今回のR-1において審査員へ不満をぶつけるのは違うと思う

僕は今回の審査員は最高と書きましたし、知り合いの芸人さんや作家さんも審査員には納得していたのですが、結構今回のR-1に不満持ってる人というか世間の批判の矛先は審査員に向いているみたいですね、M-1もR-1も審査員は矢面に立たされるわけで、やりたくないと思う人が沢山いる、実際に高名な人でネット上では審査員に熱望されている人の多くはすでに断っている人がほとんどらしいです。
審査結果が批判されるのをみんな嫌がっているそうですが、はっきりいって批判に晒されるのを恐がって審査員を断った人より、それを覚悟して審査員に加わっている人の方が僕は審査員にふさわしいと思うので、ある程度地位と名声を芸人として確立している人なら、出てきただけで審査員に値すると思います。
今回、一番批判されているのは、審査員の審査コメントがグダグダだったということでしょう。これについても僕は審査員の責任は問いたくない、これは関西テレビが悪い。
今回の「R-1ぐらんぷり」は皆さんもうご存じのように前日収録でした。そして放送時間はCM入れて1時間15分、審査員が5人いるのに出場者が8人というのは、もう最初からコメントがほとんど放送されないというのが前提じゃないですか、実際ヒロシに素晴らしいコメントをしていた伊東四朗さんの審査コメントは、ヒロシの時以外放送されなかった。あのヒロシの時の的確なコメントを考えれば、他の審査コメントもどれだけ秀逸だったんでしょうかと考えたくなります。
いや実際会場にいた人からメール貰ったり、結構お笑いやテレビウォッチャー関係のサイトでも現場観戦記書いてる人がいたけど、あべこうじのネタが一部ハサミ入っていたというぐらいですから、審査員コメントなんてほとんどバッサリやられてるなんて想像に難しくないでしょう。
実際の収録では一人に対して複数の審査員が色々喋ってたらしいし、かなり厳しいダメ出しコメントを出した審査員もいたようです。
明石家さんまさんも言ってますが、いまのバラエティ番組というのは芸人の力よりも、編集する人の価値基準の方が番組制作における度合いが高まっているんです、で、今回のR-1は審査員は収録の段階では様々な良いコメント、悪いコメントを沢山していた中であんなバラエティコメントばかりを抜き出して放送したのは、番組の制作スタッフなのです。
問われるべきは審査員のコメントを編集して、あの部分を放送すること選んだディレクターのセンスでしょう。審査員は悪くない。
というかもうあんなことで審査員批判してたら審査員やってくれる芸人さんいなくなるよ、実際M-1もR-1もかなり苦労しているらしいし、最初のM-1なんてまず一番手で声かけた人には大半断られたって紳助証言していますしね、審査員を審査する大衆の目に晒される決断をしてあの場に立っているだけで僕は賞賛します。まあ付けた点数さえ外していなければ良いやという風に、僕の中で審査員に求めるハードルが最近下がっているからこう思うだけかも知れませんが。
審査員の年齢が高いという問題については、自分は仕方ないと思う、ただ年寄りだから若いセンスが評価出来ないということは僕はないと思う、今年の「ABCお笑い新人グランプリ」みたいに、一人突出した超大御所が合議制の審査ルールの中で審査員にいたりすると、他の審査員が顔色を見て流されてしまうという弊害はあるけど、一度メジャーで成功しているような芸人さんはマズ大丈夫でしょう。「オレ下ネタ嫌いなんだよね」なんて俺ルール基準を持ってくる人の方が少数でしょう。
例えばM-1やR-1での本大会での中山功太POISON GIRL BANDアメリカザリガニ、準決勝や敗者復活戦の$10やりあるキッズの落選への不満というのは多くあるけど、もうこのレベルになると審査基準とか加点基準が、「同業者でしか理解出来ない部分」になってるんですよ、いしかわじゅんの「絵の巧い下手番付」とか、一般素人には説明して貰わないと分からない所基準になるというのは、同業者審査員に拘ると当然出てくることだと思います。
マンガ夜話なんかでもいしかわじゅん夏目房之介だけが呼応する所で、岡田さんや大月さんが「その説明では理解出来ない」と踏み込んで聞いていってようやく評価している理由や箇所が分かったり、批判している理由が解かれるときがありますが、はっきりいって同業者が審査すると、絶対にいかなる分野においてもそういった同業者にしか分からない部分での審査になってしまうんですよ。
