天安門広場の記事に追補

15日に紹介した町山智浩さんが先日の天安門事件の件に追記補していますが、これ読んでなるほどというか、謎は全て解けたという感じですよ。僕も間違った認識で書きましたけど、なるほどそういうことだったんですね。町山さんのところのコメント欄でも当時から天安門の学生リーダーたちは胡散臭さを日本の報道でも指摘していましたし、僕もなんか違和感はありましたが、なるほどこれは盲目になっていました。

「政府を追い詰めて人民を虐殺させなければ、民衆は目覚めない。だけれど、私は殺されたくないので逃げます」

『風雲児たち幕末編(4)』にて佐久間象山鎖国の夢から覚めさせるために、幕府に黒船と戦争を仕掛けさせて大敗することで幕府を目覚めさせようと企みます。その際に佐久間はまず自分が先頭に立って戦死すること、そして無謀な戦争を扇動したとして後世非難し続けられることも覚悟していました。だからこそこの佐久間象山の『幕府vsペリー艦隊』による戦争によって開国を早めるというのは、後の薩英戦争や長州と四カ国連合軍との戦争などを経て、両国が急進的な開国論者になったことからも「卓見」と評されているのは、佐久間象山のこの覚悟があったからこそです。
なるほど彼らはインドネシアで西原さんがみた学生デモの連中*1と同じ連中だったわけだ、あれが成功していたら中国でもカンボジアと同じことが起きた可能性は高かったわけですね。
やっぱり勝谷誠彦さんは説明責任があるなあ、だってこいつら勝谷さんがいま一番嫌ってる批判している連中じゃない。敵の敵は味方と思っているようだと、現在の主張にも雲がかかると思いますよ。