「お笑い評論はお笑いサポーターではない」

「愛」問題 : 雑じわる島宇宙

「検索ちゃん」動画問題は、発端の僕やにづかさんは、あれをインターフェースにして前々から語りたかったことを、語り出すきっかけにさせて頂いたという所があって、にづかさんもあの三人を特別に責めるつもりは、そんなにないと思うんですけどね、最近のブログとかでお笑い語りしている人たちは、芸人寄りで考える人が多いから違和感があったかも知れないですが。
ただここに来てもう一つ思ったのは、「対象に愛がなかったら批評してはいけないのか?」とか「愛というのは、どこに付随する物なのか?」というのもあって、後者の方を先に説明すると、例えば「ゲームは愛してるけど、FFは愛していない」という人がRPG論を語るときに、FFのことを書いてはいけないということは、別にないんじゃないか? ということですよね。例えばお笑い全般を愛している人がいて、例えばその人がラーメンズが好きで、チュートリアルが嫌いじゃないけど愛していないとした時に、チュートリアルについては語っちゃダメかというと、そんなことはないわけですよね。
ジャンルは愛してるけど、特定の個人の作家とか芸人にまで視点を下げたときに、愛しているのと、愛していないのがあって、そのジャンルを愛していたら、全体のことを話すことを認めるのか、それは認められないのかという話にもなりますよね、だからジャンルという方に括っているんだと言うことは、きちんと言っといた方がいいかなと思いました。
ただ槍沢さんが今回提示した、“「正しい」かどうか”という基準は難しいと思う、例えば同じ批評でも、僕が読んだら正しいと思うけど、にづかさんや槍沢さんは正しくないと思う物もあるだろうし、批評されている本人がそれを読んで正しくないと思っても、例えばその芸人さんより上の立場の人が正しいと言うこともあるだろうし、そういう主観に阿った基準は避けた方が良いと思う、そしてそれを言うと“愛があるか”というのも同じですよね。
だから批評と批判の違いというのを区別した方が良いかなと、そして批評は愛がなくても批評や論評の内容が、正しいというよりは、ある程度コンテンツになっていればOKにして、批判に関してはそこに愛があって言ってる物と、無くて単なる悪口になっているものは、読み手は読み分ける訓練しといた方が良いかなという所ですかね。
自分は基本的に元々嫌いな物に対しては、もうそれについて考えるのも嫌というか、考えるのが面倒くさいってなってしまうんで、ほとんど触れないし、触れても凄い淡泊になってしまうんだけど、だからにづかさんの書いてる、純粋にマイナスベクトルだけで物書いてる人のブログとか、そういう人たちが集まる掲示板とか、本当に見にいかないから、「嫌いな物について考えるのは時間の無駄だし、それについて憤るのは心の無駄遣い」と考えているところがあるから、にづかさんが書いている「嫌いな芸人に対して「潰してやれ」という思いでベクトルがマイナスの分析、マイナスの批判する人」というのは、最初から読まないし、読んでもすぐに通り過ぎちゃうんで、実は「愛のない批判は良くない」という問題意識は、僕はあんまりないんですよね(笑)、その辺は「ニュートラルポジション」さんの記事の最後の段落で言ってることで、僕は良いんじゃないかなあと思っています。確かにマイナス感情だけで批判しているのは嫌ですけどね、でももうそれは受け取る方が強くなるしかないという結論になってしまう。

お笑い評論問題 at 昨日の風はどんなだっけ? : ripping yard

ゲージュツ家(恥ずかしいのでカタカナ表記)が、評論家に対して、「そんなん言うのならお前がやってみろ!」というのは、全く持って現代的ではない、というかそんな議論はとうに終わったはずなのだが。
(引用者による、中略)
基本的には、この発言は「目くじらを立てるような問題」ではない訳が無く、当分この世代の意識の低さを端的に発露した典型例として、じめっと語り継がれていくのだろうと思います。
お笑い評論問題 at 昨日の風はどんなだっけ? : ripping yard

