ちょっと細かく話していきます。

まぁ捉え方は人それぞれだとは思いますが… : 一汁一菜絵日記帳

僕とにづかさんの共通して感じていることとして、「こんな不満をテレビでぶちまけるの格好悪いよ」というのが、根底にあると思うんですよ、それを許せてしまうファン層がいるというのは分かるんですけど、なんか今日の他の競馬の騎手話と繋がっちゃうんですが、それはファンがプレイヤーを甘やかすことにならないのか? というのもありますし、まあ言ってみたら楽屋話なわけじゃないですか、80年代から90年代前半にかけて、ギャグマンガ業界から遅れて、日本のテレビのお笑いにも楽屋裏を見せる、楽屋を舞台にするという笑いが、ひょうきん族が始めて、とんねるずダウンタウンがそれをレベルを上げながら一般化していく過程があって、楽屋を見せるということに特別な意味合いがなくなった時代になってしまったから、テレビカメラの前とか、舞台の上で言うべき事、言わない方が良いことという垣根が、薄くなった世代というのもありますし、あと、さんまさんとかとんねるずとかの世代は、楽屋裏を見せても、楽屋裏の努力を見せることを嫌った世代なんですよね、やっぱりその辺の世代の芸人さんに視聴者として一番影響を受けた僕ら世代のファンは、裏や陰でこんなに努力してるんですよ、というのをアピールするのがとてつもなく格好悪いこととして映ってしまうというのはありますよね。

この三人の中だと一番首を絞めてる発言をしてるのは土田でしょうね。
あれこそまさに「お前が言うな!」ですから。
まぁ捉え方は人それぞれだとは思いますが… : 一汁一菜絵日記帳

僕とかにづかさんの所にリファやトラバで付いている「そんなに目くじら立てて起こるような事は言ってないんじゃないか?」というのを読んでいると、太田さんや品川さんへの弁護が多いけど、僕もにづかさんも土田さんを一番問題視していますよね(笑)、だって品川さんや太田さんもその傾向はあるけど、土田さんが一番芸人とかお笑いタレントというより、評論家というかタレント文化人みたいな位置に、加速度的に進んでいるのに、こんな事言っちゃって大丈夫なの? あんたジーコや川淵さんに「代表監督やってから言え!! 俺たちの苦労分かってるのか!!」って言われたら、どうすんだよという思いは正直ありますよ(笑)。
だから土田さんが、2006年のワールドカップ中に結構過激なことを言って、コアなサッカーファンの話題をさらったけど、その後であんまり土田さんのサッカーの仕事が広がっていないというのは、論評とかに対してある程度の覚悟があって、ああいう発言していた訳じゃないというのが、見破られた結果何じゃないかと思うし、結果的にあの時期にサッカーの仕事をするにはアピールがヘタと土田さんが言ってたタカトシが、日テレで今サッカー番組の司会やってるわけですからね。

まだ、一番納得出来るの品川の意見ですしね。
まぁ捉え方は人それぞれだとは思いますが… : 一汁一菜絵日記帳

それは思うんですが(笑)、結局「ニュートラルポジション」さんが言ってるように、そういうアホな意見と一応評論家を名乗っている人を一緒くたにしているのが、品川さんが最近ある程度、サブカルタレント的な立場で、アニメとかマンガとか映画とか小説の感想を言うことが、一つの仕事になっていることを考えると、ちょっと考え無しというか、天に唾してるかなあと思うところですよね、だからこれは“誰々の暴言”という意味合いではないですよね、「そんなこと言っちゃって、これから大丈夫?」っていう意味合いの方が強そう。

