M-1話は続くよ

ネット界隈の言説でビックリしたのは、ヤラセと叫んでいる人達が多いことではなく(まあキムのNGとか、西川きよし島田紳助今田耕司の時々言ってた謎のコメントなど状況証拠はありますからね疑う人はいても不思議ではないと思う、ただ僕としてもヤラセだとしたら下手過ぎという派かも)、紳助のアメザリへの論評拒否に対して冷たいだの、アメザリ松竹芸能だから辱めた的なこという人が多いのは大いに驚きです。正直言って洒落になんないぐらい厳しいことしか思いつかなかったから勘弁してという感じだったと思うんですが。アメザリはもっと長い時間があってこそ活きるから不利というこという人もいたけど、紳助さんや松本人志はその辺は加味してあげる人だと思うけどね*1、あとその注釈に名前を出したおぎやはぎが出なかったのは残念ですが、事前番組で紳助がおぎやはぎについて、その手法を真似た漫才コンビが多数出現していることを受けて「もはや『おぎやはぎ』という新しい漫才のジャンルが出来あがっている」といったのは素晴らしい金言、とり・みきのライオンキング盗作騒動の歳の「もう一作ジャングル大帝みたいなアニメが作られれば、それはもう『ジャングル大帝モノ』というジャンルだ」というのに似ていますが、こういう現象を安易と安易に切り捨てる人が多い中で白眉な意見だと思う。結構あんまり触れられていないなあ(笑)。あと世間の評価軸としてヤラセ云々を除いては、東西問題と最後のオチの部分が多く論じられていますが、東西問題に関しては公式BBSで松本の言葉を引用している人がいましたが、これはほぼ同意というか、別に松本に限らずオール巨人さんも言っていたと書いてる人もいるけど、他にも指摘している人が多い。僕の知り合いの構成作家さんは笑い飯のどっちかの人に前のコンビ時代に、「君たちの笑いは新しすぎて大阪では受けないから東京に行け」とずっと薦めていたらしいですが、そういう土壌はあると思う。よゐこさんなんかも大阪にずっといたら潰れてた可能性高いと思うし、関西人の方が面白い人が多いというのは同意してもいいことかもしれないけど、でも関西には「関西人というだけで自分たちが面白い」と勘違いしている芸人や素人が沢山いて痛いというのが実態だと思う。おれはおぎやはぎも今回のアンタッチャブルも好きだし、全盛期のウッチャンナンチャンダウンタウンと同格だったと思う*2。とりあえずファンによる一般審査をなくしたのは心の底から正しいというか第1回に導入していたのがそもそも間違いと思うのは、大阪の若いお笑いファンは天然素材の頃ぐらいからサポーター化が著しく、自分の贔屓以外の人の漫才は聞かないとか邪魔をするということが日常茶飯事だった時期もあるぐらいですからね。
あと上でも書いたように僕も漫才でオチはどうでもいいというか、むしろ無い方が良い漫才もあると思います。今回だと決勝進出した三組は全部特に綺麗なオチはいらなくて、むしろテンションを上げていくネタ特性を考えると、ちょっと尻すぼみというか最後で印象が悪くなるので、普通のネタ番組や舞台ならそれでも良いんですが、最終的に評価というのがある場所ではどうなのかなと思いました。結局紳助がアンタッチャブルのところでいってた「ラスト30秒の印象度」というところにもつながってくるけど、テンション高めていく漫才はテンション高いままにヤリ逃げるぐらいで良いんじゃないかなと思ったりもします。

*1:実際におぎやはぎとかはその辺かなりわかってあげてたと思う

*2:最近は「笑う犬の生活」を見てないから評価しようがないからわからないけど。