例えばマンガ界で「ガロ」とか「COM」の時代に、マンガ評論というのが一斉に出てきて、漫画家側がそれを歓迎するような人たちが多くいた時期とか、テレビお笑いだと「ひょうきん族」からダウンタウンが東京進出する前後あたりって、「ダウンタウンと麻生香太郎の対談」というのが分かりやすい例だけど、さんまさんとかたけしさんもよく評論家とか大学教授とかと絡まさせられていたけど、あのマンガ界やテレビ演芸界が、評論・批評に対してウエルカムだった時代というのは、芸術コンプレックスの裏返しだっただけで、本当の意味で評論・批評の必要性とか、そういうのが必然的に噴き出してくる理由が、分かっていた訳じゃないと思うんですよ。
ひょうきん族とかダウンタウンの頃に、一部で大学教授とか、文芸評論家や音楽評論家とかの評価というのが、箔になると思われていた時代というのがあって、それは芸術とか文学とかアカデミズムに対する憧れとかコンプレックスが、漫画家とか芸人さんとか、テレビ番組を現場で作っている人たちにあった時代だったからで、例えばさんまさんとかヤンタンで「ひょうきん族の○○というコントが、誰々という大学教授さんにこんな分析されて褒められていた」とかいうのを、結構嬉しそうに喋っていた時期ってあったから、一世代上の芸人さんが評論を許容していたのは、文学とか音楽とか芸術に対するコンプレックスの裏返しだったのかなと思います。
それがお笑いとかテレビ演芸というジャンルが、何度かのお笑いブームによって浸透と拡散して定着していって、コンプレックスが無くなったときに、評論が根付くという方向に行かないで、評論とかを受け入れるのが格好良いんだというのが無くなっただけで、別に特に土田さんや品川さんが、上の世代の芸人さんと比べて意識が低いという訳じゃ、ないような気もしています。
マンガ界というのは、夏目房之介先生とかが現れて、マンガ評論単独でコンテンツになり得るような書き手が次々と現れて、「覚悟のススメ」の山口貴由先生みたいに、単行本の後書きで「夏目先生、いしかわ先生の評論のおかげです、ありがとうございます」みたいなこと書ける、新しい世代の漫画家が現れてというのがあるから、もう実作者で評論に対して反発する作家や、ヒステリックな反応をするファンというのは、いまだ多いだろうけど、かなりその辺の意識を支える土壌は出来上がっていますよね。
いま具体的な記事を探せなかったんですが、2004年のM-1グランプリの後で読んだブログ記事で「M-1グランプリという番組の最大の功績は、お笑いとか漫才を採点・評論の対象にしても良いものなんだというのを提示したこと(大意)」というのがあって、やっぱり今のブログブームの前に、M-1オンバトというのが、評論というよりは、まあ僕らもそうですけど“語りたがり”に語って良いもんなんだという価値観を与えたのが、やっぱり大きかったと思うんで、僕らより数年後の世代の芸人さんとか作家さんというのは、自分たちが語られることに対する意識が変わっている人が出てくる可能性はあると思うし、あとやっぱりこれですよね。

たぶん、2000年からのお笑いブームでお笑い志望者も激増したと思う。
ということは、あまりこういうことは書きたくないけどやまほど挫折組が出るということですよ、今後。
しかも、そういう人たちはNSCとかを出て、基本も知ってるし自分も舞台に立ったり作家的な勉強をしたこともあると。
そうなってくると、そういう人たちの中から大量に「観る側」に回って何かを書き出す人が増えてくる可能性はある。
お笑い評論は可能か : ゾミ夫

こういうお笑い版夏目房之介のような人物が出てきて、岡田さんのように「アニメ評論はアニメの発展のためにあるのではなく、それそのものが作品である(大意)」と胸を張って言えるようなプロの仕事をする人が現れて、ラサール石井水道橋博士のような、元々資質として評論性が強い芸人さんが、お笑い本を出してそのときの帯に、「お笑いより面白いお笑い案内」とか「漫才を語るのは、漫才を見るより愉しい」みたいなこと書いてる本が出るという時代は、そんなに遠くない時期にやってくるとは思っています。僕自身はどうしても主観を取り除くことが出来ないし、それを芸にまで昇華する技量がまだ無いし、今後付くかどうかも分からないので無理でしょうが、いまブログとかやっている人の中には、いけそうな人はいると思う。
ここまで書いて最後に一応の結論で締めて、投稿しようと思ったら、「ゾミ夫」の新田さんが12日付でさらに更新されていたので、それを受けて少しだけ延長します(笑)。

お笑い評論は可能か2 : ゾミ夫

「お笑い評論は可能か」という命題に立ったとき、「お笑い評論はお笑いサポーターではない」っていう立場からじゅうぶん可能ではあると思えてきた。
お笑い評論は可能か2 : ゾミ夫

僕はここまで今日ダラダラといつものように長々と話をループさせながら書きましたけど、結論に持ってきたかったのは正にコレなんですよね、これを最後に言う為の言い訳として、ダラダラと理屈をこねて、また自信がないことの現れとして同じ話を何度もしてしまうんだけど(笑)、僕が結論に持ってこようとしたことを、最初にバンと言われちゃって、そこから話を広げられたらもう読んでて嬉しいんですが、「参りました」という気になりますよ(笑)。いやこの敗北感は気持ちいい種類なんですけどね。

私も、たいしてお笑いとか好きじゃない人が「面白い/つまんない」だけでバッサリ斬るの、イヤはイヤなんだよね。
で、そこを乗り越えてそういうこと言う人とコミニュケーションできるかというと、できませんよ。
これはもう仕方ない。
あるいは、けっこう好きな人同士でも、「お笑い」って他のジャンル以上にコミニュケーション取るのむずかしいと思うんですよね。
お笑い評論は可能か2 : ゾミ夫

