするようなことを、どうして平気で人前で語れるのでしょうか?
一試合完全燃焼とかスポーツ選手は競技のために人生の全てを賭けるべきなんていうのは、「巨人の星」や「アストロ球団」の中だけのことです。現実とフィクションの区別が付いていないという批判は、いまの若いオタク達よりも、こういう連中の方が適切ではないでしょうか?

監督は勝敗で評価される。 : woodsmithの日記

8回までパーフェクトだった山井、投げられない状態であることを自ら申告した山井、そして党首交代に踏み切った落合監督、そしてそれに応えた岩瀬、この二人のリレーを守備で支えた野手陣、これらをまずスポーツ的に讃えましょう。全てはそれからです。でもこれってドラマとしても、浪花節的に見ても一級品だと思うんですけどねえ(笑)、実際に僕は山井の完全試合より、最後は岩瀬でという判断は「確実を喫したチキン采配」ではなく「落合監督らしくない浪花節」という風に見えましたもん。

オレ流 : ダイノジ大谷の「不良芸人日記」

ということで中日ドラゴンズ、並びにファンの皆さん、53年振りの日本一です。心からおめでとうございます。

完敗 : 島本の感想文

あんな厳しいやつ相手なら…私がヒルマンでも負けてたな(どういうたとえだ)。
完敗 : 島本の感想文

しまもっさん(笑)、絶口調だなあ相変わらずとか思っていましたが、テレビ桟敷の前のファンですらそう思ったんだから、現場のファイターズの選手やベンチに与えた衝撃というのは、もっと大きかったかも知れないですね、純粋に心理戦としても、だってこれだけファンが翌日になっても揺さぶられているんだから、現場の対戦相手のチームは、もっと揺さぶられたんじゃないかな?

落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈
落合 博満

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