お笑いを評論すること、語ること : 電気じかけの三日坊主

一番この件で思ったのは、ファンという存在をどれだけ意識しているかということなんですよね、別にファンでもない世間の人たちの軽口、評論家を名乗っている人で、きちんと考えて厳しいことを言っている人、考え無しに厳しいことを言ってる人、そして好きだからこそ批判しているファンとかを、別に今回の元となった「検索ちゃん」の動画に限らず、芸人さんは全てを一緒くたにしている面が、凄い分かりやすく露わに出たなあと思うんですよね。
今日違うエントリーで少し競馬界の騎手の話をしたけど、競馬の騎手や野球選手と同じく、芸人さんも案外、お笑いファンが高じて芸人さんになるというパターンは案外少なくて、少しはもちろん興味あったかも知れないけど、高校や大学の卒業が近付いて、進路について考えないといけない時に、芸人という進路が突然浮かんだとか、大学の文化祭で今の相方に突然誘われてやってみたら面白かったとかいう人が多いじゃないですか、お笑いマニアを経て芸人になったなんていう、浅草キッドの二人みたいなタイプは、芸人さんの芸人になったきっかけを聞いたら意外と少数派でしょ?
だから水道橋博士みたいに「自らがお笑い芸人として生計を立てている一方で、ただの在野のお笑い愛好者である、という自意識を終始捨てていない」というのは、本当に珍しいんですよね、ファンの視点というのをこの人が捨てていないと言うよりは、他の人は元々最初から持っていないんじゃないかなと思うんですよね。
例えば土田さんとか品川さんは、お笑い評論家みたいな立場でも優れていると一部では言われているけど、水道橋博士と比べると、その辺の客観性のあるお笑い論にはなっていないですよね、その辺が何かいしかわじゅん夏目房之介のマンガ評論の違いに似たものを感じるところです。
まあ逆に言えば水道橋博士が、浅草キッドという一流の現役の漫才師でありながら、他のお笑いを批評するときに、完全に評論家目線やファンの立場で発言出来る中立性というのは、世代もあるのかも知れないけど凄い不思議、水道橋博士ウェブ日記とか読むと、M-1決勝の感想とか最初の一年目は業界人的な斜に構えたこと書いてるんですが、最近は弟子の東京ダイナマイトが現実的に狙える位置に来たせいで、客観的に遠い位置に自らを置いて語るようになっているけど、最初の数年は年を経る事にどんどんファン目線だったり、評論家的な切り口の論評になっていて、凄い博士のM-1の感想というのがそれだけで一コンテンツとして楽しめる内容になってるのは、結構凄いなと思います。感想の内容が一ブロガーとすら思えるような内容を、あの立場の人で書けるのは凄いです。

お笑い評論は可能か : ゾミ夫

昨日も少し触れさせて頂きましたが、もう少し細かいところに、話をいきたいと思います。

というのは、サブ・カルチャーにおける「評論」というのが、レビュー、もっとぶっちゃけて言うと「提灯記事」の発展形として受け取られてきた経緯があるからなんだよね。
お笑い評論は可能か : ゾミ夫

この辺は「BSマンガ夜話」とかでも、よくレギュラー出演者の番組本の対談とか、トークライヴとかで出てくるけど、この辺の認識で番組に出てくるゲストのタレントへの不満というのを、出演者の皆さんは凄く口にされますが、結局この辺の齟齬というか、批評や紹介というのは褒めるものだけでいいという考えが、まだ日本のサブカルというよりエンタメ業界には、色濃く残っているという状況はありますよね。

だから、「マンガ評論」はあるけど、「で、マンガ評論って何のためにあるの?」みたいな疑問がいまだに、マンガファンからも出てくることになるし、マンガマニアでもマンガ評論を読んでいるとはかぎらない、ということになる。
お笑い評論は可能か : ゾミ夫

だからやっぱり「マンガ夜話」という番組と、あの番組のレギュラー出演者のマンガ評論系の著作が、元の漫画を読んでいなくても面白いというコンテンツになっているのも、逆に言えばあると思うんですよね、もう一つ深い楽しみ方を見つける愉しさというのは、僕はお笑いの方が大きいと思っているんですよね。

これは正直、どうなのかよくわからん。「演芸評論家」という人は過去にけっこういたと思うんだけど、土田がああまであしざまに罵るということは、そういう先達との接点がまったくない、ということなんだろう。
お笑い評論は可能か : ゾミ夫

