「名前を残した馬たちへ」(2)
中西さんと殿下への便乗企画「名前を残した馬たちへ」の第二弾です。第一弾はこちら。四ヶ月も間が空いて申し訳ありません(笑)。
まずはネタ元の紹介。
では「名前を残した馬たちへ」(2)です。
- サクラテルノオー(父ノーザンテースト, 1982) 用途変更
- タヤスダビンチが新潟3歳S勝った時にギャロップ誌上で種馬場の人かなんかが、「(種牡馬同期の)オグリキャップと比べて、こっちのほうが走ると宣伝していたけど、その通りだった」みたいなコメントしてたのをやたら覚えてる。しかし結局9月とか10月とかに産駒が活躍しても、翌年の種付け時期には覚えてもらえないというのは辛い。他に活躍がいないままである以上、20歳過ぎまで種牡馬続けられただけでも有り難いと思う半面、タヤスダビンチが走った翌年ぐらいはもうちょっと牝馬の質・量が厚くなっても良かったのになと思う、結局殿下が比較対象にしているカリスタグローリなんかもそうだけど、後ろ盾の本気度と、エイシンサンディのようにブームに乗るという重要性感じます。ダイナアクトレスがジャパンCで3着になった時に種牡馬入りしていたら初年度の動員が全然違っていたのかもしれない。その代わりレジェンドテイオーとかがモロに客奪われていた可能性もありますが、とりあえず今年の2歳のこのクラ家の馬には注目。
- サクラトウコウ(父マルゼンスキー, 1981) 用途変更
- 後継種牡馬にネーハイシーザーがいるから安心って言ってられないところが悲しい。殿下が言ってる牝馬の質的向上がないままだったから、ネーハイシーザー、スガノオージと出してもその後続かなかったということなんでしょうか、谷岡牧場さんもせめてサクラクレアーに種付けぐらいは一度はして欲しかった。チヨノオーやホクトオーを優先するのは尤もなこととはいえ。あとトウコウは谷岡牧場が功労馬で繋養しているので、殿下ご安心ください。
- サンデーズショウ(父サンデーサイレンス, 1992) 用途変更
- 中央時23戦1勝、地方時24戦0勝ですか、最終的に中津で引退して種牡馬としての繋養地が大分のようなので、中央時代の関係者は種牡馬にすること何て想定して使っていなかった予感。社台がスターマイサドルとかをわざわざせん馬にしてから地方に出していたのは、このクラスの種馬をサンデーってだけで種牡馬入りさせないようにするためって聞いたことがあったなあ。
- シャマードシンボリ(父シンボリルドルフ, 1988) 用途変更
- 中西さんも殿下も「種牡馬になってたか!!」ってリアクションでしたし、僕も南部杯の3着一発で種牡馬入りオメ!! とか思っていたら、重賞こそ2勝だけだけど、地方での獲得賞金が一億円越えで、中央時の獲得賞金に肉薄しているんだから対したもんだし、これなら地方時代の馬主さんが種牡馬にしたいと思うのも理解できる。しかし地方にはいって最初の頃は重賞では勝負にならなかったのに二年目の1996年になって重賞でやれるようになってるのは、岩手の櫻田調教師の手腕も相当なもんがあるし、中央でまだまだやれる状態での転厩も良かったんでしょうね、引退後は青森の西村牧場で種牡馬入りして11頭が地方競馬に登録されていました。岩手時代のオーナーが西村正さんと同姓だから西村牧場の関係者でしょう。中央である程度のOPの馬を買ってきて、地元で走らせてそこで良かった馬を種牡馬にするというビジネスモデルは一時期までは有効だったのかなあ、結構ツインターボとかもその流れで種牡馬になってたけど、あんまり巧くいったという話し聞かないんだよなあ。トウケイホープとかは*1成功例かもしれないけど、あれもビジネス的な成功という意味での成功ではないし、そもそもそれを求めていたかも疑問だし。
- ジョージモナーク(父ミルジョージ, 1985) 用途変更
- 殿下も言ってるように、ここまで生きて残れて、今も見守るファンがいるというのは幸せなことかもしれない。しかしジョージモナークとハシルショウグンによる赤間清松調教師の挑戦の物語というのは、交流以前の歴史としてしっかりと語り継いでいってほしい。これは僕より5〜10歳上の世代の仕事だと思う。
- シンコーユタカ(父サクラユタカオー, 1997) 用途変更
- 結局競走成績ともなわない良血種牡馬ってバックボーンがないと成功は難しいということなんだなと、サクラテルノオーの項で書いたことの蒸し返ししか書くことない、種牡馬を乗馬に転用できる技術のある乗馬施設があることはめでたい。繋養先:北星乗馬クラブ
- シンチェスト(父タイテエム, 1983) 用途変更
- シンカイウンが5番人気で出た天皇賞は、◎ユウトウセイ ○シンチェスト ▲グルメフロンティア △マイネルブリッジ,イナズマタカオーという、「お前馬券取る気あるのか?」という予想と組み合わせで馬券買っていた記憶あり。こういう血統が細々とでも父系で残っていったら日本も捨てたもんじゃないと思えるんだけど、なんかメジロサンマンからメジロイーグル、メジロパーマーのラインとかもそうだけど、細々と残っていた父系が途絶えるということがここ数年多いことが一番辛いところ。殿下が言ってる母父での活躍というのは血統的に期待したいところですが、ただシンチェストの娘を繁殖入りさせても、産駒の行き先は確実に地方なわけで、それに見合った配合でダートの短かい所を走るのを作るということ考えると、かなり配合相手が厳しいような気もします。
- スーパーシンザン(父シンザン, 1987) 用途変更