「分かり合う為には対立を避けるべきでない」と考えるか、「分かりあえっこないんだから対立するだけ時間の無駄」という考え方があって、僕はやや後者寄りな考えではあるけど、ただこういうお笑い自体が嫌いで仕方ない人のマイナス感情だけの批判に対して、憤るとか腹を立てるとか反論するといった形でコミュニケーションを取ることすら、芸人側もお笑いファン側も不毛だから、もう止めといた方が良いとは僕も考えています。その一方で芸人側はそういうコミュニケーションが取れない悪口と、コミュニケーションが取れる批評を一緒くたにして、悪感情をぶつけない方が良いのではとは思います。

これ見て最初に思ったのは、こういう場をよくつくったなあ、と。
こういう会話で成り立つトーク番組って、今ないんじゃないかな?
お笑い評論は可能か2 : ゾミ夫

最後に話が前後しますが、こういう番組は本当にいま無いですよね、「パペポTV」とか「EX Osaka」といった東京でも放送されていた番組もあるけど、この頃の関西のローカルバラエティ番組は、本当に面白かったし、これが僕が中学校の時まで思っていたバラエティ番組でしたよね、今の部活ノリの延長線上のバラエティが肌に合わないというのもあるんだろうけど、ウィキペディア「EXテレビ」の項を見て、当時を思い出していたけど、こんな番組山のようにありましたからね、だから最近のお笑いファンの書くお笑い論が、批評というよりはサポーターの応援になっているのは、そういう部活ノリの身内遊び的なバラエティ番組の身内の中に、自分も入りたいという意識、もしくはもう入っているからじゃないかとも考えるときがあります。
だから新しい世代に対する期待というのを、さっき書いたけど、それとは全く逆の考えとして、一ファンなんだけどもう意識が芸人さんになっている人というのもいるんですよね、だからいま「アメトーーク」とかの「○○芸人特集」とか、「ジャイケルマクソン」でもbaseの芸人さんが沢山ひな壇に並ぶみたいな回が人気あるのは、いまのバラエティの身内遊び的なものが好きで、自分もそこに入りたいと思っている人が多いからじゃないかなと、思うことはあります。
YouTubeの大阪時代のダウンタウンの映像になるけど、15年前に芸人が深夜番組でアニメを語るというのは、これぐらい濃い話をさせていたわけだから、ファンが求めているもののレベルも変わってきてますよね、濃い話を突き詰めるんではなく、あくまでネタはお題で、そのお題を中心にワチャワチャしている所を見たいし、そこに参加しているような気持ちになりたいというのが、いまの深夜バラエティ番組になってる。まあでもこれはあくまでも、いまこの時代がそういう番組がブームになっているだけで、これが延々と続くことはないと思いますけどね。
結局このお笑い批評問題が、この時期にこうやって話題に出来たのは、いまのお笑い業界って芸人さんにとってもファンにとっても、お笑い界という所に、みんなで広く閉じていたい、その中でルールを作ってそれを楽しみたいというのは、強烈にあると思う。でも生き残るって言い方は違うかも知れないけど、出世するのはさんまさんとか鶴瓶さんとか所さんのように、外に向けて開けている人だけだと思うんですよね、いまのお笑い界全体が内的な方向に向かっているというのが、芸人さんはもちろん、ファンの側でも批評や評論を嫌がる状況というのを生んでるのかなあという気は漠然としていて、批評とか評論はお笑い界の中の人と外部とのコミュニケーションなわけだから、外に開くベクトルとしてチャンネルは開いといて欲しいなと思います。
実は意外かも知れないけど、いまの「アメトーーク」的なお笑いの流れよりも、ラーメンズとかの方が実は内向きのようで、外部に開いているんですよね、あと少しベクトルは違うけど立川談志とかも外に向かっている、だからこの二組って特別に語られることが多いんだと思っています。
だからM-1グランプリは、アマチュアの素人エントリー受け付ける形で続けて欲しいですよね、プロの芸人さんは素人が記念受験的にM-1予選受けるのに、悪感情抱いている人も多いけど、お笑い界と世間があれだけ濃密なコミュニケーション取れる場所というのはないんだから、吉本さんと朝日放送さんにはあれだけは維持して貰いたいなあ、だってアレってコミケ手塚治虫漫画賞を、一緒にやっているという凄いイベントだと思いますよ。決勝当日なんて去年はついに関東で20%、関西で30%以上の視聴率を取ったわけで、その一方で敗者復活戦には寒空の下で、お笑い好きが何時間も見続けているというのは、レコード大賞とロックフェスを同時にやってるようなもんで、あれはやっぱり凄いイベントになってると思いますし、M-1とかオンバトが作ったお客さんと演者を評価という点で繋げるコミュニケーションのあり方は、やっぱり今後の一つの流れになっていくと思います。