タモリとメディア論、上岡龍太郎とメディア論

タモリとえせインテリ - メディア見廻り組

オレのサブカル批判が、どうしても一歩踏み込めないのは、流石にこの時代のことが良く分からないからなんだけど、普段僕が言いたくてもじもじしていることは、ほぼここに集約されていました。

上岡龍太郎はカムバックしなくてよい - メディア見廻り組

でも上岡さんはこういうことに自覚的な人だったと思う、パペポとかで、「いま思いついたことでも、孔子さんが言ってたことにして語る。そうすると上岡龍太郎が考えたことというより、孔子先生の言葉として発言に重みが出る」とか言っちゃてたからなあ(笑)。
ああいうほら吹きオヤジの詭弁や放言を、楽しむ余裕というのは、近年の日本の文化に欠けだしていることだから、僕は重要なことだと思います。タモリさんにしても、80年代に出始めた頃と、そういう意味で受ける側のニュアンス変わってきてるよね。
でもいまそういうことをやろうとしたら、有吉さんか江頭さんみたいな形でしか、世間が受容しなくなっているのかな? という風には、これ書きながら思ってしまった。

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ジャルジャルの決勝進出とM-1終了について

「M−1ファイナリストが意気込み語る!」:イザ!

ファイナリスト発表を受けて、準決勝を見てきた人たちの声を拾うと、やはりジャルジャルとピースへの賛否の隔たりの大きさが、話題の中心になっている訳なんですが、今年の爆質的な知名度上昇と、それに伴うタレント力とスター性の向上という要素が考えられるピースについては、特に言いたいこともないのですが、2005年から2007年ぐらいにかけて、熱烈に決勝進出を望んでいた身としては、ジャルジャルについて準決勝を見ていない身としても、触れざるを得ないでしょう。準決勝のは見ていないので、そのネタの評価は含まない形で進めていきます。
正直、自分のジャルジャルへの評価というのは、「英会話」とか「おまはん」の衝撃と、その後の進化への期待考えたら、ここ数年は立ち止まってる感は拭えないというのが、僕の現時点でのジャルジャルへの評価で、立ち止まっていることは、それだけで劣化だという手厳しいものです。
むしろジャルジヤルのネタの構造が分かっている人達が増えたことを良いことに、説明しなくなっているのは甘えでしょう。だから立ち止まっているというのも、相当に甘い評価で、質的にも劣化していると言えるかも知れません。ジャルジャルってまだテレビのプライムタイムの番組で、自分たちの個性や、どんなネタをする人達かということを、知られているということを前提にした番組をやって良い格の芸人では、まだないはずなのに、そういうネタをしていることがあるのが、僕には不満だし、それは停滞に繋がる甘えだと思っています。
僕は準決勝は見てないので、何とも言えないですが。褒めてる人の話聞いても、ダメ出ししている人の話を聞いても、決勝の審査員の好みじゃ無さそうなシステムのネタっぽいなあ。という気はするんですが、まあ期待半分、不安半分で見ます。
何というか漫才をアートかなんかと勘違いしている人が、お笑いファンの一部にいて、残念ながら準決勝審査員の一部にもいて、破壊やら革新やらという小難しい期待を乗せている人達が、笑い飯の「チンポジ」とかを過剰に褒めたりしているんだけど、でも笑い飯の「チンポジ」のネタにしても、本来のあのネタにはチンポジを延々と掛け合いで天丼する下りとかあったのに、さすがにそれはM-1ではカットしていたんだから、笑い飯ジャルジャル本人にそういうつもりがあってやってるのか? という風には思うけど、それは笑い飯がどう考えているかは、決勝で見せてくれるでしょう。