ちょっと整理してみる : 須田鷹雄の日常・非日常

解決策はあるのか? : 須田鷹雄の日常・非日常

須田さんによる問題提起の続きです。

 キャリアの長いファンなら、メディアに直球勝負の騎手批判・調教師批判が載るなんてことはそうそう無いことをご存知でしょう。それ以前に、厩舎人はマスコミより無条件にカーストが上、とでもいう暗黙の了解もある。
 井崎脩五郎だって自分でそういうカースト作っちゃってるところがあるし、淑子さんだって「ホースマンの言うことは全て正しい」みたいな世界観ですよ(それでよく私にからかわれる)。
さらに整理してみる : 須田鷹雄の日常・非日常

結局これが別の話だけど「お笑い評論は成立するか?」の話にも通じる根本的な問題だと思う、えのきどいちろうさんがラジオの野球実況において、アナウンサーが生徒、解説者が先生になることを、カマトトぶっているとしていたけど、プレイヤーや経験者に対する過剰な尊敬というのが、評論や批判を成り立たすことが出来なくなっている。
あと競馬独自の問題について言えば、新聞記者やトラックマンが騎手のエージェントになるという利権があるのは、公正報道という面でも、厩舎人の批判が利権を守る為に出来なくなるということも考えると、絶対に良くないと思います。マスコミ関係のパスを持ってトレセンに出入りしている人間がエージェントになるのは、JRAは絶対に禁止するべきだと思うし、エージェントはきちんと制度化、何なら免許化するべきだと思います。
あとこの件の何かの記事へのブクマコメントで、そんなマスコミにブログが取って代われないか? という話が出ていたけど、日本の場合ブログがファンサポ活動の延長にあるのと、そういった記事に対する反発の声が、炎上とか粘着みたいな形でブログの書き手にダイレクトに攻撃が行ってしまうから、なかなか難しいように思います。
だから本当なら90年代の「書斎の競馬」みたいなコンセプトのメディアが、ブログで出来上がっていくとか、「GyaO」とか「MONDO」とかで、既存の文脈とは違う形の競馬番組が出てくるみたいな流れがあっても良いのかなと思うんですけどね、競馬の市場が狭くなっている現状では難しいかも知れませんが。

藤田擁護派が多いというので、ちょっと書いておく : 〜ものかきの繰り言2007〜

あと欧米のファンが、芸能人やスポーツ選手に対して、プロとしてのファンサービスとかを厳しく義務付けたり、優れた才能を持った人に対して、それを免罪符に社会性がないということを許さないのは、エンタメにおいて受け手と送り手の間に日本のようなカーストが薄いからというのもあるかもしれない。対等というのもあるし、特別扱いしないのがあるけど、須田さんが名前出している井崎さんとか淑子さんはまさにそうですが、送り手を尊敬しすぎてしまうというのも、あまり受け手としては健全じゃないのかも知れない。

4870314010書斎の競馬 (No.1)
飛鳥新社 1999-04

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