だからM-1は点数審査でその点数を完全公開するということ、そして審査員のコメント時間をたっぷり取っているのです。だから小朝さんの「1秒早かった」とか、島田洋七さんの「大きな笑いと小さな笑いのバランス」のお話とか、ラサールさんのツッコミ台詞の多様性への言及とか、そういうものをしてもらわないと分からないレベルの審査がされていると思って良いと思います。
松本人志さんがラジオでかなり言葉足らずの感じで、南キャンの二本目のネタを酷評していたらしいですが、これも世間の人はみんな「井上和香いじり、客いじり」へのダメ出しだと思ったけど、同業者の方々は一様に『他のネタから良い部分を持ってきたネタ作りが見え見えだったこと、それに伴って甘いネタ構成だっ』ということを指摘していました、こんなの絶対に同業者の方しか分かんない次元の話ですよ(笑)。
だから審査員が誰に何点入れたかというのが分からないということ(それを表示するためのモニターは用意されていたように見えるので、審査員の誰かが寸前で拒否したのかも知れませんが)、審査員コメントを放送する時間を多く取る構成にしなかったこと、またこの芸人のことはこの審査員に聞くという判断がきちんと出来なかった司会者の選択など、今回の審査員に関して出ている不満の多くは、番組制作側が責められるべき問題ばかりのように思いました。
あとM-1と違って、あの漫才って「『テクニック、台本、キャラクター』の三要素が大事」みたいに言われるように評価点をマトリックスにしやすいんだけど、ピン芸ってそうはいかないからなあ、だからますます点数の根拠を言葉で出して貰わないと、そしてそういうコメントは確実にされているのに、それを放送しなかったというのは、関西テレビにこういう番組の制作経験がなかったというのが一番大きいんじゃないかなあ、ネタ見せ番組自体も在阪局の中で最もやり慣れていない、在阪局で唯一祝日とか改変期にやる恒例の演芸特番がないし、その上で賞レースもやったことがない*1という未熟さが出たんじゃないでしょうか?
何十年も「上方漫才祭り」という漫才イベントをやり続けてきた毎日放送ですら、一昨年から始めた「漫才アワード」っていう賞レースにおいて、今回のR-1なんて問題にならないぐらいにグダグダなことやらかしているわけで、そういう意味では「ABCお笑い新人グランプリ」を25年間やってきた蓄積というのは、大いに「M-1グランプリ」において朝日放送は発揮しているんだなと思いましたよ。正直、R-1も最初から朝日放送がやっていた方がしっかりした番組になっただろうし、M-1とのシナジーでもっと盛り上げることも出来たんですよ、まあこの辺は吉本さんにも政治的な都合があったんでしょうが。
まあだからこの件については生放送じゃなかったのが全てでしょう。それが間違いの始まり、だから僕は審査員は悪くないと思います。えらい長くなってしまったなあ。
余談:審査員の年齢層については、M-1のほうでも世代交代を求める声はありますが、それについてはまずM-1もR-1も今回かなり参加者のほうがかなり世代交代があったし、このまま行くと次回はもっと低くなると思うんですよ、特にM-1は参加者の面子がますだおかだも言ってたけど「ABCお笑い新人グランプリ」と変わらないような面子になる可能性が高いと思うんで、審査員側の世代交代はアリだとは思うんですが、じゃあ誰を替わりに持ってくるの? という話なんですよね、審査基準をしっかり持っていて、その審査基準をきちんと言語化出来て、自分の好き嫌いを越えたところで審査が出来る人となると、かなり厳選されると思うよ、僕は一部待望論が出ている爆笑問題・大田は自分基準が強すぎるから無理だと思ってるし、例えば僕は嘉門達夫北野誠水道橋博士春風亭昇太ますだおかだの増田、中川家の剛なんかが審査員にそろそろ入ってほしいと思ってるけど、これじゃあ世間のほうが納得しないでしょ?(笑) でもいま審査員を世代交代したらこの辺しかいないですよ? いや僕はこの辺来てくれたら大満足ですけど、ある程度世間を納得させる審査員陣となると、いまのM-1、R-1の年代が限界じゃないかとは思います。
まあただM-1の最初の年は鴻上尚史が審査員やったりもしてたし、一枠ぐらいは非芸人枠あっても良いと思うのですが、岡田さん目指してみません? いやこのまま非芸人枠出来たら、確実に町田康のものだと思うので言ってみました(笑)。

*1:毎年放送している上方漫才大賞ラジオ大阪主催の賞レースにカメラ持ち込んでるだけ。