僕は笑い飯M-1決勝でやった「チンポジ」の評価が低いのは、単にシモネタ、昔のネタというだけでなく、オリジナルの面白いところがカットされていたこと、カットして短くなった部分に、前半野球のネタを入れて二階建てにわざわざしたことなど、既存のネタをわざわざ弱くして、しかも二本のネタをつなげたことなどの方が大きいです。本当に「チンポジ」をやり切っていたら、評価は変わっていたかも知れない。4分チンポジしなかった段階で、勇気も挑戦も革命もあったもんじゃないよなあ、とかなんぼでも言えるはずなんだけど、「チンポジ」をやった事より「チンポジの改悪」をお笑いファンや笑い飯ファンなら語るべきでしょう。そこにやれ破壊者だ、革命だというのは、お笑い以外の邪な感情が混ざってしまっている。
こういうお笑いをお笑いとして本能的に見極めている人達が、結果的に技術派のほうに行くのは、漫才という表現の本質に向いてると思う。2006年のチュートリアルや、2007年のキングコングは、結構昔からやっているネタで決勝に挑んでいたけど、演じ方の違いで昔とはまるで違う印象の漫才をしていたけど、「漫才が上手い」っていうのはどういう事なのかが、よくわかってない人がお笑いファンに多いから、この辺がなかなか評価されない訳で、だから一時期M-1の決勝審査コメントが、技術論や稽古量に流れたことがあったけど、僕はあれはあれで正しい世間のお笑いファンへの啓蒙だったように思います。
そういう意味ではお笑い通とか、お笑いマニアほど、お笑いとは本質的違うものに引っかかりすぎて、お笑い見るのが下手になっていて、テレビの前のオバチャンとか、baseの女子中学生とかの方が、よっぽどお笑いを見るの上手いですよね(笑)。まあこの辺の人たちはこの辺の人たちで、違う邪な感情が挟まって、目が曇ることもあるんですが(笑)。
しかし漫才とは、演者がフィジカルを駆使して演じているもので、笑いとは感性よりも感情に訴える、身体性の強いもので、理屈は二番手にあるものだということを忘れると、芸人は袋小路に入ってしまうし、お笑いファンも視野が凄く狭くなって、芸術性みたいな言い訳無しには、お笑いを見れなく語れなくなる危険性があるのではないかと危惧するのです。
その辺の理解が、近年の発想至上主義で意外と抜け落ちてる。松本人志だってあの声、あの表情だからこそ成立している本は多いんだし、松本もお笑いは極めてフィジカル的なものだと、本人は分かっているはずなんだけどね、特に漫才は演技と構成が全てぐらいに見ても良いような気が最近している。
一番ゲンナリするのは、新ネタといって設定とキーフレーズだけ違うだけで、代表作のネタをそのまま焼き直しているだけの漫才やコントを、新ネタとしてやたらと評価されたりしているのは、一番だれるかなあ。特に漫才は演技と構成が全てぐらいに見ても良いような気が最近している。
やっぱりジャルジャルこの時期に、決勝に大抜擢するべきだったんじゃないかと、こうして実際に決勝に行ったのを見ると、考えてしまうなあ。2005年とか2006年の決勝に、NON STYLEジャルジャルがいたら、もっと凄い大会になっていたんだろうなあ。この時期はラストチャンスに燃えるストリークやロザンも元気だったし、磁石や流れ星も良い漫才をしていたし、なすなかにしジパング上陸作戦のように、その後で調子を落とす人達も、準決勝や敗者復活戦で爆発した年もあって、この時期もっと良い審査が準決勝で行われていたら、M-1ってもっと華やかで伝説な大会がいくつも生まれていたと思う。
あとTwitterで、一部の芸人がM-1の予選審査員の傾向とかを、分析しすぎているのではないか? というつぶやきを見たんですが、それは無いんじゃないでしょうかねえ。ロザンとかキングコングとか、東京ダイナマイトとか、そういう傾向に陥っていた芸人はいますけど、その人が想定していたbaseの芸人とかは、そこまで考えていないというか、そこでギアチェンジする器用さは持っていないように思います。というかそういうことが出来ていたら、本当に巧く嵌るネタを持って来れそうな気がするのです。

