期待していた作家さんのライブだけに残念に思った話

うちのライブ当日、今回は前回の舞台でせっかく来て頂いたお客さんに対して申し訳のないことになってしまったので、演者への出演のお願いから意識付けはもちろん、僕たちも相当な覚悟を持って万全の準備をしたつもりで望みましたが、お客さんの方は出来るだけ声をかけたのですが、この日は小林賢太郎の「○ maru」の神戸公演、baseでは元シンドバッドで現在は構成作家の森によるライブイベント、そして「笑い飯・千鳥の大喜利ライブツアー」の岡山公演などに行くからと、僕たちのスタッフの誘いなら本来は優先してくれるような人たちの心をさらに優先させるようなイベントが同日にありすぎでした(笑)。

こういう好きな人だけ来ればいい的なライブで配った配布物について、行かなかった奴がゴチャゴチャ言うのは無粋の極みだと思うのですが、まあそういう無粋なことをあえてしたくなる心境になったということで、お許しくださいということでお願いします。というか森さんも4時間やって終わりが23時過ぎなんていう公演は許されている環境だと思うだろうし、それ以外の人にどんなことやったかなんてことを知られるのを想定していないと思うので、ちょっとそれについて外がどうこう言うのも卑怯な気もするんですが。
まあ何があったかというと、事前に配った注意事項の用紙にメモ取るの禁止、あとブログレポートみたいなことを否定するようなこともあったらしいです。これ自体はライブの性質上、そういうものをお客さんに要求するのは悪いことではないと思うし、ライブやイベントによっては「某巨大掲示板に書くなよ」的な裏話をするとかいうライブを成立させるために、そういうことを厳重に呼びかけているイベントに僕も行ったことがあるし(まあ誰か書く奴はいるんですけどね)、客にそういう要求をするライブというのはあっても良い。でもなんか伝え聞くところによると、ライブ中にメモしたり、ブログレポート書いてる行為そのものを否定する、そういうことをしている人を嘲笑する内容のように思えたんですよね、それはやっぱりなんか勘違いしているなあと思います。
まずある程度、作家的な訓練を受けた人、実際にそういう仕事に就いてる人っていうのは、メモ癖が見に染みこんでいる人がほとんどですよね、こういう現役の作家の人が、「好きな奴だけ見に来ればいい」的な感じでやったライブって、やっぱり“勉強しに来ました”というような作家の卵や実際に活動している同業者は多いと思うし、マニアな客というのは、別にブログでレポートしてないような人でもメモ癖の付いている人は多いので、みんながみんな手にメモ取っているという事態を想定して、そういうこと書いたのかも知れないですが、やっぱりライブの性質上の客層に対する配慮、客の一定以上が勉強として見に来るようなライブをやっているという自覚が足りてなかったのではないかなあという気持ちもするし、みんながみんなペンとメモ帳持ってる事態を危惧したのかもしれない(笑)。
しかし何故、お笑いのライブの客は他のジャンルと比べてもライブレポート的なことを書く人が多いんだろうということを考えたのです。だってあんまり他のジャンルで詳細な演目とか内容をレポートして感想書いてるのってそう見ないと思うんですよ、まず一つ考えられるのは記憶メディアとしてのレポート、DVDとかにお笑いライブがなっていなかった時代に、記憶しておくための手段としてやっていたことの名残という説、もう一つはレポートを書くことでクールダウンになっていたということはないでしょうか?
先日の「ビーバップ ハイヒール!」でも岡田斗司夫さんが映画のエンディングで客をクールダウンさせる話をしていましたが、こういうお客さんを盛り上げておいて、最後にきちんと覚まして帰すという方法論が、他の演劇や音楽のコンサート、映画などと比べてお笑いライブというのは確立していないのではないか? まして若手のライブや、このような尖ったライブの場合は、送り手の自己顕示欲的なものが生で身体に入ってくるわけだから、それを身体から出すためにはライブレポートという形で自分も吐き出さないと、そのライブが終わらないんじゃないかなあ、その公演のラストでクールダウンが出来ないような構成や内容になっているから、ライブレポートという形で、ライブの内容を引きずっているお客さんが日常生活に帰るリセットの手段として書いてるものなんじゃないかなあ、逆に言うと日常性のある通常公演とか、ベテランの人が出る舞台って、そういうの分け隔て無く見に行ってるレポート書いてる人も、あんまりレポート書かないのは、クールダウンの必要性がないからじゃないでしょうか? だから僕はライブレポート的なことを書くのは好意的だし、仕方のないことだと思います。森さんは「変な気持ちにさせたかった」「わけわかんなくしたかった」ということを再三にわたって言ってた様だから、クールダウンやリセットをさせたくなかったのかも知れないけど、それはお客さんの日常生活ということを考えてやってください(笑)。あっもしくはクールダウンに完全に成功している自信あったのかな?
