ファンが業界の慣習を支持する側に回るということ

途中、輸入権とかCCCDの問題とか、競馬やサッカーの話しにまで横断する予定です。
まず整理しておきたいのは、今回の逮捕の是非はともかくとしてWinnyとかP2Pそのものを糾弾する声について触れないといけないと思う。
正直いってそこまで違法性をいうのは無茶だと思う、47氏個人の話しは一旦棚上げさせて貰いますが、僕はこういう話しになったときに、体制側に立って一緒に糾弾する側に回ってはしゃいでいる連中は心底軽蔑しています。
ただこれに関しては、なぜ無意識的に管理する側の味方をする人たちが現れるのかについては、ずっと疑問でした。寄らば大樹のなんとやらという言葉もありますが、そういうことだけでもなさそうなのでしたが、それについての疑問が解けたのは、例の『競馬ジェネレーションギャップ問題』のリファにあった笠倉さんの次のエントリーです。いや正直、これ競馬だけでなく、いま自分が疑問に思ってたこと全部に答えを見いだすきっかけをくれました。

本来上記の血統優先は馬産地や関係者の都合であるはず。ところがそれが『ネット・ゲーム・POG等』で身近になった。もっと言えば“自分のことのように共感”するようになって、マスコミ・ファンというのはそういう『競馬界の慣習』に異議言う立場なのに、シンクロしてしまったんではと仮定してみます。『不況にあえぐ馬産地』などが同時で伝えられることも触媒になっていると思われる。
kasatoreの日記:最近はそうなの?

この対象に思い入れをするあまりに、業界の慣習に対して異議を本来言うべき立場なのに、シンクロしてしまって慣習を正当化する側にというのは決して競馬だけの問題ではないなと考え出すとここ数日止まらなくなっています。
一時期1on1でサッカーのサポーターイズムに対する違和感について話しをしていたときも、今回の問題にしても、つい先日の鈴木亜美の件についても、僕が感じていた違和感の正体ってこれかもしれないと思うようになっています。
例えば再販制度にしても、本好き、音楽好きの人にには支持する人が多く、自分の好きな分野が衰退するのは困るからという理由を述べる人が多いのですが、でもこれも業界の言い分をそのまま信用しているだけですよね、夏目房之介先生などは再販制度がないと出版業は成り立たなくなるという論に批判的な立場で、近年はライフワークの一つとしてこの問題に取り組んでいますが(参考:Google検索)、再販制度にしても輸入権にしてもその業界のユーザーが業界の言い分を鵜呑みとまではいかなくても、好きが高じて本来批判するべき事にまでシンクロしてしまう現状があるんだと考えています。
あと現在の慣習で回っている業界があって、業界そのもののファンになっている人はそれが自分たちの利益、不利益ではなく、単純に自分が好きなものが変化することを嫌う感じで、さんまさんの『ブルガリアがドイツに勝ったのは許せない間違ってる』というのと同じような感じで、CD流通やタレントのプロダクションやレコード会社との契約観念などの変化を嫌っているユーザーは多いような気がします。