お笑いナタリー - M-1グランプリ、今年の大会をもって終了

お笑いファンではない人達が、そろそろ潮時だから終わって当然じゃん。というような反応が多いけども、やっぱり予選のドル箱興業っぷりを現場で見ている人たちにとっては、吉本がこんなおいしい興業を終わらせることが、にわかに信じられない人は多いと思うよなあ。というかテレビ界の人でTwitterとかブログで、マジで驚いてる人も多いし。業界の人が驚くんだから、そりゃお笑いファンも驚くよね。
しかもハライチなんかがそうだけど、ここ数年入ってる漫才師って、「M-1にでたくて漫才師になった」という層がかなり占めてるから、単に難民が出るだけじゃなくて、新規の芸人なる人とかの影響が大きそうだし、養成所ビジネスとかに影響がでかそうなわけで、NSCやってる吉本はもちろん、他のお笑い養成所やってる事務所からしても、「ちよっと待ってくださいよ」という感じじゃないだろうか?
パンクブーブーが売れなかったから、M-1は終わることになったとか言ってる人も多いようだけどM-1優勝してから一年後なんて、フットボールアワーブラックマヨネーズも、いまのパンクブーブーよりテレビで露出していなかったんだから、そういう問題でもないだろう。
まあでもこの感じだと、吉本も朝日放送も、次にまた何かをやる気満々っぽいコメント出してるよね。結局、島田紳助にとって荷が重い大会なってきたから、紳助が離れて、彼が名付けた“M-1”という冠は外すというのが落とし所かな? まあただ実際それをすると、紳助がケツを持っていたということが、いかにM-1と他の賞レースの価値の違いを生んでいたか、というのを分かりやすく浮き出してしまうと思います。
とりあえず某板で元芸人の人がいってるけど、「吉本や松竹が売り出す気のない大阪芸人が東京のスタッフに見つかる機会」というのは、M-1が無くなったことで今後激減することは間違いないんだよなあ。敗者復活戦までいってチャンスの尻尾掴んだ芸人も多いだけに、ここが大阪勢の問題だよなあ。

『M-1グランプリ2010』準決勝と決勝メンバー発表、そして終了宣言

とりあえず当日にツイートした予想を先に紹介しておきます。

準々決勝の評判込みで、今日の勝ち上がり予想。笑い飯銀シャリ、ウーマン、タイマ、磁石、マヂカル、ポイズン、ハライチということにしておきましょう。
Twitter / @おりた: 準々決勝の評判込みで、今日の勝ち上がり予想。笑い飯、 ...

しかしパンクブーブーのことを思いっきり失念していたので、磁石かウーマンと変えたいとかも、すぐ後につぶやいていますが、まあ忘れていたぐらいだから仕方ない。
今回は準決勝から出番順クジを、出場芸人本人が引いていたようで、いきなりナイツがトップを引くという展開だったようで、そして両国という大きなハコに、東西揃えて一本勝負の準決勝、さらに枡席四人組だとお安くなる入場料設定もあってか、Twitterで自分のTL見ていても観に行っていた人が非常に多く、普段そんなにお笑いのことを語っていないような人で、「この人もM-1見に行ってるのか!?」と思うことが度々ありました。
そして結果は次のようになった訳です。

銀シャリ、ピース、カナリアジャルジャル、ハライチ、笑い飯、ナイツ、スリムクラブ

とりあえず銀シャリに安心、ピース、カナリアジャルジャルという並びに愕然、ハライチ、笑い飯、ナイツという常連が続いて、最後のスリムクラブで何もかもぶっ飛んで驚いたといった所でしょうか? とりあえず僕が見聞きした中では、ピース、カナリアは評判が微妙で、ジャルジャル、ナイツは賛否両論というところだったので、かなり意外なことになりましたが、上位三組は笑い飯銀シャリ、ハライチでかなり固そうな決勝メンバーになったと思います。スリムクラブジャルジャルがどこまで引っかき回せるかでしょうが……。まあでも最後にスリムクラブという冒険があったのは嬉しかったかな。久しぶりの冒険的な選出ではありますし。彼等は去年の敗者復活での漫才が、エンタのフランチェン好きな人の期待も、M-1ファンの嗜好もどっちも裏切らない漫才なのがすごかった。是非ともそれこそ引っ掻き回してきて欲しい。知名度的にも芸風的にも9位を恐れる必要のない強みを活かしてほしい。
そしてジャルジャルは、アジアンやプラン9が決勝に残ったときにも感じた、今更かよという思いが拭いきれない。まあそれを言えば銀シャリだって、一年か二年遅い気もするんだけど、ジャルジャルを決勝に上げるのは五年遅いだろという気がしてならない。2005年と2006年の決勝にNON STYLEジャルジャルの姿があったら、この両年は史上最高の大会になっていたろうに、という思いが呼び起こされる。
まあでもこのメンバーなら、一位が笑い飯、二位が銀シャリ、三位がハライチか復活組で、優勝は銀シャリと予想します。笑い飯が最後の最後で優勝って、どうも美しすぎる気がして引っかかるんだよなあ。

