他人の自由を否定するものは、自ら自由を受けるに値しない : タケルンバ卿日記

僕はこれまであえて“表現の自由”という問題には、この「お笑い評論は可能か?」問題に対して、絡めてこなかったんですが、「あらゆる表現は人の勝手であり、その受け取り方も人の勝手である」っていうのは、“表現の自由”という問題に対する、本質を凄い分かりやすく表していると思います。
表現というのはあらゆる形のあって、それが実製作に行く人もいれば、研究分析に行く人もいれば、印象評論にいく人もいれば、まあ言い捨ての感想になる人もいるし、それをプロでやる人もいれば、アマチュアでやる人もいるし、一回限りの人もいる、それは等しく全て表現であって、面白い面白くないとか、正しいか間違っているかとか、それは評価に繋がっても、やっていい悪いには繋がるべきではないですよね。
ヤンタン明石家さんまが、週刊誌やワイドショーの取材に対する不満や文句を物凄い熱く語った後に、「でもああいう表現の自由が認められているから、俺たちもテレビで笑いが出来ている」と締めたときがあって、目からウロコというか、他の芸人さんだったら自分たちのやっている表現と、ワイドショーのゴシップを同一線上に持ってこないというか、それとこれは別みたいな話している人が、それまで多かったのに、さんまさんは「ワイドショーの芸能ニュースを規制しろといったら、自分たちのバラエティだった規制されるようになる」という所に繋がってものが見れるというのは、意識レベルの違いというのを感じて結構もう10年ぐらい前のヤンタンだけど、結構感動したのを覚えています。
後半のタケルンバさんのお笑い論に関するところは、もうその通りだと思いますというしかないですね。いやまあそれを言ったら全ての表現は出し方も受け取り方も自由であるというのも、完全同意事項なんですが。