- 昔、「シンザンとハイセイコーの父系を残せなかったら日本の競馬関係者は全員恥じろ」みたいなこと言った記憶があるけど、実際そうなるのも時間の問題になってしまったわけで、酔狂に賭ける人とか、それを許す環境がないというのは寂しい。アジアのどっかに種馬と繁殖連れて行って一子相伝に賭けるぐらいしないと、そういうことは出来ないのかも、日本の現状では、どうも「ノーザンテーストでもこのままではダメ臭い」ということ考えると、「父系」ってやっぱりある程度残そうという意志無しには残らないのかもしれない。
- スーパーボウル(父リファーズゴースト, 1989) 用途変更
- 1頭だけいる産駒も馬名登録されていないみたいだし、さすがにコメントしようがない。2004年の新種牡馬だから手元の資料にも載ってないし、馬名が馬名だけに「スーパーボウル+種牡馬」とかで検索してもちっともこの馬の情報出てきやしない(苦笑)。NARのデータベースで調べたらこの馬の中津時代の馬主が、サンデーズショウの繋養牧場と同じ吉冨幸吉さんだったから、単純にそういうオーナーさんなのかもと調べたら、大分県議もしている方のようなのですが、他にも計四頭も種牡馬を繋養していたり、北海道で買った馬を走らせたり、中津競馬が廃止になった後も中津で生産した自家生産馬を走らせたりしてるみたい。なんかこういう九州とか東北の地元に根付いた(?)、ご当地のオーナーブリーダーって全くこれまで語られてこなかったけど、実は結構いるんだろうなあ。田舎に牧場を作って、自前の種馬に自前の繁殖付けて、地元の競馬場で走らせるという道楽オーナーぐらいは出来る地方の名士って結構いるのかも、トウケイホープ→トウケイニセイとかキヨヒダカ→ヒダカハヤトのスケールダウンみたいなことやってるオーナーは、案外地方競馬毎にいるのかもしれないなあ。一行ぐらいで済ませようと思っていたら、まさかの今回の最長コメントになってしまった(笑)。
- ダイナレター(父ノーザンテースト, 1984) 用途変更
- ナリタハヤブサ、カリブソングの出現によって旧世代のダート王として語り継がれるタイミングを掴み損なったイメージもあるし、案外この時代の馬のことを語り継ごうとする競馬ライター、ジャーナリストがいない気がする。あと印象ほどノーザン孫ってダート走ってないような気がする、カミノクレッセとオースミダイナー、カチドキリュウぐらいしか思い浮かばなくて、もっと走ってるイメージあったんですが。しかしこういうの振り返っていると、結局種牡馬が成功するには繁殖牝馬の質・量次第で、どっちが重要かというと質のほうが大事で、その質は本人の努力ではどうしようもないという結論しか出てこない切なさ。
- ダハール(父 Lyphard, 1981) 死亡
- 二人とも触れてないけど、シンボリルドルフが出走したサンルイレイSの優勝馬ということは書いておく。しかし種牡馬辞典見ていると、CBスタッドはこの馬もそうだけどヴィジョンとかカンパラとかミオロベルティーノとか、中途半端な種牡馬を毎年のように二頭とか三頭輸入して全部壮絶コケていた、そりゃ早田牧場潰れて当然だと思いました。結局このクラスの種牡馬で活躍したのってリヴリアぐらいで、CBスタッドの成功種牡馬のブライアンズタイムとアジュディケーティングは格上のGIでの勝利や好走があるんですよね、ダハールはGIは沢山買ってるけど、今から考えたらアメリカの芝中長距離のレベルだしということになるのかも。*2
- ダブルユアホリデー(父サンデーサイレンス, 1992) 用途変更
- 母がステークスウイナーといっても、結局は母がダイナフェアリーで重賞勝ってるサマーサスピションなんかも、比較的早く種牡馬入りしたけど、それでも初年度に70頭ぐらい付けて、そのまま下がり続けていまオセアニア暮らしになってるわけですから、結局エイシンサンディの成功って、ライバルがフジキセキしかいない事が功を奏したわけで、牡馬で重賞勝ってる産駒亡くなっていない限りタヤスアゲイン以外全部種牡馬入りしている現状を考えると、ライバルが多すぎだと思う……というところまで書いて調べたら、この馬も公営経由で宮城で種牡馬入りしているんですよね*3、この地方競馬経由で本州や九州の牧場で種牡馬入りって流れについては、これまであんまり競馬ジャーナリズムで語られてこなかった分野だから、僕はもちろん殿下や中西さんにしても、分からない、語りようがない事な気がする。
- タマモクロス(父シービークロス, 1984) 死亡
- カネツクロスが全盛期に万全でGIに出ていたらなあ、何とかGIに手が届く産駒が出て欲しい。ここまでの名馬だとかえっていまさら語るところないな(笑)。
今日書いてみて思ったのは、自分の中でどっかメジロパーマーとかシンチェストとかキヨヒダカとかは、中物クラスの産駒が出て、その馬が種牡馬になってという循環で細々と父系が続いていくもんだと思いこんでいた時期があったなということを思い起こさせたのと、そういう面が無くなっていくのはやっぱり楽しさが失われることだと思った。あと地元の競馬場に根付いた本州や九州のオーナーブリーダーという世界については、誰かきちんとした取材に基づいたレポートをしてほしい(笑)。
もうしばらく間が空いてしまったし、(3)と(4)も一気にやってしまおうと思ったけど、やっぱりこれ疲れるので、今日はここまで(笑)。
- 参考書籍:『最強の種牡馬データ事典 (1995)』(関口隆哉/成美堂出版)
- 参考書籍:『最強の種牡馬データ事典 (1996)』(関口隆哉/成美堂出版)
- 参考書籍:『最強の種牡馬データ事典 (1997)』(関口隆哉 中村裕文 宮崎聡史/成美堂出版)