M-1グランプリが今年で終了! 紳助「漫才へ恩返しできた」と発展的解消 ニュース-ORICON STYLE-

そんなことを考えていたら、決勝メンバー発表後の記者会見で、今年限りのM-1の終了が発表されたということで、これ準決勝を現地観に行ってたお客さんは、感想をつぶやいたりして携帯でネットしていたら、このニュースを知ったという事で、普通に知った僕たちよりもショッキングだったんじゃないかなあ。しかしM-1の公式サイトやら、局や吉本関係者のコメント見ていると、後継大会はやる気満々のようなのですが、でも発展的解消して、次のプロジェクトにするって、フジテレビもホープ大賞も止めるとき言ってたけど、いまだ何にも始まってないので、どこまで信用できるかどうかは分からないんですが、まあでもよしもとが、こんな金の卵なビジネスモデル簡単に手放すわけがないよな、多分紳助さんや、オートバックスが離れて、参加資格が少し変わってリニューアルかな? コンビ歴制限を外すのは勘弁してもらいたいですが。

功罪あるだろうがM−1廃止は「2番じゃ駄目なんですか?」的な間違った事業仕分けにも思える。お笑いの界のヒエラルキー、上下を無くす運動体でもあった。世間には年末の風物詩でもあった。M−1がないのは、上から読んでも下から読んでも「つまんねぇねんまつ!」
Twitter / @水道橋博士: 功罪あるだろうがM−1廃止は「2番じゃ駄目なんですか ...