例えばさんまさんは、普通にここで名前が出ている小林信彦さんとかの話をよくしていたし、例えば大阪時代のダウンタウンは、当時の大阪の大人がダウンタウンを分からなかった、理解しきれなかったということもあったと思うんですけど、大阪時代の末期のダウンタウンって、文化人や評論家と絡まされていたんですよね、まあその代表的なのがYouTubeにもアップされている「ダウンタウンと麻生香太郎」なんですけど(笑)、これってやっぱり凄いですよ、麻生香太郎格好良いし、ダウンタウンは負けているんだけど、あえてここまで論戦をはって、それこそ涙目になりながらも真っ向勝負をしているダウンタウンは格好良い、いやこれどう見ても、お笑いファンが贔屓しても、麻生香太郎ダウンタウンは言い負けてますよ、それは松ちゃんが後半涙目で反論していることで明らか、でもそれでね思うのは麻生香太郎格好良い、でもそれ以上にダウンタウンは格好良いということなんですよね、いやこの麻生香太郎のある意味無責任な評論家としての意見に対して、逃げないで真っ向から向かっていってボロ負けして泣いている姿は、こんなん太田や土田や品川と比べたら、最高に格好良いッスよ、俺もうこの姿見せられたら、ダウンタウンは格好良いという所で思考停止してしまうよ、そのぐらいダウンタウンにとっては明らかに敗戦なのに、それでもどうしようもなく格好良いですよ、これ。麻生香太郎ダウンタウンもどっちも凄い格好良いですよ、これ。オレ本当に昔に一度見せて貰ったこと有るんだけど、今回改めてみて感動した。お笑い評論というのはこんなレベルに行っていたんだと思ったし、それを受ける芸人の対応もこの域にいってたんだと、結構本気で感動したもん、ちょっとタイミングがあってたら泣いてたかも知れない。いやこれ麻生香太郎凄いこと言ってるし、それを否定しきれないダウンタウンの所作も最高に格好良いやん、おれは痺れたよ!! 逆に言うと、僕程度のものが、こんなブログで書いてるようなことで怒ってくる(一般のブログだけやっている人は別にして)業界でやってる奴が、いかに小物でどうしょうもない下っ端かというのが、本当に理解出来た、今後気にしないでまた書けると思ったよ、そのぐらいこの一連のやり取りを経た後で、麻生香太郎ダウンタウンのやり取りを見ると、いまの芸人がいかにこういうお笑い村の住人以外の声に晒されていないか、そしてそれに芸人が安住してしまっているか、ファンがそれを当然と思っている甘さを痛切に感じました。
あまりにも特殊な事情のケースだけを比べるのはアンフェアだとは思うけど、このときのダウンタウンと、この話題の元になった太田、品川、土田を比べたら、万とか億とかでは計れないぐらいの格の差を、感じてしまいます。次元が違うぐらい、この敗戦しているダウンタウンより、太田、土田、品川は小物感が際立って出てしまっている。こういう場所に真っ向から出て行ったダウンタウンは格好良いし、こういう場所にダウンタウンを引っ張り出すぐらいに、80年代のお笑い業界というのは豊かだったんだと思い知らされました。これにはもちろんきっとこういう場をセッティングしたかわら長介倉本美津留の功績もあるんでしょうが、そこに出て行ったダウンタウンや、こういう証拠映像は出せないけど、さんまさんやたけしさんも出て行ってるところは、僕は沢山見た覚えがあるわけで、この辺の人たちと第4世代って言われる連中の晒されている立場の差や環境というのは、特に今回の太田や品川や土田の映像を見比べると、痛切に感じてしまいますよも、まあ太田や品川や土田は、たけしさんやさんまさんやダウンタウンと比べるのは、あまりにも可哀想かも知れないけど、でもここまで偉そうなことを行ってしまった手前の義務というのは、やっぱりあると思うので、比べてしまいますが、やっぱり麻生香太郎に辺に逃げないで真っ向勝負をして、泣き負けしたダウンタウンの方が、俺は格好良いと思いました。だって松っちゃんも浜ちゃんも麻生香太郎の言ってることに、明らかに否定し切れていないでしょ? おれやっぱりそういう所に、ダウンタウンとそれ以降との芸人どもとの理想の高さの違いをどうしても感じてしまうし、さんまさんやたけしさん、鶴瓶さんは、こんなに気高いダウンタウンの理想より、もっと高いところを目指しているんですよ多分、それが俺はやっぱり凄い違いだなと、どうしてもロートルファンの妄想かも知れないけど、どうしても思って考えてしまいます。
