『嘉門達夫 ゴールデン☆ベスト-オール・シングルス+爆笑セレクション1983〜1989』

レンタルにて聞きました、今月ぐらいからまた日付タイトルの曲が入らなくなりましたが、これは色々と聞き過ぎて絞れなくなった結果です(笑)。ということでどんなの聞いてたかを振り返る意味も含めて紹介していきます。
で、このアルバムですがはっきりいって面白いです。いまの嘉門達夫は面白いこと何にもないですが、このアルバムの頃の嘉門達夫は確実に時代に大きく名を残す存在として面白かったし、そのころの代表曲ばかりを集めた、時期的には丁度『替え歌メドレー』以前になる曲ばかりですが、さすがに一部の曲の時代性的なテーマの歌や、現在の同タイプでもっと優れたものもあるので辛くなっている曲もありましたが、それでもノスタルジィを抜いても十分に評価に値する、聞いていてパワーを感じる、笑えるものが多くてビックリしました。やっぱりこの頃の嘉門達夫は面白いわ。
amazonのカスタマーレビューが声を揃えるかのように、「この頃のパワーが今あれば」というような内容になっていますが、それはこれを聞く前からみんな思っていたことでしょうが、これ聞いたらますますそう思いますよねえ。
雑な感想としては、何が面白いというよりは、いまの嘉門達夫とこの頃の嘉門達夫はどう違うのかという話になりますが、いまの嘉門達夫は明らかに時代に迎合しすぎですよね、その上で時代を掴んでいないのが余計に問題なんですが、当時の嘉門達夫は「ヤンキーの兄ちゃんのうた」にしても「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」にしても、もう当時そんなヤンキーの兄ちゃんはあんまりいなかったし、川口浩探検隊も番組終了の一年前ぐらいという時期なんですよね、そう考えたら別に「今さらその題材?」というのは別に問題ないというか、それでこそ嘉門達夫だと思うし、そのぐらいの古いテーマを扱った方が、浸透しているテーマとして嘉門達夫の普遍性のある芸風にあっていると思います。
嘉門さんの代表曲は基本的に、今さらなネタで構成されていることが多いし、最近の葉書職人、ネット芸人の子が突っ込んでいるように、ネタ自体のレベルは現在の葉書職人なら誰でも書けるあるあるネタのレベルなんですよ、ただ嘉門達夫の凄いところは、そういったネタやフレーズの取捨選択の巧みさと、その凡百なネタを見せるためのパッケージングの巧さが違ってたんですよね。
「あったらこわいセレナーデ」「鼻から牛乳」「血液型別ハンバーガーショップ」とか、どれも多分歌の中の一つ一つのネタとしてはよくあるハガキ投稿ネタ、大喜利ネタの水準の内容だと思うんですが、でもこの「あったらこわいセレナーデ」や「鼻から牛乳」といったパッケージで出されると、全然違うんですよね、面白さが際立つようにパッケージングされて出てくる、これは凄いことですよ!!
これは当時の嘉門さんの持ち歌数とかを考えると、同じ芸人が新ネタとして「あるある探検隊」をやって、次の週に「残念」をやって、その次の週に「切腹」をやって、さらにその次には「オオカミ少年」「犬井ヒロシ」「星野卓也」などなどを次から次にやるぐらいのバリエーションだったわけで、これはブレーンが考えた箱もあるとはいえ、物凄いことですよ、嘉門達夫の真骨頂というのはまさにこのパッケージを作る巧さだった、その最たる者はぜんじろうがアドリブでいった「鼻から牛乳」のフレーズをその場で面白いと買い取り交渉をしたという所にあると思います。
でもいまの嘉門さんのネタは、かなり過去の遺産の縮小再生産的になっているというのも、この新しいパッケージを作る面白さという部分が無くなってしまっている要因でもあると思います。代表曲の「替え歌メドレー」と「鼻から牛乳」だけがとてつもなく続編も面白かったんですが、元々「あったらこわいセレナーデ」にしても「ひねりなさい」にしても「ハンバーガーショップ」シリーズも、あんまり嘉門さんの曲の続編って面白くないんですよね、やっぱりこれは嘉門達夫がパッケージ業者だったからだと思うし、「替え歌メドレー」と「鼻から牛乳」は続編も長く楽しめるほどパッケージが鮮度を落とさない素晴らしいものだった。
あと最近の嘉門さんのネタというか曲への不満は、元落語家要素を伺わせるネタが少ないんですよね、特にシングルになるような歌に、やっぱり嘉門達夫のネタって落語家の小咄にメロディが付いただけのような曲や、一人で掛け合いを止めような落語家時代に培った技術を利用したネタがやっぱり面白くて、ある意味新たな新作落語の形というか、元々の落語はスタンドアップで楽器なども持っていたというのなら、嘉門達夫こそ落語の原点回帰だったのかも知れないというのは大げさにしても、その辺の魅力はやっぱり最近減ったなあというのは、昔の良作を聞くと改めて感じるところです。
嘉門達夫の面白さって定番ネタや誰でも考え付くようなベッタベタなギャグや題材なことを、いかに新しく面白いパッケージに乗せて見せること、その誰でも考えつく定番ネタの取捨選択こそが魅力だったんだなあというのを、過去の名作を聴いて思いました。ホンマにこの頃の嘉門達夫よもう一度とかってのファンなら思いますよねえ。
あとこれは僕がラジオっ子でありながら、本当に好きな芸人さんタレントさんが出ているもの以外全く聞かなくなった、それすらもう多々聞き逃すようになった理由として、ラジオの葉書職人からネタ募集系のコーナーが、完全にどれも嘉門達夫ヤンタンの縮小再生産みたいなコーナーばかりになったというか、あの頃の嘉門達夫とがっしゃん(東野博昭)が全てやり尽くしていたことを感じたからだったりします。やっぱりそういう意味では嘉門達夫は本質的に天才だし、色々と放送作家は色んな芸人の近従のブレーンとか元芸人の作家で今のファンに名前通っている人多いけど、東野博昭はもっと知られていて良いよなあと思います。「芝居もん」とかも脚本書いてるんですけどねえ。
なんか嘉門達夫ももう一度みたいな締めにしようと思ったのに、最後はがっしゃんの話で終わってしまったよ(笑)。
だって最近の嘉門さんのネタって、妙にオヤジ趣味が過ぎていて、本当にかつて一番熱狂していた世代はまだ30代がせいぜい最年長なのに、ちっとも感情移入できない題材が多すぎるんだもん。

「三色パックの謎」という歌について書かれていますが、確かに昔の嘉門さんはそれこそ机に出来た僅かな染みをその染みが出来た由来、理由、そしてその未来までを宇宙のスケールで語り歌うことが出来ていた、それをいま本人が否定しているというのは……、嘉門さんはもう一度落語家をやってそこからもう一度歌の世界に戻った方が良いのかも知れない。嘉門達夫の面白さの本質はイントロやサビの本ネタ以外の部分にある、僕はそれを信じて止みません。そのバリエーションの豊富さ、それが平凡な誰もが考えそうなネタの奥深さを引き出しているんです。プロデューサーにがっしゃんはもはや無理かも知れないけど、高須さんとか北本かつらさんとかを呼ぶとか、そういう違う目線持てたら変わるのかなあ?