全く。ただお笑いファンの中にガチンコ否定の流れはあって、それこそ「二番じゃダメなんですか?」という声が多いのも事実。

終了を受けて『M-1グランプリ』の目的と成果を改めて考える

今年の初めにもこんなことを書いていたけど、このタイミングでもう一度書いておこうと思いました。
なんかM-1が始まって十年経って、新しいお笑いファンが増えたり、お笑いを特に深く見てない人の目にも、M-1が晒される視聴率になったこともあって、M-1が成立した過程とか、時代的な背景や意義などが、現代に伝わっていないように感じたので、その辺のことをしっかりと書き記しておきたいと思います。
最近、ある古典芸能の世界で、革新性の高い芸をしている芸人さんが、次のような内容のことをつぶやいていました。それは「今の漫才のスタイルが発明されてからもうすぐ100年になる。伝統芸能になる一歩手前だ 。てことは廃れてくるぞ〜。」という内容。これは極めてクリティカルな内容を沢山含んでいます。
伝統芸能になったら廃れるという話は、海老蔵とか、最近僕が目撃した落語家の話とか、某講談師の体験談を聞いた話とか、色々と分かる話もありますが、これは別の機会に触れる。まあ伝統芸能になると、その芸能は一般的には廃れ、ジジババのものになって、補助金漬けになっていって芸人のモラルが低下していくという、よくある一般論の話があるということを前提に話を進めます。そして漫才はもうすぐいまのスタイルになって100年になる。そろそろ伝統芸能化して廃れていくという予測を立てられた訳です。
しかしこの前提には一つだけ突っこみたいところがある。それは漫才が伝統芸能化して廃れていくのに、100年もかかっていないだろうと、実はもう80年とか90年目ぐらいの段階で廃れかけて、伝統芸能化するタイミングは、過去にもあったんじゃないかということです。
まず一つは漫才ブームの終了、これも実はかなりやばかったと思うけど、このときは漫才ブームでブレイクした人達が、あまり漫才界に執着せずに解散していってくれたこと、そしてこの時にブームを見て育った世代が出てきた(ダウンタウン、トミーズ、ウンナンB21……の世代)、こうして次の世代が出てきたことで、新たな流れに漫才界を持っていくことができた。吉本のここでNSCをつくって、師匠と弟子の継承芸という流れをぶった切った功績も大きい。これが第一の漫才の古典芸能化が阻止された瞬間です。間違いなく最初の漫才古典化の流れを阻止した功績は吉本にある。
そして次の漫才古典化最大の危機は、90年代西も東も若手がコント主体になって、漫才する人がほとんど現れなかったこと、特にテレビでネタを出来る環境にある芸人に漫才をする人がいなくなって、大阪では2丁目漫才禁止令もあったし、松竹もメインストリームはあくまでよゐこ、TKO、のイズであって、漫才勢はフロントラインとはいえなかった(アメザリも最初はコントだった)。吉本勢でも漫才やってた若手は、残念ながらその当時の感想でも、今振り返っても二番手以下の実力グループの人達ばかりになっていたし、あと弟子っ子の方が多かった。
そんな中で大阪でテレビの最前線で漫才できる実力を持ってやっていた、中川家、ますだおかだ、ハリガネロックアメリカザリガニ、ルート33が、漫才の不遇時代に守ってた人達という、やまもとさんの見解は極めて正しいでしょう。歴史を公平に見て振り返っている声です。
このとき島田紳助が「このままでは漫才が滅んでしまう」というのは、先ほどの古典になったら廃れるという意味での「古典化してしまう」ことの恐怖でしょう。だからこそ紳助はM-1を設立した。東京の古い寄席文化や、大阪の劇場といった狭い場所でだけ、受け継がれていく伝統芸になっては、未来がないという危惧が島田紳助M-1設立に向け手の大きな原動力となった。この事は『松紳』でのこれから漫才の大きな大会を作るという構想を練っている回の放送を見れば、もう少し意義が伝わるのでしょう。