悪いけど、お笑い以外の映画とか、演劇とか、音楽とか、文学とか、マンガとかといった業界は、このぐらいのレベルの評論、批評に晒されているんですよ、お笑いだけが、たけしさんとかさんまさんとか、ダウンタウンといった超一流の人たちだけしか晒されることなく、何十年もテレビの世界で甘い汁吸ってたわけですよ、でももうそういう次元で、バラエティとか演芸というものが過ぎていく時代ではなくなったと、そういうことを理解して欲しいというのは、芸人さんだけでなく、お笑いマニアなファンの人たちにも思って欲しいし、お笑い作家、構成作家やお笑い作家みたいな事している人たちに思ってもらたい所なのであります。
特に構成作家、漫才作家の人たちは、このままじゃあ、麻生香太郎みたいな在野の人の無責任な意見にすら、カケラも勝てないような状況が続いちゃいますよと、僕は強く主張したいです。麻生香太郎が言う、2丁目劇場でやってる若い子達が希望を持てる未来を、残念ながらダウンタウンは作れなかったと、この動画を今見ると総括せざるを得ない、じゃあ、笑い飯や千鳥、天津、ダイアンがそれを作れるか、という話になっていくんですよ、残念ながらこれより15年以上経っているのに、状況は退化しているとしか言えないのは、ダウンタウン以降の全ての2丁目やbaseはもちろん、B1角座の芸人や作家、スタッフの責任ではないのかと、僕はどうしても思ってしまうのであります。
悪いけど、いまうめだ花月baseよしもとで、もしくはルミネで、ある程度の地位を築いている連中で、なんでこういうことを言われて、反発することだけしかできない連中と、言われて反論はありながらも、同意する自分がいて涙目になってしまうダウンタウンとの差というのは、どこが違うのかというのを僕は痛切に感じてしまうのです。
俺はこのときの松ちゃんの格好良さ、浜ちゃんの潔さというのに、何年か前に見て感動したけど、今回改めて感動した自分がいました。むしろいまの方が、感動する部分が沢山あったし、それ以降の特に関西の芸人や作家が言ってる、狭いところで養ってきた美意識が、いかにくだらないかというのが、再認識させられました。やっぱり自分にとって、明石家さんまは特別なオンリーワンだけど、ダウンタウンはそれに準じる存在だというのを、改めて強く心に刻まれた、10分58秒の動画でした。
あと大阪がお笑いの聖地だとか、大阪のお笑いが一番だとか、大阪が一番お笑いをやるに良い環境だとか、馬鹿な勘違いしている連中は、この動画の後半の松ちゃんと麻生さん、そして高見知佳とのやりとりをよく見ておけと言いたいです。

でもそういうのは狭い世界なんだし、しかも相手が年上の場合もあるんだから、やめた方がいいとは思います。
単に人の顔色見てものを言っているみたいで、カッコ悪いもん。
お笑い評論は可能か : ゾミ夫

ここまで言い切った後だと、蛇足にしかならないんですが(笑)、それと同じ事をアホそうな女や、評論家に言われたら腹立つけど、全く同じ内容のことをさんまさんや松本さんに言われたら納得するというのは、封建主義的な上下関係名社会では正しいかも知れないけど、アーティスティクな場所で考えたら、発言の内容ではなく誰が言ったかで計るというのは、凄い格好悪いことなんですよね。本質で物事を語っていないということになってしまう。

第4世代の。 : 647ch 美空惑星放送協會

好きだからこそ言ってるというのは、その通りなんですよね、でもそれ以上の何かがある、だからこそみんな一円の特にもならないのに、言ってる連中があるという現実というのを、分かって欲しいというのはありますね、だからこそこの解釈は有り難いと思います。