もう一つ思ったのは、世代論的な話としてこの世代の芸人さんって、純粋に他人に自分のやってることについての批評や評論はもとより、他人による紹介とか分析もされたくないんじゃないかということですね、僕がムックにお笑いのこと書かせて貰ったときに、知り合いの芸人さんとかにそれを見せたら、「自分も書かれる対象になりたい」的な返事をしてくれる人が多くて、それを一緒にそのムックに書いていた芸人さんが驚いていたんですよね、「自分たちの世代の芸人にはないリアクション」という感じで、これについての僕の想像はM-1の影響と昨今のお笑いブームにおけるお笑い関連書籍の増加の影響が大きいと思う、他のジャンルでも評論誌とか映画や漫画について語る番組やイベントなどが流行ることによって、そのブームの以前と以後で作家になった人、演者になった人で、評論とか、自分の作品について語られることに対する距離感、拒否感というのが大きく変わってくる、その辺に対する意識が大きく二分されるんですが、多分お笑い界の人っていうのは、はっきりM-1を前後して分かれてると思う、やっぱりM-1グランプリで、お笑いとか演芸というのが始めて評論の対象になったと思うんですよね、それ以前から高田文夫とかは運動していたけど、やっぱり公にそういう意識が広まったのはM-1がきっかけで、それ以前の芸人さんとそれ以後の芸人さんではやっぱりどうしても、批評とか紹介自体に対する考え方が違う、そしてどう考えても森さんはそれ以前の人だから、自分がやってることに対して他人のフィルター越しで語られたくないという意識は強いかもしれないけど、それはやっぱり旧世代の意識ということに、もうお笑い界はなってしまっていると思います。
まあでもこれはお笑い演芸界以外では、例えば他のエンタメジャンルでは十年とか二十年前に通ってきた道で、お笑い界はここ数年にようやく遅れてそういう動きになったから、その流れに対応したくないという動きが起きても不思議ではない時期ではあるのですが、でも仮に批評を敵と思っている、批評されることになれていない世代だからとしても、そういう主張しようとしている人が、M-1やR-1で作家として審査員しているのは、少しどうかなと思ったりはします。
僕は最初にこの話を伝え聞いたときは、凄く嫌な気持ちになりました。この気持ちはビッグポルノのHGブーム以降の一見客が増えたことについての小藪氏が、あまり良く思っていないような発言をしていたのを見たときにも凄く似ている違和感でした。
結局この2丁目劇場の晩年の人達は、自分たちの箱庭だけで物事進めたい連中だったんだなあ、そんな閉鎖性が自分は嫌いで一時期吉本の若手の動きから離れていく理由だったんだなあ、そしてこの人達がそうやって大阪の若手お笑い界というのを閉じてしまったから、ダウンタウンナインティナイン以降大阪のお笑い界からビッグスターが出ていないんだなあというぐらいにまで、自説と繋げて考えていました。
実際にいまライブレポート系のブログを読んだのがきっかけでお笑い見に行く人というのは凄く増えていると思う、実際に自分もお笑いライブとかをまた見に行くきっかけになったのは、カネミノブさんやぎょぐん探知機さんユッキさんといった人たちのおかげだし、そういうのも含めてライブレポート的なものを否定しているとしたら、それは小藪さんの日記の記述と同じで、やっぱりこの世代の芸人さんは、大阪の若手お笑い界というのを閉じた世界にしてきた人達なんだなあという、残念な思いになりましたね、特にいま大阪のお笑い界が閉じた村になっていることで、苦しい思いをしている人達、それを打破しようと戦っている人達が身近に沢山いるようになった身としては、小藪さんや森さんのこういう発言とかって、この人達は閉じた村の方が居心地良いんだろうなあという残念な気持ちにもさせられるんですよね。
でもそう言われても、こんなにライブレポートとか書いてる人が多いのは、ちょっと凄いなと思いますけどね(笑)、Mixiとかでも物凄いライブレポ見つかったし、ただそういうライブレポとかブログでやってる人は、その神様用紙見た途端に破り捨てて払い戻しタイムに帰るぐらいの気概は見せて欲しかったね、というか森さん一人ぐらい現れること期待してなかったか?(笑) あとなんかブログとかで語ることを否定されて苦しみながらでも書いてるというのは、なんか「頑固オヤジ」のラーメン屋や寿司屋で飯食うのが好きみたいな人と思いっきり姿がだぶっています。いや自分ならマジで払い戻しタイムで帰ったかもなあ。
で、ここまで否定的な意見で書いといて何なんですが、でも森氏のこれまでの活動とかネタとかを考えると、本人自身もそういう人というところはあるんじゃないかと思う所もあったり、どこまで本気なのかなあというのは、実は少し過ぎっていたりします。あの人自身がメモ書いてブログにレポ乗せる系統のタイプ上にいる人で、そういう皮肉も込めている可能性もありそう、まあ単純な同族嫌悪という可能性もありですが。
追記)まあ実際はメモ取ることは止めてねぐらいのニュアンスで、お笑いレポートとかやってる人達に対して、水を差す内容ではなかったらしいという情報も入っているんですが、ただそこまで拡大解釈というか、それだけ大きく自分の内実に対する問題と捉えて、それを引きずっている感想を残している人が多いように見える、それは力があるなあと感心させられるし、罪な人だなあと思うことでもありますが、実際に感想書いてる本人にそのつもりはないにも関わらず、書いた文章がそうなってる人は多かった。
あとやっぱり注意書きの神のやつは、部分的に伝わったら誤解するような内容になってると思うので、それは作家さんなんだから気を付けてほしいと思いながらも、思いっきりそれが狙いだったんじゃないかと思わないこともなく、そうなると僕は見事に釣られたことになる(笑)。