M-1の最大の功績は、漫才のスポーツ化ということに尽きるでしょう。古典化してこのまま分かる人だけ分かる笑いになり、一般の人が楽しめるポイントが無くなっていく前に、スポーツ化するという分かりやすい味方を提示する空間を作った。ただこれは大阪には前からあった賞レース文化の踏襲でもあった。それが最初大阪の若手漫才師には入り込みやすいというハンデはあったけど、既存の仕組みを新しいムーヴメントに利用できたメリットは大きかった。そして何より紳助が放り投げたバトンを受けられる人達が、そういう場に耐えうる漫才をやる人達が残っていたことは大きかった。ルート33は残念だったし、ハリガネロックアメリカザリガニは栄冠は掴めなかったけど、M-1に大きな役割を果たしたし、M-1が出来る前に漫才がご臨終になることを防ぐ活躍がオンバトなどであった。中川家ますだおかだはしっかりと次の世代に紳助から投げられたバトンを継承することが出来た。
M-1という大会はM-1があった時期に、若手としてもっとも脂がのっていた世代のもので、同じく前述のやまもとさんが、M-1グランドチャンピオン大会をやったら、中川家とますだおかだ二組とフット以降で漫才世代が違うから前二組が不利という話をしていますが、これも凄く正しい。明らかに02と03のフットと笑い飯を境にして、漫才は別物になっている。それはサッカーにおけるオフサイドルールの変更とか、競泳の水着ルールの変更ぐらいのルールの変更が、M-1ではなく漫才界にあった。そてその変革は間違いなくM-1によってもたらされた。
M-1をきっかけにして、フット、ブラマヨ、チュート、笑い飯麒麟キングコング、ノンスタなどのここ二、三年が10年目ラストチャンスだった人達が、新しい漫才のルールを作ってしまった。2002年を境に漫才は別物になっていった、ここで漫才を別物に変えていった人達こそがM-1世代と言える漫才師でしょう。
これは東京の人たちも同じ、もっと言うと東京漫才はもっと大きな変化があった。それはM-1という大阪、吉本の漫才文化からの流れに沿っていったことで、一気に東京の漫才師もこの「大阪漫才2002」の波に、呑まれたというか乗っかったというか、これで東西で違う文化、違うルールでやっていた漫才が、東西共通のルールの元に行われるようになった。
この傾向は東京吉本の人達を見れば一目瞭然で、漫才もコントも東京吉本の人達は、極楽とんぼもロンブーもガレッジセールもダイノジ品川庄司も、大阪の人達が見ていかにも東京な漫才やコントをしていた。これはなかなか説明しにくいけど、大阪人が肌感覚でそう感じるもの位で考えて欲しい。これはコンビが双方関西人のDonDokoDonですらそうだった、あの二人は関西人で関西弁で漫才していても、大阪の子は東京の匂いを感じた。余談だけど、だから悪名高い2001年の決勝一般審査で、彼等は大阪の得票が酷かったんだと思う(笑)。この東京の匂いというのはイコールで古臭い形の漫才の匂いだった。
しかしある時期からトータルテンボス筆頭に、東京吉本の芸人の漫才のスタイルは標準語だろうか、東京弁だろうが、完全に大阪スタイルになった。M-1決勝をリアルに見据えたときに、それまで東京スタイルでやってた品川庄司も、もしかしたら新しい東京スタイルになってたかも知れない。東京ダイナマイトもすっかり「大阪漫才2002」以降の流れにアップデートされていた(このコンビに関しては、これはあんまり良くなかったと思うけど)。これは紳助の示した古典への道の否定、そのためのスポーツ化という流れで出来た風潮であり、フットと笑い飯が引いた道だったと思う。だからM-1は誰のものかと言われたら、僕はこの二組のものだと思う。
しかし紳助や松本からでは、フットや笑い飯には直接バトンは渡せなかったでしょう。それはあまりにも遠すぎた。でもバトンが受け継がれていたのは、漫才が壊滅していた時期に、きちんとテレビで世間向けの漫才をする流れを絶やさなかった、中川家ますだおかだの世代の功績、彼等が漫才を絶やさなかった。そしてバトンを次に渡した。中川家ますだおかだが扉を開いて、フットボールアワー笑い飯が形を完全に決めた。
この事柄の大きさをM-1十周年、しかもラストイヤーとなったこのタイミングで、もう一度考えても良いと思う。いや本当に1995年から2000年って、漫才かなりやばかったことを忘れてはいけない。M-1がなかったら、漫才って絶対に廃れていたんだよ。テレビで漫才なんて正月にNHKでしか見れなくて、そこには若い人や、アーティストみたいなものを見る目で、お笑い芸人を見るような人を引きつけるものは、何もない漫才ばかりが流されていたんですよ。
それを前提にしないで、「M-1だけが漫才じゃない」とか「M-1が特別視されすぎてる」というのはおかしい、2001年の段階では、M-1だけが漫才だったよ、そしてこの10年一気に日本のお笑い界の中心に漫才があったんだから、M-1が特別なのは当然でしょう。この功績はM-1作って運営している吉本と紳助にあるんだから、この人達が漫才を自分たちの都合良く道筋作りたいのは当たり前。というか他の連中は漫才が古く死に体の文化になっていくのを指加えてたどころか、落語のように古典化して一部の人達が巣くえる利権になるのを、じっと待っていたんだから、はっきりいって古臭い連中や寄席の協会とかが、いまさらごちゃごちゃいってた時期は本当にむかついた(笑)。おまえらが何もしなかった、むしろ弱体化を図っていたときに、吉本は一社で漫才復活させようとしてたんだから、文句言ってないで付いてくるか無視するかだけしてろと、現代風の漫才を創造する、そしてそれを大衆向けコンテンツとしてビジネスにするという目標を立てて、それを成功させた吉本と紳助の功績は、ゼロ年代のお笑い界において、最も重要なファクターであったと、僕はこの場に断言して書き記しておきたい。
まあというわけでぐだぐだ言ってきたけど、紳助と吉本が漫才を殺させないとしたときに、しっかりと次の世代までバトンを受け継ぐ人達がいた。その大きさを改めて中川家ますだおかだアメリカザリガニハリガネロックには感謝したい。もちろんM-1の流れには乗れなかったけど、ルート33矢野兵動、シンプレ、ティーアップといった兄さん達にも。
という思い出話と、M-1が大阪と吉本の流れになるのは、当たり前だろ馬鹿野郎。とい二つの話を混ぜたお話でありました。本当はおぎやはぎの話も混ぜれたんだけど、巧く挟み込めなかったけど、ただ言えるのは昨今の漫才ブームにおいて、唯一東から西に入ったものは、おぎやはぎ的なものだと思うし、そこに上方現代漫才の流れが入ることで、フットボールアワー笑い飯、そして東京だけどアンタッチャブルのような完成型が生まれた。
でも東京も大阪も僅かな例外を除いて、ほぼ古典化の流れに進んでいた漫才界、そこに風穴を開ける為に作られたM-1、そしてそのスタートラインに立てる漫才師が大阪に少し、東京にほんの少しいたこと、そして最初のスタートラインに立った人達から、バトンを受け継ぐ人達がいて、さらに育っていく土壌が生まれたこと、これらのことを無視してM-1の意義とか存在価値、そういったものを考えないのは、やはり何かを間違えてしまうと思います。

『中森明菜 in 夜のヒットスタジオ』のDVDの宣伝メールが来た

最近かつての音楽番組を、歌手別でDVDで出す企画が増えてるけど、最初のレコーディング音源とかライブ映像とかより、テレビの音楽番組の方が、歌手が唄いなれてきている状態で、フルバンドの演奏という、かつてのテレビの音楽番組の映像は、一番良い音源だったりするんだよなあ。
他にもこんな商品をオススメされました。
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『ロケみつ』2010年12月9日放送分

九州初上陸で、いきなりの宿取れなさそうな展開に、ネルカード使用宣言となったわけですが、それに対してのディレクターの嫌みに対して、完全に途中からマジギレになって、言葉遣いがタメ口で文句言ってた(笑)。早送り演出になっていたけど、アレ早送りしていても、元々相当に早口で文句言ってたの分かる(笑)。この番組において稻垣早希が、番組スタッフに本気で心許していないのは面白いんだけど、それを形成している番組スタッフの手柄というには、あまりにも酷いよなあと思うけど、自分の演出だとか思ってるんだろうなあ。この番組と『クイズ紳助くん』については、出演している芸人が、ライブのトークコーナーとかを聞いても、出演者が本気で番組スタッフ嫌ってる話が多く聞こえるのは凄いと思う。
この番組のスタッフ、場所によっては本当にバレたらアカンよな。マジでどつかれるとか、オッチャンオバチャンからマジ説教食らうと思う(笑)。
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若手お笑いを青田買い視点無しで観る見方があるのは目から鱗

京橋ネタコレライブ! @京橋花月 - 蓼喰ふ虫けらのあこがれ

だから、若手芸人への青田買い志向なんて、芽生えないんですね、僕。そんなん、よほどの優しさや辛抱強さがないと到底無理。チケ代安くても無理やわ。

Twitter / @Smile: 僕もルミネから入ったんで、なかなか青田買い志向になら ...

僕もルミネから入ったんで、なかなか青田買い志向にならないです…。 RT @eha417: それにしても、自分に若手芸人への青田買志向が、なかなか芽生えないのは、3000円〜4000円の寄席から入ったからかな。優しくて辛抱強くなきゃ、そんなん出来なさそう〜。

若手のお笑いなんか見るのは、青田買い以外の楽しみなんて何があるんだろう? という風に思っていた時期もあった僕としては、こういう見方については、真剣に驚かされる(笑)。お笑い語っていいのは、M-1かR-1の一回戦をフルで10回見てからだ、なんて思ってた時期もありました(笑)。いや流石に僕も10回はフルで見てない気もするけど。
まあ自分の場合は、阪神巨人が司会していた頃の『オールザッツ漫才』から若手芸人に入って、天素や新人賞レース中心になって、当然のように2丁目劇場の芸人や、浪花座の若手に方にいったから、青田買いとお笑いコンクールに対する抵抗感が、全く無いんだよなあ。むしろ青田買いレベルの人達が、最近ほとんどテレビでネタする機会がないのが、不満たらたらだもん。
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